いかりや爆氏の毒独日記

最近の世相、政治経済について「あれっ?と思うこと」を庶民の目線から述べていきたい。

司馬遼太郎以降の右翼的な思潮・・・ 

2011-07-31 20:03:16 | 日記

明け烏:

 1991年に旧ソ連が崩壊して自由主義の優位が言われるようになったが、現在のような右傾化した思潮がおおっぴらに語られることはなかった。いわんや戦前を懐古するような言論、先の戦争が日本の自衛のみならずアジア諸国の解放を目指していた、というようなどうしても首肯しがたい論説、さらには日米安保条約によってこそ日本は中国や朝鮮半島などの東アジアの国々の脅威から防衛ができるという論調が出てくることはなかったものと記憶する。バツの悪くなった社会主義信奉者が、いや社会主義的要素によって労働者などの弱者の権利が守られ、地位向上につながったと、小声でぼそぼそ喋っていた程度である。

 では今となっては遥か昔からずっと主張されてきたような気がする現在の右翼的な思潮がとうとうと表立って流れるようになったのは何時からだったのか?― 私は1996年の「司馬遼太郎氏の死」からではなかったかと思うのである。氏の死去によって本邦の知識人の頭から何らかの重石がとれたのではなかろうか。

司馬遼太郎氏は先の戦争を「明治の元勲たち亡き後、国家を自分の出世の道具としか考えなくなった官僚(軍部)たちによって統帥権という明治憲法上の綻びを突かれて、戦争に至った」という考えを一貫して主張してきた。

その思想の淵源が「とんでもないポンコツ豆タンクでソ連の世界最強と思われる機甲師団と対峙せねばならなかった(ノモンハン事件)」という実体験にあるだけに観念的右翼思想はこれに思想的な芯の強さで太刀打ちできずに息を潜めていたのである。

また「アジア諸国の解放を目指した戦争」などという論調は、一笑に付されたものと考えられる。「アジアの解放」などは、あくまで大戦によって体力の弱った欧州諸国がこれを維持しえなくなったという側面も無視しえないはずで、実際、日本とは関係なくヴェトナムなどは本当の独立を果たすために、数十年の年月を要してフランス、米国、中国などと戦わねばならなかった。

世界に国がいくつあるか知らぬが、他国の独立のために戦争をしてくれる国家もなければ、自国民が自ら戦わずして得た独立も絶無であったことは少し歴史を眺めてみれば自明のことであろう。―しかし司馬遼太郎氏は亡くなってしまった。これによって本当の戦場を知っている思想家は居なくなってしまったのである

かつて柴田錬三郎は三島由紀夫を評して「三島があのような軍隊ごっこをしていられるのは内務班でのビンタと苛めの洗礼を受けていないからだ」といい、また石原慎太郎に対して「戦争も知らない青二才が世間受けをする勇ましい発言をしているに過ぎない」と歯に衣着せぬ評をくだした。

 司馬遼太郎氏、柴田錬三郎氏、古山高麗雄氏などの戦争の裏づけをもった「煙ったい先達」がいなくなった後、2000年を目前にして出てきたのが現在の奇妙な右傾化思潮であった。
 彼らの唱えるところは、自由主義と資本主義の完全勝利に基づく「新自由主義」という究極のレッセ・フェール(自由放任主義)、日本の核武装化と日米同盟という名の日本の傭兵化、徹底的な東アジア排撃主義が混然一体となった新種の右翼思想であった。さらには戦前の軍部に対する賞賛も加わっていたような気がする。

この思想は最初こそきょろきょろと周囲を見回すような気弱な風情であったがやがて勇ましさと過激さを増していった。元々が極めて観念的な土台から出発していたからである。そして3・11を機に振り返ってみれば、これらの思潮が「原発の絶対的安全神話」を前提条件にしていたことが明らかになった。

さらにはジョン・ウェインの「駅馬車」的虚構をも含んでいたのである。つまり憎っきインディアンの銃撃は馬には当たらずに人間だけに命中する、中国や北朝鮮からのミサイル攻撃は原発には当たらずに東京などの大都市だけに飛来するということである。いい所取りの空想科学思想とでもいうべきなのかもしれない。

