かなり地味であまり報道されていないけれども、実は日本にとっては非常に画期的な出来事をご紹介する。それは、21日に最高裁で下された「外国政府も民事裁判の被告になることができる」という判決である。これまでは、78年前の大審院(最高裁の前身)判例に基づく、外国政府は裁判の当事者にならないとする「絶対免除主義」を転換するものである。
具体的な概要は次のようである。東京都内の貿易会社など2社は86年、パキスタン政府の代理を名乗る同国の企業と、計約12億円でコンピューター2台を販売する契約を結び、商品を納入したが、代金が支払われなかったことから、同国政府に利息分を含めた計約18億円の支払いを求めて提訴していたところ、東京高裁における第2審議は裁判権免除を理由に却下していた。これに対して、最高裁第二小法廷は、上告審判決で「外国政府が行った商業取引など、私法的、業務管理的な行為については、国家の主権を侵害する恐れがあるなどの事情がない限り、我が国の民事裁判権から免除されない」として、外国政府は裁判が免除されるとして請求を却下した2審判決を破棄、審理を東京高裁に差し戻した。
絶対的な裁判権免除主義は、国家主権の尊重という国際法の大原則の表れである。しかし、近年の経済活動のグローバル化に伴い、国家が商業的な活動を通じて、企業や個人の権利を侵害する場面が出てくるようになった。そこで、1970年代以降は、欧米中心に、安全保障に関わる分野や永住権の付与のような国家の主権そのものに該当する「主権的行為」に限って裁判権免除を認める「制限免除主義」が採用されるようになってきている。我が国も、グローバル化した世界で先端を走る国として、このような潮流に乗ることは間違っていないと思う。ただし「主権的行為」と「商業的行為」の線引きについては、国際的な基準が明確にはなっておらず、それを明確化する作業に日本も積極的に参画すべきである。我が国は、年内に国連の裁判権免除条約に署名する予定である。この条約では、商取引や雇用契約については裁判権免除を認めないことが明記されている。この条約を批准するための国内法の整備も急がねばならない。外国政府と日本の企業や個人との間で法的紛争が起きた場合の司法解決の在り方を明確に定めておくことは、とりもなおさず、我が国の国民を保護することに繋がる。
なお、(参考記事2)で紹介している読売社説は、なかなか参考になると思う。是非一読をお勧めしたい。
(参考記事1)
[外国政府も民事裁判の被告に…最高裁が免除原則転換]
パキスタン政府の代理を名乗る同国企業にコンピューターを販売した日本の貿易会社など2社が、同国政府に販売代金など約18億円の支払いを求めた訴訟の上告審判決が21日、最高裁第2小法廷であった。
今井功裁判長は、「外国政府が行った商業取引など、私法的、業務管理的な行為については、国家の主権を侵害する恐れがあるなどの事情がない限り、我が国の民事裁判権から免除されない」と述べ、外国政府は裁判が免除されるとして請求を却下した2審判決を破棄、審理を東京高裁に差し戻した。
日本では、民事訴訟を起こされた外国政府について、「日本の裁判権に服しないことを原則とする」とした1928年の大審院判例に基づき、「裁判権免除」の原則がとられてきたが、判決は、この大審院判例を78年ぶりに変更、訴訟の内容によっては外国政府も日本の民事裁判の被告となりうるとする初判断を示した。
判決などによると、東京都内の貿易会社など2社は86年、パキスタン政府の代理を名乗る同国の企業と、計約12億円でコンピューター2台を販売する契約を結び、商品を納入したが、代金が支払われなかったことから、同国政府に利息分を含めた計約18億円の支払いを求めて提訴した。同国政府側は、裁判権免除を主張し、同国企業に代理権限を与えたことについても争っている。
1審・東京地裁は、同国政府が答弁書などを提出しなかったため、同国政府に全額の支払いを命じたが、2審・東京高裁は裁判権免除を理由に、実質審理に入らないまま原告側の請求を却下していた。
(2006年7月21日13時43分 読売新聞)
(参考記事2)
[7月22日付・読売社説:外国政府訴訟―泣き寝入りの必要はなくなった]
外国政府を相手にした民事訴訟で、ようやく、わが国の個人や企業も、泣き寝入りしなくてよい環境が整えられた。
国際慣習法には、外国政府は民事訴訟の被告になることを免除されるという原則がある。それがどの程度まで認められるかが争われた裁判で最高裁が、1928年の大審院決定を変更する判決を言い渡した。
大審院決定は、「外国政府は、自ら同意した場合などを除き、他国の民事裁判権に服することはない」という考え方を中心に据えていた。外国の主権を重視して、例外をほとんど認めないため、「絶対免除主義」と呼ばれている。
