昨年3月3日当時の民主党代表小沢氏の大久保秘書逮捕から、今年1月15日の3名(石川議員、大久保秘書、池田秘書)の逮捕拘留の検察の目的は一体何だったのかがよくわからない。客観的にみれば、小沢氏を狙い撃ちにしたとしか思えない。
憲法第十五条の2は「すべて公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない」とある。
法の番人の一翼を担う検察自らが、憲法違反のおそれがある。透明度を高めるためにも、検察は堂々とその理由を公開すればいい。検察には裏金疑惑もある。彼らは自分たちがしでかした今回の一連の小沢氏関連の捜査が、この憲法第十五条の2に反していないという合理的な弁明ができるのだろうか。法の下における平等にも反している。
あくまでも主権は国民の側にある、国会議員は国民が選挙によって選んだ人たちである。国民にとっては、はっきり言えば「どこの馬の骨」かもわからない官僚(検察)が、これほど日本の政治に深く関与すること自体が異様である。検察の予断をもった国会議員の捜査は断じて許されるべきではない。
検察の国会議員に対する捜査は、検察の恣意的な裁量にまかせて行われるのであれば、議会制民主主義を破壊するものである。何万、何十万の国民の付託をうけて当選した議員を、官僚のご都合主義(些細なことに因縁をつけて)によって捜索や逮捕拘留することが許されるのであれば、検察という行政機関が議会の上に君臨することとなる。まるでやくざ国家か軍事政権が支配する後進国並みである。それにマスコミが検察と一体化するがごときは、脳梗塞と認知症の合併症みたいなものと言わざるを得ない。
上記を踏まえれば、国会議員および秘書の検察の捜査は、
①国会の付託をうけて行う、②国会の承認を得て行う、③具体的な犯罪を裏づける証拠がある場合、などなんらかの歯止め(付帯条件)をつける必要がある。
昨年3月の大久保秘書逮捕起訴も、今年1月15日3名の逮捕起訴も、裁判がまともなら限りなく無罪に近い。裁判官もぐるならば冤罪を生む恐れがある。非難されるべきは、暴走した検察とそれに同調したマスコミにある。民主党議員たちは堂々と「検察とマスコミ」を非難すればいいのである。にも拘わらず、民主党内の幹部議員のなかから、小沢幹事長の辞任を促す発言が横行している。議会制民主主義のイロハを理解していないお粗末議員かそれとも、小沢氏追い落としを企むグループ?嘆かわしい限りである。
素直に書けば良いのだが、へそが完全に曲がっている人間なので、いくら月とスッポンとはいえ先んじられると・・・
「毒蛇山荘日記」に以前にも福田恒存のことをとりあげていました。
本日の彼の日記は、””日本テレビの太田光の「もしも私が総理になったら」という番組のことを題材にしていました。「日本をよくした人は?」と「日本をだめにした人は?」というアンケートを実施したら、「日本を良くした人」の一位が小泉純一郎で、「日本をダメにした人」の一位が小沢一郎なのだそうである。””
僕は読売テレビは、「笑点」と「スポーツ中継」以外はみたこともない(昨日の「笑点」は都合によりみなかったけれど)、「日本を悪くしたテレビ局は?」と言えば、一位はゴミ売りTV局でしょう。
話は変わりますが、
明け烏さんの2.25コメント:「人に上下なけれど・・・ 」で皇室のことが書いてありました。
>今の、ネット右翼と呼ばれる人々が皇室に対してどのような感情を抱いているかは知る由もないが、私は私なりに実体験に由来する崇敬の念を有しているのは間違いないと思っている。
僕の場合、
戦時中の話しですが、我が家の床の間に神棚があって、長押(なげし)には天皇一家の写真(額縁入り)が掲げてあって、毎朝必ず食事前にその写真に一礼して神棚に手を合わせるのが我が家の習慣でした。
だから、天皇については理屈ではなく、「尊崇」することが体に染み付いてしまっています。
大体、アメリカの大統領が「ロン・ヤス」などとファーストネームで呼ぶほど日本の総理大臣を本気で友人と考えることなどあり得ないと思うのです。同様に、いくらジョージ・ブッシュが頭が悪くても、小泉を心から「ジュン」などと言うはずもない。外交には偽善や建前が付き物とはいえ、こういう絶対にありえないことを「ジュンイチロウ」あたりは、まともに信じていた気配すらあります。
まあ、どこの酒場(女性のいる)に行ったって金払いさえよければ、お世辞くらい言ってくれますからね。ところが「ヤス」「ジュン」あたりは、酔った頭で「あれっ、ゴジラに妹はいたっけかな?」と思い悩まなければならないようなご面相の女に、”You are very cute.”などと金払って、お世辞たらたら言ってんですから、何をか況やです。
まず改札を出ると左手にトイレがある。何の変哲もないトイレだが、ここは終戦直後、Mさんという青年が進駐軍の将校の夫人と心中した場所である。
Mさんは何かの本で読んだのだが戦前は東京美術学校(東京芸大)に通う画学生であった。友達が召集されるとムシロ旗を作ってからかうために見送りに行ったり、飼っていたフクロウを焼き鳥にして食って「うまい、うまい」と喜んでいたが、自分も特攻に招集される。しかし飛行機の操縦も覚えぬうちに終戦となり、今更、大学に戻る気がなくなり、ぶらぶらしていたらしい。
やがてアメリカ軍の将校の家に壁画を描くアルバイトに行って、夫人と恋仲になったという。
二人はもっと遠くまで逃げるつもりであったが置手紙が予想外に早く発見されたために綱島駅で身柄を押さえられる。すると夫人がトイレに行かして欲しいと言って、派手に抱き合って服毒して心中するのである。
