いかりや爆氏の毒独日記

最近の世相、政治経済について「あれっ?と思うこと」を庶民の目線から述べていきたい。

「失敗学」の権威が福島原発事故を検証だと?

2011-05-26 18:30:47 | 日記

いかりや:
畑村洋太郎東大名誉教授(70)が、福島原発事故の原因を究明するため、第三者機関「事故調査・検証委員会」の委員長に指名された。畑村名誉教授は「失敗学」の権威だそうです。

今までなんの失敗もせずに東大の名誉教授にまでなられたお方でっしゃろ?失敗の経験もなしに「失敗学」の権威つーのも、ようわかりまへんなあ。要は、人の失敗はようわかるつーことだべなあ、人のアラ探しが上手つーことだべか?

衛藤晟一議員が、外務省幹部に激怒して コップの水を掛けたつーニュースみますた。

経緯はこういうことらしい。 韓国国会議員が視察のため北方領土を訪問した。視察に際して「中止を働きかけたか」と外務省幹部にたずねた。ところがこの幹部が答えずに横を向いたことに激怒、コップの水を掛けたという。

この事件は、「失敗学」からいうとその原因は、外務省幹部の「顔横向け」にあるのか、それとも衛藤議員の「コップの水掛」が悪いのでしょうか?

畑村洋太郎東大名誉教授の答えは、意外のものですた。何と答えたと思います?

それは、「失敗学」からみても 難問じゃよ。敢えて言えば、「水掛論」じゃ! さすが失敗学の権威だなす(笑)。

Drジョー:
>畑村洋太郎東大名誉教授(70)が、福島原発事故の原因を究明するため、第三者機関「事故調査・検証委員会」の委員長に指名された。畑村名誉教授は「失敗学」の権威だそうです。

失敗から学ぶことは世間の人々にとって当たり前、
「失敗学」なんぞと名前を付けるところ、いかにも権威の好きなお方の話らしくて笑っちゃいますがな^^

まあ、よろしおます。他人の失敗は蜜の味、気分良く?アラ探しなさって仰ることでしょう「アラアラ、随分失敗が重なってますね」(笑)

>衛藤晟一議員が・・・視察に際して「中止を働きかけたか」と・・・この幹部が答えずに横を向いたことに激怒、コップの水を掛けたという。

「ふん、何を今更、答えようがあらへん」横向いて考えていた幹部さん、いきなり水を掛けられてビックリしたやろなあ^^

水を掛けたのは自民党参議院議員で掛けられたのは外務省幹部、権威ある?方お二人が幼稚な喧嘩したんやさかいに・・・犬の喧嘩みたいなもんでっしゃろ(笑)

いかりや: 
 今回の福島原発事故の失敗を突き詰めていけば、「原子力発電所を作ったことが間違っていた」となるはずである。

 仙谷由人官房副長官は記者会見で、同委が事故対応の調査のほか、日本の原子力行政の「歴史的経緯に踏み込まざるを得ない」と述べた。もし、本気でそう思うなら、失敗学の権威に頼らなくとも、もう結論は出ている。

 これまでも述べてきたように、『人類は未だ放射能をコントロールする技術を持っていない。多分、今後未来永劫、放射能をコントロールする技術は持ち得ないだろう』これに尽きます。

 原発は、熱を取り出すのも、冷やすのもパイプを使用しています。縦横に走るパイプは、地震に対して脆弱である。どんなに頑丈なパイプを使用したところで、接合部分は壊れるかひび割れが起こる(頑丈にすれば脆くなる)。その外、大きな地震にに対して、頑丈なコンクリートと言えども必ずひび割れが起きる。これらが、原因を特定できない汚染水の水漏れを引き起こしている。

 その上、原発は安全保障の観点からみても、日本を危うくしている。原発を推進してきた人たちの、責任は重い。日本の政治(政治だけではないけれど)の最大の問題点は、今に始まったことではないが、誰も責任を取らない仕組みになっていることである。責任を曖昧化するため、「失敗学」の権威でごまかそうとしている。

余談:

小出氏は5月23日の参院の行政監視委員会で、責任について、次のようなことも述べています。

 現在の福島原発の事故は、誰の責任か明確にしないまま、労働者や住民に犠牲を強いています・・・、
原発の長期計画に関わった原子力委員会、或いはそれを支えた行政は一切責任を取らないで今日まできている・・・日本の「もんじゅ」と言う高速増殖炉の原型炉だけでも、既に1兆円以上の金を捨ててしまっている。

日本の裁判制度で言うと、1億円の詐欺をすると、1年の実刑になるそうです。1兆円の詐欺をしたら1万年です。原子力委員会、原子力安全委員会、或いは経産省、通産省等々、仮に100人が関わったとすれば、一人100年間の実刑に相当します。

そして、彼は最後にガンジーの碑に刻まれている七つの言葉を引用している。

① 理念なき政治 
② 労働なき富
③ 良心なき快楽
④ 人格なき知識
⑤ 道徳なき商業
⑥ 人間性なき科学
⑦ 献身なき崇拝



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2 コメント

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慢心の恐ろしさ (明け烏)
2011-05-26 22:32:27
平均的な日本人は、今回大事故を起こした福島原発が実はアメリカのGE社製であったことに多少の驚きを覚えたのではないだろうか。正直に白状すると私なぞは相当な意外感を受けた。当然、日立なり東芝製だと思い込んでいたのである。そのくらい日本の科学技術に対する過信は多数に浸透していたのである。
思えば、斯様な考えが本邦に行き渡り始めたのはニクソンショックを経て1980年代、例の「JAPAN AS NO1」が出版されたあたりだったかもしれぬ。それまでは何やかにやと言いながらも欧米の科学技術に対する密かなコンプレックスが我々の心の片隅にあったような気がする。

ところが1980年代に入ると「米国車の中に置き忘れられたハンバーガーまたはコーラの瓶」という都市伝説がまことしやかに流布され、日本こそあらゆる科学分野において世界の最高峰であるとの迷信を多くの日本人が信じ込むに至った。無論、私なぞ、その典型であった。

かの渡辺昇一氏などは「細部(の工夫)を得意とする民族は(大掛かりなものでも)何でも出来る」という謬想を本にして大当たりをとっていたくらいである。

そこにはスポーツをはじめとして「一芸に通ずる者は・・」のある種の万能論に対する無邪気な信仰があったものと思われる。少しスポーツをやってみれば、他の種目はからっきしだが、そのスポーツにだけは長けているという人間がいることを目にすることがしばしばある。知らぬことだが科学の研究分野もまたそういうものであろう。

太平洋戦争の大敗から我々は意外にも日本人が大きなシステムの構築能力に劣った部分があるのを一旦は悟った。戦略の失敗を戦術で補うことは出来ない、という簡単な公理を嫌というほど学んだのである。しかしCPUの設計がインテルに独占されている現実があったにも拘わらず私たちは、またもやそれをコロリと忘れて慢心に至ってしまった。天狗の鼻をひくひくさせ始めたら、それは凋落の始まりであるのは万古不変なのかもしれぬ。
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もうすこし (道々)
2019-11-08 22:07:34
勉強してから書くべきでしたね…。
妄想で人を非難するなんて恥ずかしい行いです。
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