のんきいきいき So(走) Happy! -櫻庭健一の日記-

いつも笑顔と感謝を忘れずに
甘っちょろいと言われても希望を捨てず生きる
過去の少しの試練はそれで乗り越えたのだから

これは単なる嫉妬なのかなぁ

2009年03月22日 06時33分34秒 | Weblog
派遣切りや生活苦の人たちに関する報道が、
なんか空々しく感じるのは、
気のせいではないだろう。

テレビ、新聞等の報道するマスコミ。
報道する側の人のほとんどが
決して解雇される不安に怯えることなく、
定昇付きの安定した給与体系にある。
派遣切りを報道してもっともらしいことを言う人は、
決して年収100万とか150万とかでは働いていない。
底辺の人はそれすら夢、という収入の人もいるわけだ。
生活保護以外の収入がない人だっているだろう。
そしてマスコミの人は、
ワークシェアリングの必要性を説きながら、
自らの職と収入を減らそうなんてさらさら考えちゃいない。

そういう現実を否定はしないよ。
報道マンが安定した収入を得られなければ、
民主主義の根幹たる報道が崩壊する。

でもさ。
その上で言いたいのだけれど、
マスコミ関係の人には、
自らがとても恵まれた立場にあることをもう少し自覚して欲しいんだ。
高飛車な物言いからは、
自分たちが恵まれているという謙虚な姿勢が感じられない。
非難の声を上げる人のほうが傲っている。
こりゃおかしいと思うのは私だけなのだろうか。

物事を片方だけの視点で書くのはフェアじゃないから、
ニートと呼ばれる人のことも書いておく。
働けるのに働かず。
親が文句を言うと内弁慶を発揮。
そのくせ親から少なくないお小遣いをもらってのほほんと生きている。
自ら職のブランクを作っておいて、
これじゃさすがにやばいと気づいたのか、
何年くらいかぶりに職探しをして、
誰もまともな職に雇ってくれないと文句を言う。
身から出た錆だ。

ここから先は自己弁護。
私は通算10年以上、心の病を患い働けなかった。
30代になっても親からお小遣いをもらって生活していた。
端から見たら、立派なニートということだったろう。
けれど私は働けるものなら働きたい。
そう強く願っていた。
でも病状がそれを許さなかった。

好んでニートと、やむを得なくニート。
ニートにも2種類ある。
それも確かなことがある。