最高裁が新判断を示したのは、東京都内の民間企業がパキスタン政府に納入したコンピューターの代金などの支払いを求めて起こした訴訟だ。東京高裁は2003年2月、絶対免除主義に立って企業側の請求を棄却していた。
これに対し、最高裁が採用したのは、「制限免除主義」だった。外国政府であっても、商取引など私法的行為については免除を認めないというものだ。経済のグローバル化に伴い、個人や民間企業が外国政府と取引を行うケースが増える中では、当然の考え方だろう。
制限免除主義は欧米諸国では早い時期から取り入れられてきた。伊、独、仏では20世紀前半までに判例上で確立した。米、英、シンガポールなどでも1970年代に次々と国内法が整備された。
国連でも1978年から、この考え方を採用した条約づくりが始まり、2004年12月に制限免除主義の「裁判権免除条約」が採択されている。
ところが、わが国の裁判でこの考え方を採用したのは、2000年11月、ナウル共和国が発行した円建て債券をめぐる訴訟で、東京地裁が出した判決が初めてだった。この訴訟も高裁段階では、大審院決定に沿う形の判断が示された。
最高裁によると、裁判免除が問題になった訴訟は1999年までの6年間だけで20件起こされたが、その大半が問題の大審院決定を踏襲していたという。
裁判所内部には、「国家主権が絡む難しい案件になると、安易に過去の判例に頼る教条主義的な姿勢が出てくる」という声もある。その結果、時代の変化に遅れ、国際常識ともずれた判断が長年にわたって放置されたとすれば、大いに反省しなければならない。
政府は裁判権免除条約についてまだ署名もしていない。国内法の整備を進めてこなかったことと合わせ、動きが鈍すぎると言えよう。この機会に、早急に手続きを進めるべきである。
(2006年7月22日1時41分 読売新聞)
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具体的な概要は次のようである。東京都内の貿易会社など2社は86年、パキスタン政府の代理を名乗る同国の企業と、計約12億円でコンピューター2台を販売する契約を結び、商品を納入したが、代金が支払われなかったことから、同国政府に利息分を含めた計約18億円の支払いを求めて提訴していたところ、東京高裁における第2審議は裁判権免除を理由に却下していた。これに対して、最高裁第二小法廷は、上告審判決で「外国政府が行った商業取引など、私法的、業務管理的な行為については、国家の主権を侵害する恐れがあるなどの事情がない限り、我が国の民事裁判権から免除されない」として、外国政府は裁判が免除されるとして請求を却下した2審判決を破棄、審理を東京高裁に差し戻した。
絶対的な裁判権免除主義は、国家主権の尊重という国際法の大原則の表れである。しかし、近年の経済活動のグローバル化に伴い、国家が商業的な活動を通じて、企業や個人の権利を侵害する場面が出てくるようになった。そこで、1970年代以降は、欧米中心に、安全保障に関わる分野や永住権の付与のような国家の主権そのものに該当する「主権的行為」に限って裁判権免除を認める「制限免除主義」が採用されるようになってきている。我が国も、グローバル化した世界で先端を走る国として、このような潮流に乗ることは間違っていないと思う。ただし「主権的行為」と「商業的行為」の線引きについては、国際的な基準が明確にはなっておらず、それを明確化する作業に日本も積極的に参画すべきである。我が国は、年内に国連の裁判権免除条約に署名する予定である。この条約では、商取引や雇用契約については裁判権免除を認めないことが明記されている。この条約を批准するための国内法の整備も急がねばならない。外国政府と日本の企業や個人との間で法的紛争が起きた場合の司法解決の在り方を明確に定めておくことは、とりもなおさず、我が国の国民を保護することに繋がる。
なお、(参考記事2)で紹介している読売社説は、なかなか参考になると思う。是非一読をお勧めしたい。
(参考記事1)
[外国政府も民事裁判の被告に…最高裁が免除原則転換]
パキスタン政府の代理を名乗る同国企業にコンピューターを販売した日本の貿易会社など2社が、同国政府に販売代金など約18億円の支払いを求めた訴訟の上告審判決が21日、最高裁第2小法廷であった。
今井功裁判長は、「外国政府が行った商業取引など、私法的、業務管理的な行為については、国家の主権を侵害する恐れがあるなどの事情がない限り、我が国の民事裁判権から免除されない」と述べ、外国政府は裁判が免除されるとして請求を却下した2審判決を破棄、審理を東京高裁に差し戻した。
日本では、民事訴訟を起こされた外国政府について、「日本の裁判権に服しないことを原則とする」とした1928年の大審院判例に基づき、「裁判権免除」の原則がとられてきたが、判決は、この大審院判例を78年ぶりに変更、訴訟の内容によっては外国政府も日本の民事裁判の被告となりうるとする初判断を示した。
