いかりや爆氏の毒独日記

最近の世相、政治経済について「あれっ?と思うこと」を庶民の目線から述べていきたい。

原発と核武装論(続き):西部邁氏・伊藤貫氏の核抑止力論はほんものか?

2011-05-22 12:50:23 | 日記


 前回西部邁氏と伊藤貫氏の対談の前半部分を紹介しました。その最後の部分は次の通りです。今回はその続きからです。

西部:
日本人の冷静な方でも、「西部さんの核武装論はわからんでもないけれど、日本の軍人軍隊、日本人は信じられない」 ありていに言えば日本人に核をもたせると暴走しかねない。それで反撃した積りらしいけれど、「西部さんは大衆社会論をやりながら、戦後日本人は信じられないと、再三再四おっしゃっているでしょう」。何故貴方は日本人を信じられなくて核武装論を言うんですかという反論するんですね。
仮に、貴方(伊藤さん)はこう質問されたら、どうしますか?

伊藤:
そういう議論は私も考えていて、それは半分正しくて半分間違っていると思う。なんで半分正しいかと言うと、日本人はだまされやすい。議論は、三つの段階がある

① フィロソフィカル(哲学的)レベル
② パラダイム レベル(考え方のパターン)
③ ポリシイ レベル

日本人は③のポリシイレベルの細かい議論が大好きなんです。ところが、「おまえ、そのパラダイムはおかしいんじゃないの?」というと、「ええー? 何言ってんの?」と言う。
要するに、「このパラダイム使うとこうなるけど、あっちのパラダイムになると別の分析になるんだよ」という議論になると、興味を失っちゃう人が・・・

西部:
もっと言うとトーマス・クーン以来のパラダイムというものを誤解しちゃって・・・学者たちは、自分たちの固定観念に縛られて、固定観念に合わない事が出てきても、それをずーっとうまくごまかしていく。ノーマルじゃないアブノーマルなことが積み重なって、或る段階になるとパラダイムが崩壊すると書いてある本、70年代に評判になった「新しいパラダイムを求めて」と言う本が、結構売れていた。直訳すると「新しい固定観念を求めて」ということになる。

それで貴方の言う三つの段階がどうしても必要なのねいろいろなパラダイムがあって、それぞれのパラダイムが、どういう意味で固定観念、あるいはどういう組み合わせをすると、よりよくなるかを考えると、貴方の言うフィロソフィー(哲学)しかない。だから、ここ(パラダイム)から始まるのも困る・・・

伊藤:
ものを考えるときに、日本の人は怒るかもしれないけれど、日本の方の議論は細かいポリシイ・レベルの話が大好きで、フィロソフィカル、パラダイムの議論がない人が多いんですよ。

日本人は情緒的、感情ですよね。フロソフィカルな議論もパラダイムの議論もないから、結局、好き嫌いになってどっちかに、バーッと行っちゃうそういう意味で日本人が暴走するんではないかという議論は、50パーセントは賛成なんです。だけど「核兵器というのは「使えない兵器なんです」、これがいいところで・・・核兵器持っても暴走できっこない。

「だって、核兵器持って、中国とロシアが撃ち合いするかっていうとそれはできない」、北朝鮮と撃ち合いするか、どんなに頭がカッカしても、それは止めといたほうがいいということになる。そうすると、核兵器というのは・・・ほかの国が日本にたいして攻撃した時に、日本がもしかしたら、報復攻撃するかもしれませんよと、要するに向こうの攻撃を抑止するために・・・以下省略。

 以上が、西部氏と伊藤氏の言う「核武装論、核抑止論」です。核武装論を説く人たちの基本的認識だと思う。
 問題は、前回筆者が述べてきたように、日本は全国18ヶ所に55基の原発を抱えていることである。原発は非常に脆弱で極めて危険な代物であることを福島原発があらわに実証してくれた(福島原発事故は、チェルノブイリ事故とは異なるという人もいるが、事と次第によってはチェルノブイリ以上の大惨事を招く要因を孕んでいる)。この日本全国に林立する原発の脆弱性を考慮せずに、「核武装論、核抑止論」が成り立つのだろうか。

