猫研究員の社会観察記

自民党中央政治大学院研究員である"猫研究員。"こと高峰康修とともに、日本国の舵取りについて考えましょう!

米の先制戦略、秩序維持の例外策―キッシンジャー氏論説

2006-05-11 01:08:47 | 外交・国際問題全般
 米国が9・11後に、怒りの余り突如として持ち出してきたと思われがちな「先制攻撃ドクトリン」であるが、そう簡単に言い切ることはできない。
 2001年に発表されたQDR(4年ごとの国防計画見直し)の中で謳われている、テロ組織や大量破壊兵器を保有する敵対国家への先制攻撃の容認がいわゆる先制攻撃ドクトリンである。細かく見るとこのドクトリンは「先制攻撃」と「予防的軍事介入」を含んでいる。前者は、自国に急迫の危険が迫っている場合に先制攻撃できるというもので、これは何もブッシュ政権の発明でも何でもない。それ以前のQDRでも何の疑いもなく主張していたことである。それどころか、国際法上も自衛権として認められている範囲内である。日本でさえ、敵国によるミサイル攻撃が差し迫っている場合に「ミサイル発射基地を叩くことは日本国憲法のもとでも法理上は可能であり、座して死を待つことが憲法の意図していることとは思われない」との有名な鳩山一郎首相答弁があるくらいである。疑義が生じてくるのは予防的軍事介入の方で、こちらは危険が急迫とまで言えない場合に「予防的に」軍事介入をするというものである。これは、対テロ戦争と大量破壊兵器の不拡散のために有用であると思われる一方で、かなり取り扱いに注意を要する概念である。
 米国の先制攻撃理論は、国際の安全保障と秩序維持のためにうまく国際社会のルールの一つとして咀嚼される必要がある。そうすることで、米国の国益の資すると同時に国際社会にとっても有益なものとするべきであろう。日本が他人事を決め込むことができないのは言うまでもない。
 読売新聞5月7日付けのコラム『地球を読む』にキッシンジャー氏が『米の先制戦略―秩序維持の例外策』と題して興味深い論説を寄せているので、ご紹介したいと思う。