判決などによると、東京都内の貿易会社など2社は86年、パキスタン政府の代理を名乗る同国の企業と、計約12億円でコンピューター2台を販売する契約を結び、商品を納入したが、代金が支払われなかったことから、同国政府に利息分を含めた計約18億円の支払いを求めて提訴した。同国政府側は、裁判権免除を主張し、同国企業に代理権限を与えたことについても争っている。
1審・東京地裁は、同国政府が答弁書などを提出しなかったため、同国政府に全額の支払いを命じたが、2審・東京高裁は裁判権免除を理由に、実質審理に入らないまま原告側の請求を却下していた。
(2006年7月21日13時43分 読売新聞)
(参考記事2)
[7月22日付・読売社説:外国政府訴訟―泣き寝入りの必要はなくなった]
外国政府を相手にした民事訴訟で、ようやく、わが国の個人や企業も、泣き寝入りしなくてよい環境が整えられた。
国際慣習法には、外国政府は民事訴訟の被告になることを免除されるという原則がある。それがどの程度まで認められるかが争われた裁判で最高裁が、1928年の大審院決定を変更する判決を言い渡した。
大審院決定は、「外国政府は、自ら同意した場合などを除き、他国の民事裁判権に服することはない」という考え方を中心に据えていた。外国の主権を重視して、例外をほとんど認めないため、「絶対免除主義」と呼ばれている。
最高裁が新判断を示したのは、東京都内の民間企業がパキスタン政府に納入したコンピューターの代金などの支払いを求めて起こした訴訟だ。東京高裁は2003年2月、絶対免除主義に立って企業側の請求を棄却していた。
これに対し、最高裁が採用したのは、「制限免除主義」だった。外国政府であっても、商取引など私法的行為については免除を認めないというものだ。経済のグローバル化に伴い、個人や民間企業が外国政府と取引を行うケースが増える中では、当然の考え方だろう。
制限免除主義は欧米諸国では早い時期から取り入れられてきた。伊、独、仏では20世紀前半までに判例上で確立した。米、英、シンガポールなどでも1970年代に次々と国内法が整備された。
国連でも1978年から、この考え方を採用した条約づくりが始まり、2004年12月に制限免除主義の「裁判権免除条約」が採択されている。
ところが、わが国の裁判でこの考え方を採用したのは、2000年11月、ナウル共和国が発行した円建て債券をめぐる訴訟で、東京地裁が出した判決が初めてだった。この訴訟も高裁段階では、大審院決定に沿う形の判断が示された。
最高裁によると、裁判免除が問題になった訴訟は1999年までの6年間だけで20件起こされたが、その大半が問題の大審院決定を踏襲していたという。
裁判所内部には、「国家主権が絡む難しい案件になると、安易に過去の判例に頼る教条主義的な姿勢が出てくる」という声もある。その結果、時代の変化に遅れ、国際常識ともずれた判断が長年にわたって放置されたとすれば、大いに反省しなければならない。
政府は裁判権免除条約についてまだ署名もしていない。国内法の整備を進めてこなかったことと合わせ、動きが鈍すぎると言えよう。この機会に、早急に手続きを進めるべきである。
(2006年7月22日1時41分 読売新聞)
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ある種「国際詐欺的事犯」はかなりあると思うんです。
(必ずしも日本だけが被害者とは限りませんが)
ただ、今回の事犯のような場合数十億円もするコンピュータが輸出規制品目になっていなかった、っとはちょっと思えないんです・・
つまり、被害を受けた企業側に全く落ち度が無かったのか?ましてやパキスタン政府に納入・・・という事実が存在するなら
ODA関連ではなかったのか?・・ちょっと詳細が分からない判断ですね。
ただし、第三世界からの言い訳をさせて貰うと「自国の政府予算」を自力で策定出来ない為に
見積書を取らないと予算そのものを組むことも出来ない。
当然、見積もりを要請される側(企業ですが)は、どういうスペックのモノを必要とするのか?が分からないと見積書を作れませんから相手側に尋ねる訳ですが
日本のように専門技官がいませんから極端な場合は「外国のメーカーカタログの丸写し」をスペックだと出してくる場合がある。
(ASEA先進国でも茶飯事に起こりますが)
当然、ハイエンドスペックとなると如何に日本であっても「そこそこの価格」になってしまう訳ですが
スペックを出してしまった側は国内で引くに引けない立場にたたされていないとも限らない。
(だからと言って相手に同情する必要はありませんが)
確かに、これ迄の日本は「非常に紳士的過ぎた」面が無きにしも非ずなんですが
(不法滞在の強制送還処置等にしても同様で、非常にジェントルな対応です)
被害者にならない為にももう少し、相手側に関する情報を正確に把握する必要が個々にもあるのではないでしょうか?
