昭和天皇が靖国神社の御親拝が1975年を最後に途絶えてしまった理由について、昭和天皇御自身が「靖国A級戦犯合祀に不快感を抱いたため」と解釈することのできる、故富田朝彦・元宮内庁長官のメモが発見されたと報道されている。崩御される前の1988年のことだそうだ。靖国関連部分のメモ全文は、以下の通りである。
(原文ママ)
私は 或る時に、A級が合祀されその上 松岡、白取までもが、
筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが
松平の子の今の宮司がどう考えたのか 易々と 松平は 平和に強い考があったと思うのに 親の心子知らずと思っている
だから 私あれ以来参拝していない それが私の心だ
(共同通信) - 7月20日20時26分更新
確かに、A級戦犯合祀に不快感を示されて参拝が途絶えたようにも解釈できる。というか、率直に読めばそうなる。
私は、このブログでも「昭和天皇の御親拝が途絶えたのは三木首相による『公人私人』発言が原因」との解釈をたびたび書いてきた。正直言って、もし真実ならば都合が悪い資料だと思わないことはない。ただし、記録した富田氏も故人であり、昭和天皇は言うまでもなく17年も前に崩御されている。検証不可能とまでは言わないにしても、軽々に真相が判明する文書ではない。したがって、今回のメモに基づいて靖国の議論をすることは好ましいことではないと思う。
もちろん、靖国神社が自主的に今回発見されたメモを「祭祀の頂点にあられる天皇陛下の意向」として、A級戦犯の分祀を可能とする解釈に転じたとしても、それはそれで尊重するべきなのだろう。もっとも、私は天皇陛下の靖国御親拝は、憲法20条の例外として「天皇は伝統に基づき儀式及び祭祀を執り行う」との条文を置いて、そういう位置づけをするべきだという論者である。この考え方は、メモを見てもいささかも変わらない。国家元首が、国のために殉じた人の慰霊を手厚く行うことは重要だと考えるからだ。
メモへの印象を少し述べておくと、私の中の昭和天皇のイメージとは率直に言って一致しない。陛下のご意向を無視して戦争に突入せしめたA級戦犯に対して快く思われなかったことはあっても不思議ではないが、昭和天皇がそれを理由に残りの200万柱を超える英霊を無視する結果をよしとされたとは、どうしても思われないのである。しかも、1978年にいわゆるA級戦犯が合祀されてから10年もたった後の話である。いわゆるA級戦犯の遺族のみならず、そうでない英霊やご遺族にとっては、心穏やかでない報道であったことは間違いないだろう。ただ、これは、まさに私の印象論であって、真偽のほどがきちんとした検証に堪えうるものではないとは思うが、同じ印象を抱く人も少なくないのではないかとも思う。
歯切れがいささか悪いことは認めるにやぶさかではないが、以上が今回の件に関する私の感想である。
☆ぜひとも、
をクリックして、ランキングに投票して応援してくださいm(__)m
(原文ママ)
私は 或る時に、A級が合祀されその上 松岡、白取までもが、
筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが
松平の子の今の宮司がどう考えたのか 易々と 松平は 平和に強い考があったと思うのに 親の心子知らずと思っている
だから 私あれ以来参拝していない それが私の心だ
(共同通信) - 7月20日20時26分更新
確かに、A級戦犯合祀に不快感を示されて参拝が途絶えたようにも解釈できる。というか、率直に読めばそうなる。
私は、このブログでも「昭和天皇の御親拝が途絶えたのは三木首相による『公人私人』発言が原因」との解釈をたびたび書いてきた。正直言って、もし真実ならば都合が悪い資料だと思わないことはない。ただし、記録した富田氏も故人であり、昭和天皇は言うまでもなく17年も前に崩御されている。検証不可能とまでは言わないにしても、軽々に真相が判明する文書ではない。したがって、今回のメモに基づいて靖国の議論をすることは好ましいことではないと思う。
もちろん、靖国神社が自主的に今回発見されたメモを「祭祀の頂点にあられる天皇陛下の意向」として、A級戦犯の分祀を可能とする解釈に転じたとしても、それはそれで尊重するべきなのだろう。もっとも、私は天皇陛下の靖国御親拝は、憲法20条の例外として「天皇は伝統に基づき儀式及び祭祀を執り行う」との条文を置いて、そういう位置づけをするべきだという論者である。この考え方は、メモを見てもいささかも変わらない。国家元首が、国のために殉じた人の慰霊を手厚く行うことは重要だと考えるからだ。