余談になるが、時期を同じくして終戦記念日に「皆さんの尊い犠牲のお陰で今日の日本の繁栄が築かれました、云々」というぞっとするような挨拶を聞くようになった。大体、戦没者の犠牲と日本の戦後の繁栄との間に論理的なつながりはないと思う。こういう馬鹿げた台詞が通用するのであれば「戦争に負けたことによって国中原発だらけにされて挙句、その事故によって国自体が破局に瀕しているのだから皆さんの死は『犬死』であった」という理屈も通用することになる。戦没者の追悼という人間として当然の心情的行為におかしな付加価値を付けて自分らの考えを正当化しようとするから、こういうことが出てくる。

いかりや:
1991年に旧ソ連が崩壊して自由主義の優位が言われるようになったが、現在のような右傾化した思潮がおおっぴらに語られることはなかった。いわんや戦前を懐古するような言論、先の戦争が日本の自衛のみならずアジア諸国の解放を目指していた、というようなどうしても首肯しがたい論説、さらには日米安保条約によってこそ日本は中国や朝鮮半島などの東アジアの国々の脅威から防衛ができるという論調が出てくることはなかったものと記憶する。

現在の右翼的な思潮がとうとうと表立って流れるようになったのは何時からだったのか?― 私は1996年の「司馬遼太郎氏の死」からではなかったかと思うのである。氏の死去によって本邦の知識人の頭から何らかの重石がとれたのではなかろうか。

筆者は、司馬遼太郎氏が、「本邦の知識人の頭から何らかの重石がとれたのではなかろうか」と言われる程の重石的存在感があったどうか疑問だと思っています。

むしろ、旧ソ連が崩壊することによって、冷戦構造が崩壊したことが大きいと思っています。アメリカが「次は日本だ、経済大国になりすぎた日本をなんとか始末しなければならない」として、日本に仕掛けた「日本弱体化戦略」の一環として起きた現象ではないかと思う。だから、現在の右翼的思潮といっても、言葉を変えて言えば、一皮むけば「親米保守」じゃないですか。

 従って、明け烏さんが指摘するように、
””彼らの唱えるところは、自由主義と資本主義の完全勝利に基づく「新自由主義」という究極のレッセ・フェール(自由放任主義)、日本の核武装化と日米同盟という名の日本の傭兵化、徹底的な東アジア排撃主義が混然一体となった新種の右翼思想であった。さらには戦前の軍部に対する賞賛も加わっていたような気がする。””となる。底の浅い、薄っぺらな右翼思想、こんなものを思想と言える代物ではないと思う。真の右翼思想であるならば、断固として反米、もしくは自立をめざすものでなけれならない



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2 コメント

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暗喩と直喩 (通りがけ)
2011-08-01 17:53:53
私と明烏さんはほとんどいつも同じことを言っていると思う。表現が直喩か暗喩かの違いだけである。
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まず捕えて断罪せよ (通りがけ)
2011-08-01 17:54:30
>「エネルギー」とは?「社会」とは?「人間」とは?(「日本人」の研究!さま)
>>http://cpt-hide-cook.seesaa.net/article/217694712.html

子供は国の宝である。子供を育てる社会は未来へ続いていけるが、子供を見殺しにする国に未来などないのはあたりまえである。

ヤクザの世界のように親(分)のために子(分)が死ぬ逆縁を構成員に要求する社会など、人道に真っ向から背く背徳非合法犯罪組織でしかないのである。
戦後日本社会は田中角栄首相時代を除いてすべて戦争マフィアアメリカを親分とする恥知らずの対米隷属政治を続ける泥棒官僚国家でしかない。

直ちに地位協定を破棄して反人道政治犯罪組織を断罪し解体せよ。断罪無き自主解体は刑事責任の所在をごまかすためであり、犯罪組織の常套手段である摘発逃れ・証拠隠滅・とかげのしっぽ切りであるから、必ずまず最初に厳しく断罪を行わねばならない。
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