つい最近も「世銀の理事になれる」っと騙された50台の日本人が殺害された事件もあるように
言葉は少々厳しいですが、無知と思い込みによる誤解から自ら犯罪を呼び込んでしまうのが
第三世界との商取引では常識だ・・っと考える位の姿勢が必要になる、とも思うのですが
そうした国民の意識の問題と国内法の整備は無論関係がなく、厳しい部分は厳しいモノでなくてはならないと思います。
かく言う第三世界の不法行為に関する法律の適用は外国人だからということは全くなく
自国人以上に厳しいのが当たり前なのですから・・・
国際商取引に関する法整備は、まあ現在のところ、模索中の側面も少なくないと思われます。
ご指摘の「被害を受けた企業側に全く落ち度が無かったのか」という観点は、おそらく過失相殺で考慮されるのでしょう。
私が特に注目した点は、繰り返しになりますが裁判権の絶対免除主義を転換したことです。国家主権が相対化しているとよく言われますが、日本のこれまでの考え方はずいぶん古典的に国家主権の絶対を墨守してきたものだと一種の感慨を感じた次第です。
>日本のこれまでの考え方はずいぶん古典的に国家主権の絶対を墨守してきたものだと一種の感慨を感じた次第です。
は、確かに仰る通りだとは思います。
(ただ、法律の実質的な適用や民事訴訟で勝訴した場合に、実際の効力は?等は今後の課題でもあるとは思いますが)
僕がこういう報道から受ける印象なんですが
いわゆる主権国家としての日本の存在意義とでも言いますか、日本の国内法等でもその運用が
外国(人)に対しても公正に且厳格に適用されることを自由民主主義の法治国家である日本が
しっかりと示す・・・これが重要だと思います。
以前にもコメントの中で書かせて頂いたように「法律の運用が恣意的になされないお手本」を
その主義に基づいてしっかりと示される・・・・(日本は現在でもしっかりした法治国家だとは思いますが
外国から見ると外国や外国人に対する適用はかなりジェントルに映っている訳でして)
卑近な例で申し訳ないですが、いわゆる不法滞在の常習者には日本の法律は甘い、っと認識されている事実は否定出来ません。
ですから、日本で犯罪を犯すと大変なことになる、っと言った理解はありません。
(だからと言って、第三世界の官憲のようにとんでもないことは出来ませんし、出来ないことが
民主主義の法治国家たる所以だとは思いますけど)
つまり、自衛隊を国防軍に云々と言った議論による主権国家論も確かに必要だとは思いますが
アジアで唯一、完全な自由・民主主義の法治国家である手本を示すのも日本ならではの方法ではないかと思う訳です。
日本の国内法なのだからグローバル化に対応する必要が無いのではなく
法律の公正な運用はその国籍に関係なく運用される・・・アジアのお手本になるのは
そういう部分からも可能ではないでしょうか
国内法の運用でもって、自由・民主主義の法治国家であり主権国家であることを明確にしていくという視点は極めて重要なことですね。グローバル化時代だからこそ不可欠な観点だと思いました。それを、よき手本として示すというのは国家戦略としても効果的でしょう。コメントを読ませていただき、なるほどと思わされるところが多かったです!
>法律の実質的な適用や民事訴訟で勝訴した場合に、実際の効力は?等は今後の課題でもあるとは思いますが
これは、国際基準を地道に作っていくしかないのでしょう。日本もその作業に率先して取り組むべきです。