【米の先制戦略―秩序維持の例外策】H・キッシンジャー
 米国のブッシュ政権はこのほど、4年毎の国防計画見直し(QDR)を発表したが、前回2001年のような論争は起きなかった。これは注目すべきことである。なぜなら今回も前回と同じ言葉遣いで、先制戦略の堅持を掲げているからである。
 先制攻撃ドクトリンが最初に打ち出されたときには、過去300年以上かけて練り上げられ、神聖な国連憲章に盛り込まれた国際制度の基本原則に反するものだとの非難を浴びた。国連憲章2条4項は「領土の保全や政治的独立」に反する軍事力行使を禁止し、同51条は国家の普遍的な自衛権を認めているからである。
 今回、風向きが変わった理由には、世界各国もまた、新たに現れた脅威に関する経験を積んだことや、米外交が協調的になり、新たな協議の余地が生まれたことが挙げられる。最新の技術と国際情勢は先制攻撃を余儀なくさせる性質のものであり、既存の規範は再考を迫られているのかもしれないという認識は、いや応なく広がっている。国連事務総長にも、同様の趣旨の報告書が提出されている。
 だが、先制戦略には固有のジレンマがある。この戦略は、事前に証明できない想定を基にしているからである。かつて英国の政治家チャーチルは、ナチス政権の危険性に警告した。それを基に先制攻撃していたら、比較的小さな犠牲で済んだのかもしれない。だが、その警告が真実だと証明するのにこだわった結果、10年後に数千万の死者を出すことになった。
 米国の政策もまた、不確実性の海を進まざるを得ない。最大の課題は、脅威をどう定義し、どのような手段でそれに抵抗するかにある。もし、先制攻撃の定義を行う権利を各国がそれぞれ主張すれば、国際秩序どころか、大混乱に陥るだろう。必要なのは、普遍的で広く容認された原則と、その遂行にふさわしい仕組みである。それ以外の道を選べば必ずや大量破壊兵器(WMD)の拡散を促進する結果を生むだろう。
 まず理解すべきは、米戦略ドクトリンは、一般に言う先制攻撃について多くを論じていないことである。先制攻撃が適用されるのは、甚大な損害をもたらす能力と、今にも攻撃しようとする意思を持つ敵に対してである。この切迫した状況下で一方的に軍事力を行使する権利は、多かれ少なかれ認められている。その最も明白な対象は、主権国家の領土内から作戦を行うテロ組織である。
 論議を要するのは、むしろ「予防的な軍事力行使」とていぎされるものの方である。
 予防的な軍事力行使とは、まだ切迫していないが、いつの日か圧倒的な存在となりかねない脅威の出現を事前に阻止する措置であり、言い換えれば、いずれ先制攻撃が必要になりそうな状況を防止することである。そしてこれは、国際制度の激変を象徴する争点である。
 17世紀欧州のウェストファリア体制は、国境不可侵の原則に基づく国際安全保障を追求した。だが、現代兵器の破壊力と射程とスピードの前に、いわゆる国境は用をなさない。かくして、非核保有国へのWMD拡散の問題が、予防外交上の主要な責務として浮上する。そして核拡散を巡る外交の成否は、ある意味で、核放棄を求められる国の安全を保障できるかどうかにかかっている。
 一つの学派の見方によれば、拡散の過程には致命的な危険が伴っている。
 第二次世界大戦が起きるまでは、自国が攻撃されるか、敵が国際安全保障を脅かすような力の均衡の変化をもたらした場合、戦争に訴えるのは国家の正当な権利だと一般に見なされていた。
 だが、現代世界の力の源泉は領土ではなく技術である。いまやWMDを持てば、領土獲得よりも、はるかに大きな国力の強化がもたらされる。破壊力とともに、運搬手段の射程も延びている。従ってWMDの存在自体が先制攻撃の誘惑を招くことになる。
 もう一つの見方は、友好国と敵対国を区別する立場である。
 米国は、インドとパキスタンとイスラエルの核兵器技術開発を黙認した。この3カ国の目的は長期的な米国の目的と両立すると信じたからである。だが、イランと北朝鮮へのWMD拡散には強く反対した。両国は敵対的な専制政権に支配され、国際的な蛮行の記録を持つからである。実際、最良の拡散防止政策は両政権を打倒することだと言う人々も少なくない。
 この論争を解決するのは、現実的な政策である。拡散の事実それ自体に、脅威はもともとある。相手が穏健な政権であれば、脅威は減るかもしれないが、消滅することはない。このことに留意した賢明な戦略に力点を置く政策こそ、現実的といえるだろう。
 また、特別の事例として人道介入がある。これは、米国の安全保障が間接的に脅かされた状況にのみ適用される。この場合、予防的な軍事力行使が正当化されるのは、安全保障面よりも、米国や国際社会が不可欠と見なす諸価値が攻撃を受けた時である。北大西洋条約機構(NATO)による1999年のコソボ介入の根拠がこれだった。またこれは、米国がサダム・フセイン政権の排除を決断する際の重要な動機のひとつでもあった。
 だが、ルワンダ内戦やスーダンのダルフールでの大虐殺などの際には、予防的介入を行う機運が極めて低調だった。直接的な脅威を感じている国が全く存在しなかった事実が、あらゆる行動の足かせとなったのである。
 こうした過去の事例を踏まえて結論を言えば、米戦略ドクトリンの基本分析は正しい。だが、理論の提示は端緒に過ぎない。特定の具体的な危機状況に、概念を適用させる必要がある。当面の脅威だけでなく、事後の結果をも念頭において、行動の道筋を分析すべきである。それも現状分析にとどまらず、実務レベルで遂行可能な計画を策定すると同時に、継続的な国民の支持を実現しなければならない。
 そして結局、米国の単独行動を米戦略の基本原則とせず、例外扱いとしなければ、予防的軍事力行使を含む政策によって国際秩序を維持することはできないのである。
 他の主要国にもまた責任がある。それは、新たな挑戦を真剣に受け止め、米国任せにしないことである。協調行動は可能だろう。全ての諸国は、多かれ少なかれ地球規模の経済システムに依存している。もしイデオロギーと兵器が野放しになれば、全員が脅かされることになるのである。

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8 コメント

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Unknown (PJ)
2006-05-11 10:52:28
てことは、日本の真珠湾攻撃も長~い目で見れば、そんなに間違ってなかったよねと言っていただけるんでしょーか。

だとすれば、いつまでも拗ねてるわけに行きませんねw



>チャーチルは、ナチス政権の危険性に警告した。



中国共産党の危険性は日本だけが言ってるわけじゃないと思うんですけど、なぜか過小評価されるんですよね。

誰か現行犯逮捕してください。

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PJさんへ (猫研究員。=高峰康修)
2006-05-11 19:01:56
>てことは、日本の真珠湾攻撃も長~い目で見れば、そんなに間違ってなかったよねと言っていただけるんでしょーか。



理屈の上ではそういうことは言えますね。ただ、日米で歴史認識が外交問題となることはありません。というか、中国と南北朝鮮以外の間で歴史認識が外交問題になることはありません。



