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創作日記&作品集

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連載小説「もう一つの風景(13)」

2016-02-23 07:29:43 | 創作日記
もう一つの風景

13

 房子は、突然、眠りから覚めた。近頃、時々、このような事がある。意識がはっきりしていて、眠気などまるでない。今まで、眠っていた事さえ信じられない程、目が冴えている。長い時間みた夢と、今、見渡している現実の感覚の落差があまりにも少ない。夢のような現実に居るとも、現実のような夢の中に居たともいえる奇妙な感覚だった。今は、その隅々まで覚えている夢の内容も数時間で忘れるだろうが、この感覚は何日でも房子の生活の底を這いずりまわるに違いない。夢の中に在ったのは過去のことだった。夢の中で房子は何時も過去に生きている。煙草が欲しくなった。灯りをつけて、布団にだらしなく座る。頭の中を巡るのは過去という夢だった。思い出という言葉からかけ離れた一瞬々の連続に生きてきた。もう、自分に関わって欲しくない、意味の無い時間として忘却の水に流されてもいいと何時も言ってきかせるのだが、そうすればする程、細部まではっきりと白黒の映画を見るように蘇ってくる。内と外があやふやな膜に包まれた奇妙な過去という生き物が房子の中で動き出す。
 流しに立って水を呑む。老人会で勧められた宗教に入ってみようかと、ふと、思う。何かを信じたいが、信じるものはなにもない。只、お金は、自分の意思に逆らいはしない。例え、上面であっても、人は私に好意をよせる。ものを食べ、身体の温度を保ち、生活するためには、なくてはならないものだ。その意味で、他のなによりも信じる事ができる。100円の金は100円の生活を産みだす。お金を汚いもののように言う人はお金になんの意思もないことを知らない。一粒の米がいかにお金と等価なのかを知らない。
 病院の地下の厨房で、人に隠れて、病人の残した飯を握った。良一と私が体温を保つのに、100円の米粒に100円の恥を払った。