 狭い日本にこれだけの原発を抱えて、有事の際、仮に相手国は核保有国でないとしても、普通の弾頭のミサイルを原子力発電所施設にぶち込んだらどうなるのだろうか。日本は核武装しているから、そんなことはあり得ないと高を括っていいのだろうか

 相手国は、原子力発電所はやばいから、原発を避けて攻撃してくれるだろうか。日本は核武装しているから、核抑止力が働くからそんなことはないと、高を括っていられるのだろうか。有事の際に相手側の善意を信じて原発を避けて攻撃してくれるはずなどと信ずる人はいないだろう。もし、原発を攻撃してきたら、その時こそは、「核」で反撃するのだろうか。そうだとすれば、日本人の暴走が始まって「使わない兵器」だったはずが「使う兵器」に変身することになる。そうなれば、西部氏・伊藤氏の言う、オキシモラン(oxymoron:矛盾話)になる(苦笑)。
 それにしても、従米媚米する属国日本が核を保有することをアメリカは許すだろうか。
アメリカは日本をがんじがらめにして離さない、そして日本から吸いとるだけ吸い取ろうとする。まずは、せめてそういう現状を日本人全体で認識してかからねばならない。

さて、話しを戻して伊藤氏の言う日本人の議論の三つの段階について、

① フィロソフィカル(哲学的)レベル
② パラダイム レベル(考え方のパターン)
③ ポリシイ レベル

 伊藤氏が指摘するように、日本人は上記③のポリシイレベルの細かい議論が大好きな民族です。上記は、日本人の本質をよく突いていると思う。

 日本人の主張や議論では、上記③の枝葉末節の思いつきレベルの話が多い。たとえば、菅首相は(菅首相だけではなく、自民党、民主党議員も含めて)、財源問題になると必ず、短絡的に「消費税アップ」を言う、小泉政権から言われていた「消費税アップ」という固定観念に縛られています。この15年余りの間に、日本人の年間収入が激減して、年収200万円以下の給与所得者が24.5%、300万円以下の人は42.0%である(国税庁調べ)。何故これほど収入が激減したかについて考えようとしないし、低下した所得を増やす政策は語らない。消費税アップがどれほど低所得層に痛みを与えるか理解できていない。

 本ブログでは、現在の政治家や経済学者や科学者など、その道のエリートたちを遠慮なしに批判させてもらっている。この国の錚々たるエリートたちの考えがかくも幼稚化したのは何故なのだろうか。確たる裏づけがあるわけではないが、戦後の教育が、上記③レベルの教育が主体であって、①レベルの教育がすっぽり抜け落ちたからではなかろうかと思う。

参考:

偏差値エリートは何故役に立たないか:彼らが今この国を危うくしている (2011-04-25)
http://blog.goo.ne.jp/ikariyax/e/523e1ec94a07fd17e9aaa4cdaf026e63

デジタル脳とアナログ脳:、デジタル脳が国を危うくしている (2011-04-27 )
http://blog.goo.ne.jp/ikariyax/e/6993aa410c2fdecbf9fc5cf6c5a23955

ずるいぞ!『バカの壁』の著者、養老孟司氏・・・原発問題はイデオロギー?
(2011-04-29)
http://blog.goo.ne.jp/ikariyax/e/9fc7e0c8ceb2dd4efd99b286a908ebd6

「バカの壁」について (2011-05-01)
http://blog.goo.ne.jp/ikariyax/e/da414351a7cc2aca8e79579f5a075e13

 



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3 コメント

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無免許暴走内閣は退陣でなく罷免追放逮捕起訴相当 (通りがけ)
2011-05-23 13:09:23
国会議員がやるべきことを順序よく示しましょう。

