goo

ガガーリンと僕

2011年03月28日 | ПРОСПЕКТ ГАГАРИНА 33
今日、市場に
骨董品を買いに行ったら
ガガーリンをみつけた
なにやら花瓶のようだけど
1962年とCCCPの刻印がついていた
とりあえず、日本に連れて帰ることにして
さっき荷物をパッキングした

いろいろ悩むけど
一旦日本に帰ることにします
31日から大阪で写真展をするので
30日には大阪に搬入と設置に行く
ほんとは写真展、中止か延期にして欲しいのだけど
そうするといろいろ迷惑もカケテシマウようなので
とりあえず僕はいかなくても
開催できるようにしてくれるということなのですが
やっぱり自分の写真には自分の責任があるので
適当にやってしまうのは絶対にダメなこと
自分の写真に対して真摯にできないようだったら
写真で生きていくことなんてウソになる
バカだね-そんなのって言われるだろうけど
今日が27日だから
29日の朝には日本に着くはず

今日の深夜AM4:00、ここを出て
車で7時間走って
キエフから飛行機に乗ってヘルシンキ
ヘルシンキからシベリア大陸を横断して
成田に着くのがあさっての早朝
長い移動は想像すると吐き気すらするので
とりあえず、楽しんで心を落ち着かせるしかないけど

でも日本のことを想うと
楽しいことなんてないので
なんとも複雑な気持ちがする
いつもは海外から日本に帰るとき
とても嬉しくて安らぐのだけど
正直、今回は気持ちが重たい
余震や放射能漏れのこともあるけど
それ以上になにか気持ち的に不安定だ
いままでいた場所が
いままでの場所ではなくなってしまっていたら
僕はどこにも戻れなくなってしまう

どれだけ僕たちは
自分たちのいる日本という島が
安全な環境で
自然豊かで
物質的にも豊かで
心優しい
世界でも稀有な場所であったかということを
いまになってなんとも実感するのだろう
大切なものを失って
はじめてその大切さに気がつくなんてことはよくあるけど
あたりまえになってしまっていて
気がつきにくいことなのだということにもできるけど

自分が何者であるかということ
いったいいまなんのためにそれをしているのか

一週間滞在を延長して
ずっと考えていたけど
なんとなく答えはみつかりそうな気もする
自分でそれを作っていくというのが
大人の生き方なのだということを
ようやく最近わかってきた
まだそれができてきているかというのは
まだわからないけど

それにしても
帰ることがこんなに不安だったことは
いまだかつて経験したことがない
どこかにいくことはとても不安だけど
帰ることはいつだって安心だった

いまもうすべては変わってしまった

だからまた新しい生き方を
みつけなくていけないはず
戻る場所なんてドコニカないのだ

それにしても日本に戻るのは不安だ
日本にいる人には
こんな気持ちってあんまり理解し難いだろうけど

とりあえず
市ヶ谷に帰ったら
部屋を片づけなくちゃならない
ぐちゃぐちゃに散らかった部屋は
僕と繋がっているだろう
部屋を片づけたらすぐに
歩いて靖国神社に参拝しにいこうと思う
これは海外に行く時と
日本に戻った時にしている
最近の習慣
もう桜は咲いているだろうか

春の風に吹かれたい
土の匂いを嗅ぎたい

でもさー
ぼくらはただ漂っているだけ
もうわかりましたよね

ガガーリンは宇宙へ旅立つとき
なにを想うのだろうか

もう二度と故郷には帰れないかもしれないと
覚悟を決めただろうか
鼻歌でも歌っていたのだろうか?

goo | コメント ( 0 ) | トラックバック ( 0 )