>中国共産党の危険性は日本だけが言ってるわけじゃないと思うんですけど、なぜか過小評価されるんですよね。

誰か現行犯逮捕してください。



これはですね、補足説明がちょっと必要で、アメリカのもう一つの基本戦略として冷戦時代の「封じ込めと抑止」理論を堅持しているんです。中国には当面はそっちの原則で対応していこうということです。ダブルスタンダードといえばそうなんですが、歴史に学ぶという観点からしても、冷戦でソ連とそういう戦いをして勝利を収めたのであながち間違いとも言い切れないのかもしれません。
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訪日してたんですよね! (tsubamerailstar)
2006-05-14 22:56:16
福田訪米のお膳立てはベーカー元駐日大使でなく、キッシンジャー氏ではないかという気がしますが。(汗)



>米国任せにしないことである



日米共同対処で日本が米国の言いなって戦争に云々という意見もありますが、少なくとも日本単独で侵略戦争を起こす可能性はなくなるわけで、念仏平和主義者の皆様には有り難い話ではないでしょうか?(爆)

「米国任せにしない」というのは米国との協調であるとともに米国の暴走への抑止力となるという点でも評価されるのではないかなという気がいたします。
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tsubamerailstarさんへ (猫研究員。=高峰康修)
2006-05-14 23:21:59
キッシンジャーが福田訪米の黒幕説というのはなかなか根強いですね。



>少なくとも日本単独で侵略戦争を起こす可能性はなくなるわけで、念仏平和主義者の皆様には有り難い話ではないでしょうか



「ビンのふた理論」リバイバルですか(笑)



>米国との協調であるとともに米国の暴走への抑止力となるという点でも評価



イラクの戦で「単独主義的行動にはこりごり」というのが米国の本音でしょう。といって、米国を抑止することに力点を置きすぎるとかえって単独主義を勢いづかせることにもなりかねず、匙加減が重要ですね。
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新・ビンの蓋? (tsubamerailstar)
2006-05-15 09:48:19
>「ビンのふた理論」リバイバルですか(笑)



日米安保は日本の再軍備を抑えるためのものだとはキッシンジャーも上手いことを言ったものだと思いますが、毛沢東は米国の台湾からの漸次撤退に関して「代わりに日本が進出することのないように」と念を押していたようですから、まぁ、日本軍の記憶も生々しいう時代だったんでしょうねぇ。

J・ナイ氏のソフトパワー論何てのも基本的にはこの考えが源流にあるんでしょうが、日本単独で云々ということは少なくともないという部分はある意味自己破産者が復権を遂げるようなものかもしれませんね。(汗)





>米国との協調であるとともに米国の暴走への抑止力となるという点でも評価



イラクの戦で「単独主義的行動にはこりごり」というのが米国の本音でしょう。といって、米国を抑止することに力点を置きすぎるとかえって単独主義を勢いづかせることにもなりかねず、匙加減が重要ですね。
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tsubamerailstarさまへ (猫研究員。=高峰康修)
2006-05-16 00:24:33
>J・ナイ氏のソフトパワー論何てのも基本的にはこの考えが源流にあるんでしょうが



そのせいかどうかしりませんが、日本のソフトパワーに関する記述ではポップカルチャーがやたらと目立つ。何も頭から否定するわけではないんですが、日本人はそれに飛びつくものだから能天気なんですよ。そんな部分よりも「ソフトパワーとハードパワー一方に偏ることなくうまくバランスさせるのがスマートパワーだ」と書いている部分が核心でしょう。もちろん念頭にあるのはアメリカ外交なんでしょうが、どこの外交政策にでも当てはまることです。
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同感です! (tsubamerailstar)
2006-05-17 00:22:27
>日本人はそれに飛びつくものだから能天気なんですよ。



麻生外相が漫画云々言い出した際に私も何かそんな懸念を抱いた記憶があります。勿論氏は単なる一例として挙げたに過ぎないと思っておりますが。

公害という経験を経た環境対策とか旧くは治水・灌漑の技術など多岐に上るわけでそこら辺を精査すると申しますか、自国の歩みを再検証して適切な処方箋を相手方に提示する姿勢が求められます。それは単なるばら撒き外交からの脱却ですし、日本だけができるオンリーワンの支援を目指すべきだと思います。
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tsubamerailstarさんへ (猫研究員。=高峰康修)
2006-05-17 23:46:17
麻生氏が漫画について言い出したのは単に漫画好きだからかもしれません(笑)あれは、外務省に以前からある風潮というか政策というか…。クール・ジャパンとかいうやつの一環だと思いますよ。



>公害という経験を経た環境対策とか旧くは治水・灌漑の技術など多岐に上るわけでそこら辺を精査すると申しますか、自国の歩みを再検証して適切な処方箋を相手方に提示する姿勢が求められます。



技術立国としての面目躍如、それこそソフトパワーを獲得できるんじゃないですかね。私も、現地の人にぴったり来るという意味で(使えないハイテク機器を援助するなんてことではなく)技術に徹底的にこだわった援助をすることは日本流の国際援助ということになると考えています。
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