まず地位協定破棄。

つぎに内閣不信任案提出。
それができないなら直ちに東電と保安院を国会証人喚問して刑事責任を追及し、業務上過失致死傷および未必の故意殺人と殺人未遂で告発し逮捕強制捜査する。菅総理は不逮捕特権があっても3者共謀共同正犯のうち2者が逮捕されれば特権は消滅し必然的に逮捕され失職となる。
いずれの方法でも直ちに菅内閣を消滅させ、非常事態につき天皇認証を省略して救国内閣を即日立ち上げることができる。
日本の問題の根源はすべて地位協定の存在と米国スパイの巣窟霞が関にあるから、救国内閣はまず霞が関の機能をすべて停止凍結して解体することから救国活動を始める。最高裁は霞が関の一機関に過ぎないから霞ヶ関機能凍結と同時にこちらは全員懲戒解雇する。その間裁判は二審制で行えばよい。
救国内閣は発足と同時に以上の緊急措置を行なった上で、震災(天災)と原発メルトダウン(人災)への対応は国家非常事態宣言を出して迅速に行う。

これらのすべてを淡々と確実に実行できる見識と行動力がある人物は、霞ヶ関と多かれ少なかれ癒着している現国会議員にはひとりもいない。やはり以前から述べているとおり前阿久根市長竹原信一氏を首相にするしかないであろうね。民主党の比例代表議員にひとり辞めてもらって名簿最上位に竹原氏を置いて衆議院議員職交替しとけば簡単解決。民主じゃなくても衆議院に比例の議席を持つ政党ならどこでもいいけどね。どうせ政党などなんの意味もないから日本国会では。

結論:菅無免許暴走内閣は退陣ではなく罷免追放逮捕起訴相当である。
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思潮の転換点 (明け烏)
2011-05-24 09:34:38
バブル崩壊後の日本で優勢となった思潮の基礎になっていたのは「日本の原発絶対安全神話」であった。日米安保必要論を唱え原発に賛成する者もこれに反対する者も中立的見解を採る論者も、そして無関心どちらでも良いと考えていた者たちも、その根底には「チェルノブイリは科学技術の劣ったソ連でこそ起こったことで日本の原発だけは大丈夫」という無邪気な思い込みに支配されていたことは間違いないようである。これはかく申しているそれがしも失礼ながら、いかりや爆師匠も同様であったと思う。

我々は全員、今、己の考えの基礎が完全に崩壊してしまったことを素直に認めて、また誤った考えを同じく素直に認めて、これからのことを一から考え直さねばならない時期に来ているのではないか。

かつて社会主義幻想のユーフォリアからの脱出ないし重心移動は、こっそりと姑息に行われ、かつての左翼陣営から、気が付いてみると日米同盟必要論や中国脅威論にしっかり重心移動をしていた者たちがいた。その浅薄さを私は常に批判して罵ってきたつもりだが、彼らも今、苦境に陥っていることであろう。
もし彼らのいう中国・北朝鮮からの侵略が現実的なものであって絵空事でないのならば、彼らは自衛隊を総動員して全国54基の原発を守るべくここに貼りつける必要性を大声で主張しなければおかしい。米軍に要請して大至急兵を借りて陸海空からの大がかりな警戒体制を構築する必要がある。
しかしこういう声はまったく聞こえてこない。当然である。中国・北朝鮮からの脅威論が虚構であったからである。そこから導き出す日米同盟論が夢幻だったからである。

彼らは今、これからの身の処しかたを周囲にきょろきょろ目を配りながら苦慮している最中である。そして流行の思潮に提灯を付けて勇ましい発言を繰り返してきた「ネット右翼」たちは、置いてきぼりを食うのではないかとこれまた慌てている。

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抑止効果 (Kumago)
2011-12-01 21:31:48
「わが国の原発及び関連施設への攻撃は我が国への核攻撃とみなし、直ちに躊躇なく適切に反撃をする」
核を持った上で、こう宣言するのが「抑止力」では。
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