のんきいきいき So(走) Happy! -櫻庭健一の日記-

いつも笑顔と感謝を忘れずに
甘っちょろいと言われても希望を捨てず生きる
過去の少しの試練はそれで乗り越えたのだから

自殺を志す人(?)に告ぐ

2008年06月04日 22時48分51秒 | Weblog
自殺の方法を解説するホームページがあるというやっかいな時代。
自殺を幇助する掲示板があるという悲しい時代。
例えば練炭がどうのとか、どうやったら楽に死ねるかを懇切丁寧に記載する文章を書いてよろこぶ人がいる恐ろしい時代。

私はそれでも絶望しない。
二十歳のとき精神病院の閉鎖病棟に放り込まれて、それでも44歳の今、ちゃんと生きている私のような人間もいるのだよ。

>厚生労働省が4日発表した人口動態統計に関する記事
#死因については、がんで死亡した人が最も多くて約33万6千人(30%)、心疾患約17万5千人(16%)、脳血管疾患約12万7千人(12%)が続き、自殺は約3万人(3%)だった。(asahi.comより)

これは異常である。
がんで亡くなった人数の約10分の1が、
自殺で亡くなったということだ。

がんによる死はある意味避けられなかった死。
自殺、避けられた死である。

多少説明が必要だろう。
自殺もある面から見れば避けられなかった死。
死ぬ気にさせなければ(ならなければ)よかった。
と言うのは簡単だが、ことはそう簡単ではない。

自殺はよい面がない。
本人の命が失われるのはもちろん、
周囲にも多大なダメージを残す。
と言うのも簡単。
でもさ。
そもそもその辺まで頭が回らないから死ぬんであってさ。
もっと言えば、
「周りの人に迷惑をかけてやる」
が目的のひとつの自殺だってあるはず。

「やっぱりね」
「なんで死んじゃったんだろう」
いろいろな自殺があるが、
衝動もひとつ、冷静もひとつ、
が自殺のやっかいなところ。

私44年生きていますがね。
40年以上生きている人なら、
友だちや知り合いのひとりは自殺で失っている。
そんな体感であると認識しています。

自殺はダメですよ。
人生で絶対に取り返しのつかない犯罪は2つ。
殺人と自殺だ。
自殺だって法律による刑罰がない、
いやそもそも刑罰が科せられないだけであって、
「自分を殺す」
という明確な犯罪なんですよ。

深く絶望した時だけではない。
たったひとつのちっぽけな希望の灯が消えただけでも人は死ぬ。
もったいないです。
その先幸せが来るという保証はない。
死ぬのを思いとどまったとしても今より不幸になる可能性だってあるけどね。
幸せになれる可能性を潰す。
それが自殺。
生きてりゃいいことあるさ。
それが気休めにしか聞こえない時もあるだろう。
だから自らの命を絶とうとするんだろう。
死ねば幸せを感じられない代わりに不幸も感じない。
それが死ぬ人の理論かもしれないけどさ。
ひとつの不幸も体験せずに幸せになった人なんていやしないんだよ。
これ以上不幸にならないために死ぬと言うなら、
幸せになるために生きろ、ですよ。
理論破綻とかきれい事と言われてもかまわない。

私はかつて書いた

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明日が信じられないのなら
とりあえず今日を信じよう

今日があるから
明日もある

今日を信じられたなら
明日も信じられるかもしれない


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私はこうも書いた

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しあわせを しんじよう
しあわせとは しんじること

あきらめないで あすをみよう
あきらめなければ あすはくる

わたしがきょう わかったこと
わたしはなにも わかっちゃいない

せっかくだから せをむけず
せっかくだから せをのばそう


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だからさ、とりあえず生きてみようぜ。

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