それにしても当時の時代背景を考えると進駐軍の将校夫人と恋愛関係になって心中に至るというのが凄い。Mさんの同級生(確か麻布中学の出身)のみならず、ほぼすべての日本の青年が「M,やったな!」と激しい感動を覚えたという。
さて、綱島駅を左に出て中原街道を渡ると「東京温泉」という入浴施設がある。私が小学生時代には「船橋ヘルスセンター」というのがあったから、その神奈川版というところか。
ここは昭和35年(1960年)に日比谷公会堂で起きた社会党委員長・浅沼稲次郎暗殺事件の犯人、山口二矢(おとや)少年の父親(航空自衛隊の幹部)がマスコミの追及を逃れるために長期間、身を隠していた場所である。山口二矢の当時の年齢が17歳であったこと、その父親の心中を思い巡らすと、これまたごく普通の銭湯のような「東京温泉」の湯が身に沁みてくるから不思議である。一回だけ行ったことがある。
次に綱島駅に戻って今度は横浜に向かって右手に行くと、三十数年前は温泉旅館や割烹店が軒を並べており、街を歩くと明らかにその昔、芸者をやっていたと思しき女性とすれちがったものである。
昭和53年(1978年)に大韓航空機銃撃事件があった。のちには大韓航空機撃墜事件といのも起こっている。両事件とも何故、両機がソ連の領空を侵犯したのかは謎のままであるが、前の事件で機銃掃射により唯一死亡したのは、この綱島温泉の、とある大きな温泉旅館の御主人であった。
こういう凶事が契機になったのかは分からないが、その後、綱島温泉は急速に衰亡して今は、イトーヨーカ堂を中心とした洒落たショッピング街になって温泉街の面影など、何処にも見出せないようになっているらしい。近々、再訪してみようと思っている。
# いかりや師匠、ブログの趣旨から外れたような下らない雑文ばかりの投稿、大変申し訳なく思っております。
私はスケートの採点の基準について明るい人間ではない。元々、冬にやるスポーツは寒くて苦手なところがある。仄聞するところ今回の井上真央選手の負けは明らかに戦略のミスである。JOCの委員たちは採点基準の改正について手をこまねいて、ただ見ていたのであろうか。高給をもらって接待酒か袖の下を貰うことにでもうつつを抜かしていたとしか思えない。恐るべき無能である。
採点の伴うスポーツ競技に、ある種の戦略ないしは政治力(?)をまったく欠いたまま臨むのは無謀以外の何者でもない。採点がない競技にすら政治力は必要なのだ。(例 バレーボール)
私が最も気の毒に思ったのはシドニー・オリンピックの柔道無差別級における篠原選手の負けである。あれは明らかに内股すかしで篠原選手の一本勝ちであった。ところが金メダリストであるY下氏やS藤氏は、ただ怒鳴っているばかりで正式な抗議すらしなかった。正式なルールすら知らないで指導者としてオリンピックに行ったのか、単なるスポーツ馬鹿だったのか。国家規模の選手団としては恥ずべき事態だったと思う。
金メダリストの清水宏保選手が図らずも暴露したように、JOC委員たちは税金を食むばかりで選手を大切にすることを、そして勝ち負けのあるスポーツの本質を全く知らないのである(これは五輪誘致に懸命だった石原都知事も同じ)。現在のオリンピックでアルバイトをしながらメダルを取るのは不可能なこと絶望的なほど明白だと思う。
さて、ここからJOCなどの官僚的な体質を批判するのは易い。しかし敢えて大悪口をいう。
世上、「政治が国民を超えることはない」と言われる。私はこの「政治」に「スポーツ」と「戦争」を加えたい。スポーツもまた国民の要望に応えるかたちでしか運営されないものなのだ。
私たちの心中に実は、スポーツにおける天賦の才能よりも公務員試験を通ってきた官僚の能力ないしは国家から与えられた肩書きを高く評価する不思議な傾向があるにちがいない。この点を鑑みてこそ今回の五輪騒動は意味があるのではないか。
私はこういう心的傾向が自分の心情の中にかなり濃厚に存在することを正直に白状する。またネット上に公務員に対する嫉妬と羨望に発したと思われる投稿が満ち満ちているのも同根であろう。
そして昭和16年から始まった前回の戦争の歴史的かつ信じがたい大敗北の原因もこのあたりにあるのではないかと勝手に推察するのである。
「戦後史探訪」と「厄介なもの」はそれぞれ、対談形式にして、本文として取り上げさせてもらいました。
ご指摘がありましたのでネットで調べてみましたところ、おっしゃる通り陸上自衛隊の所
属でありました。改めて訂正させていただきます。
ただ、ここで居直るように言わせていただければ、私は雑文を書くときに一部の引用を除
き全て記憶のみで書くように心がけております。従って「いかりや師匠」のブログに投稿
させていただいた文章の年号、固有名詞等はほぼ100%記憶にたよっております。
さらに私は記憶にあるものだけで流露するが如く夢中で書き上げた文章こそが、自分自身
の文章であると本気で信じております。あっちこっち調べながら、そして夫々の影響を無
意識のうちに受けながら書く文章なぞ、その人の書いた文章と呼ぶに値しない、そうも信
じております。多少の間違いは大目に見ていただければ幸甚至極。
あちこち調べながら書く人間の文章なぞとるに値しない?
我が身を恥じます。
けれどあえて一言。世間に公表される文章は正確さを重んじるべきではないでしょうか。「画竜天晴を欠く」、いくら見事な文章でも不正確さに気が付くと信用を損なうことに留意なさって下さい。