 一つの光景が蘇ってくる。土曜日の昼下がり、晩秋には珍しい光が満ちていた。六畳一間の家も、そのおこぼれに与っている。それは、昨日のことのように鮮明な光景だった。
 光雄が良一の宿題を教えている。茶袱台を間にして向かい合っている。肘を台に置き、正座を崩した良一に、背筋を伸ばした長身の光雄は正座を崩さずに良一と対面している。光雄の涼しい表情には罪悪感のかけらも感じられない。
 房子は途方にくれて、部屋の隅で膝を崩し二人の様子を見ていた。彼は良一の宿題を教えながら、教員の頃を思い出しているのだろうか? それとも、房子の攻撃を避けるために、ふと思いついた演技なのだろうか?
「あんまり、勉強出来る方やないなあ。手に職もたした方がええ」
 房子を見ずにいつもの平坦な口調で言う。 電車の音が、光雄の次の小さな言葉をかき消して遠ざかっていく。
 一瞬静けさがもどると、隣の赤子が火のついたように泣きはじめた。
「多武峰のお母さんに泣きついたらええのに。可愛いあんたのためなら、ぎょうさん出してくれはるやろ。あんたのいうてる大きな勝負ができるやろ。なんで、家からお米になるお金をなんで持ちださなあかんの」
「お前と一緒になるんやったら、家の敷居またぐなと、あの時、言われた」
「あの人は、どうしてうちを嫌うんや。顔を合わしたんも何回もあらへん。一つ年が上やからなんて、それだけやったら、あほみたいな理由や」
「さあ、わしにもわからん。まあ、分かってもしやないんちゃうか」
 良一が二回あくびしたのを見定めるようにして、光雄は立ち上がり奥の硝子戸を開けた。一尺少しで朽ちた板塀が迫っていた。そこから首を出し、掌にはいるような空を不自由な姿勢で眺めている。
「あっ、雀がいるわ。秋の雀はほんとにきれいな色しているわ。よう肥えて、つやつやした羽して、他のどんな鳥よりきれいなあ」
「どこや、どこに見える」
 良一が光雄の脇の下をくぐるように頭をつきだした。
 硝子戸に一瞬、雀のはばたく影が踊った。
 良一の寝静まるのを待っていたように、光雄が房子の横に身体を滑りこませてくる。房子は、身を強ばらせて小さく言う。
「いやや」
 光雄の手が乳房を揉む。房子の中の女が次第に開いていく。光雄が闇に向かって射精するのが分かる。捉え所のない不安を一瞬の快楽に重ねようとしている。
 私には彼の闇が分からない。女の業のような深い快楽になんの理屈もなく落ちていく。
 光雄は、彼の持つ闇に性の行為が無意味なのを知りながら性懲りもなしに繰り返している自分を深い虚脱感の中で見つめている。
 二つのサイコロが光雄の目の前に浮かんでくる。それは全てを可能にする魔法の鍵だ。金が金を産むように次々に目の前に積まれていく。それは明日必ずやってくる。今まで、散々つぎこんできた金が何十倍にもなって返ってくる。房子は目の前の生活しか考えないから文句をいうが、それも後しばらくの間のことだ。自分は単に博打に狂った男ではない。人が蔑む行為を論理的に完成しようとしている。そこに出る目は一つしかない。それは人間がつくる目だ。はられた金を計算し、時間を計り、瞬時に偶然を引きよせる。指が僅かにサイコロの角度と力のバランスを変え、壷を数ミリ動かし、サイの目がつくられる。そうでなければ、二つの目には、負けるものと勝つものが等分にいる筈だ。いや、賭場自体が成り立たない。何度も自分はそんな眼で観察した。そして、そのからくりを見破った。人間がつくる偶然は、種をあかせば、必然なのだ。十万あればそれで十分だ。いや、その半分でもいい。全ての条件が揃うのを辛抱強く待つ。壷の上の掌が僅かに水平の方に動いた時、サイの目を動かすのは不可能になる。その方法で一つ勝てばあとは倍々になるのは当たり前のことだ。
 いつも誰かの影のような人生で終わってしまってたまるものか。こどもの頃は両親の影のように育ち、教師になれば同僚のなかに紛れて、自分の顔を失い。僅かな金で、負いきれない程の教師という虚像の責任を被り、挙句の果てが、何人もの責任を一人で背おわされ、教師という虚像まで剥ぎ取られた。そんな俺が、これからも、自分の子供や妻の影になって生きていけというのか。あたふたと自分の前の一歩の安全ばかりを一生の目的にして生きるなんてのは、もう、まっぴらだ。
 サイが振られる時、間違いなく自分の血が身体を駆け巡っているのを感じる。誰のものでもない俺の血だ。
 あの茶筒の中だ。房子の視線が時々あそこにいくのが分かった。もう、これ以上お前には迷惑をかけられまい。最後にする。万が一負ければ二度とこの家に姿を見せない。お前が泣いて頼んだ通りにしてあげる。僕は決して無頼漢ではない。また、そうはなれない人間なのだ。だから、ものの程というものを心得ているつもりだ。
 そこまで、一気に考えて、光雄は沈黙した。深い闇に向かいながら、それに顔を背けている自分を意識する。彼の今の生活は、あの生徒の死から逃げるための単なる理由としてあるのかもしれない。自分は犠牲者だ。生贄だと納得させてきた。房子も、まわりの好意的な人間は皆そう言った。
 伊勢の海での出来事。
 生徒を浜辺に集めて彼は何度も言った。あの赤いブイから先は行くな。
 海のない奈良県に育った彼は、ふと、人から離れて海を一人で見たくなった。他のクラスの担任の若い男の教師に声をかけた。彼は気軽に引き受けてくれた。それでも念を押して、もうひとり手持ち無沙汰に浜辺に腰を下ろしている女の教師にも頼んだ。
 岩場に腰を下ろし、煙草をふかしながら、何気なく、子供らの方を見た。小さな点のように見える子供たちが、尋常でない動きをしはじめた。一斉に浜辺に上がり、点は何かにつかれたような不自然な動きをしていた。誰かが手を振っている。早く来いと、激しく振っていた。
 U君のことは大変悲しいことです。しかし、先生だけを責めるのは間違っていると思います。赤いブイから先は行くなと、先生は二度も注意されました。それを守らなかった私達クラス全員が反省しなければならないと思います。また、U君がここにいてもそう言うと思います。
 大人の手垢のついた児童の作文が彼をたまらない気持ちにさせた。今まで動いていた気持さえ、自責の材料になった。二人の教師は彼から頼まれたことをおくびにも出さなかった。自分を彼等の立場にはめこめばすぐにわかることだ。
 結果は一つだった。彼の受け持ちの生徒が、彼の目の届かない所で溺死した。
 いくら悩もうと糸口さえ掴めない事実という心の闇に、残された算段は逃げることしかなかったのかもしれない。それも、意識することなしに。To be continued 


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