昨年の8月に
モンゴルに一緒に撮影に行った方が
一昨日亡くなったので
写っている写真があったら送ってくださいと
いうメールがお昼頃に来て
それからすぐに8月の写真を全てみて探して
何枚かをみつけて送った
撮ってからほぼ手をつけていなかった写真の中から
白いラクダの写真をみつけた
それから人が死んじゃうことについて
なんとなく考えたりして
それから考えるのをやめた
外は冷たい雨が降っている金曜日
夏が終わったのだろう
樹木希林は私は婆娑羅だと言ったと
喫茶店のスポーツ新聞で読んだ
誤解を恐れずに不謹慎だけど
死について考えて生きるって
すげー残酷だけど
それもそうなのだ
なんとなく考えると
なるべくなら健康でいたいと思う
それから突然にその時はやって来て
まあ自分ではどうでもなくて
まわりの人たちが何かを思うだけ
死んじゃったらどうなるのか
ちょっと興味もあるけど
まあ生きてることもまともにできないのに
美しい死が私には訪れるとも思わない
だいたい隣の芝はなんちゃらかんちゃらだけど
無い物ねだりの卑しい私には
他人の死すら羨ましくも思ったりして
いよいよわけもわからなくなってくる
でもなるべくなら
自分はまあどうでもいいとしても
好きな人や近しい人は長生きしてもらいたい
もっともらしく真っ当なことだけど本音
健康で生きていて
そのうちパッと死ぬのがいいかな
生きていても夢や希望もないから
死を思うんだろうけど
あまり考えてもしかたないから
だいたいまあみんな適当に生きてる
まあ誰かの死をインターネットとか
SNSで知るっていうのも
なんか虚しい話だけど
葬式とかは振る舞い方がわからないので
なるべくでないようにしたいけど
生きてても死んでても
だいたい人は独りで
寂しい感じ
白いラクダはどこに行っちまったのかな