メモへの印象を少し述べておくと、私の中の昭和天皇のイメージとは率直に言って一致しない。陛下のご意向を無視して戦争に突入せしめたA級戦犯に対して快く思われなかったことはあっても不思議ではないが、昭和天皇がそれを理由に残りの200万柱を超える英霊を無視する結果をよしとされたとは、どうしても思われないのである。しかも、1978年にいわゆるA級戦犯が合祀されてから10年もたった後の話である。いわゆるA級戦犯の遺族のみならず、そうでない英霊やご遺族にとっては、心穏やかでない報道であったことは間違いないだろう。ただ、これは、まさに私の印象論であって、真偽のほどがきちんとした検証に堪えうるものではないとは思うが、同じ印象を抱く人も少なくないのではないかとも思う。
歯切れがいささか悪いことは認めるにやぶさかではないが、以上が今回の件に関する私の感想である。
☆ぜひとも、
![Blog●Ranking](http://blog.with2.net/img/banner.gif)
『の』『し』『合』などの字が丸で囲んであり、拡大して比較できるようになっており、黒いインクと青いインクとでは筆跡が違うことが素人目にもわかりました。画像のメモは手帳に貼り付けてありましたが、他のページはキレイに書き込まれているのだそうです。
他にも、もっと陛下に近い人から聞いた話を書き取ったものだとか、いろいろと解説があるようです。
昭和天皇はご自分では参拝されなくても代わりに使いの方を出していらっしゃるので、やっぱり、それが陛下のご意向だと思い、気持ちを静めました。
個人の感想云々の次元にとどまらず、結局は靖国問題は憲法論議になってしまうのだろうと思いますよ。
>昭和天皇はご自分では参拝されなくても代わりに使いの方を出していらっしゃるので
そうですそうです、勅使が例大祭に靖国を訪れています。確かにそれを思えば心鎮まりますね。
日経は説明責任をきちんと果たして欲しい。国家の大問題だから、不明瞭で出されていてはジャーナリズム欠如もはなはだしい。
>国家元首が、国のために殉じた人の慰霊を手厚く行うことは重要
戦争は国事行為。理由なき戦争は無い。艦艇1隻の建造に3年かかるが、伝統の再建に300年かかるの言葉を知らん馬鹿者は不勉強も非国民レベルだ。世界の常識にすら反している。政治家まで靖国と混同する発言をするとは…。
マスコミは他者にはやたらと「説明責任を果たせ」というけれども、自分のことになると大いに疑問符がつきます。
「艦艇1隻の建造に3年かかるが、伝統の再建に300年かかる」とは実に味のある真理であります。肝に銘じるべき言葉の一つでありましょう。
メモは藤尾元文相の発言みたいですね。
http://youmenipip.exblog.jp/2881000#2881000_1
これが事実なら、どうやって収拾つけるのやら。。。
ただし、今の時期に、しかも「かしこくも天皇陛下のご聖旨はかくかくしかじかだ。参拝派は心して聞け」みたいな姿勢で報道するのは、戦中の軍部と同じ天皇の政治利用にならないか、それも中国に媚を売るという形ではないか、という疑問がある。
最近、左派が平和主義で右翼が嫌いな今上天皇を持ち上げたり、なんだかねじれているが、私がわからないのは、左派も天皇を利用しがちなところ。気持ちはわからんではないが、天皇制廃止の立場からすれば、天皇の政治的役割を強化するような真似をするのはわけがわからない。
軽々に判断すべきじゃないとは思いますが、ご紹介のブログに書いてある事が仮に事実だとしたら、収拾のつけようがありませんよ。日経新聞どうする気だろう…。
>むじなさん
その一点に関しては(「中国に媚を売る愚」も加えれば二点ですか)全く同感であります。畢竟は、右翼も左翼も理詰めでものを考えていないということなのでしょう。あるいは「困った時の天皇頼み」というのが、良くも悪くも日本の伝統の一つにあるのかもしれません。むじなさんのようにあくまで理屈で突き詰めて行こうというのは、お世辞じゃなしに、意見に相違があったとしても敬意を持ちますよ。
電車の中で眺めていて「その上 松岡、白取までもが」ということは、昭和天皇にとってこの二名は超A級かい!と思いましたが。(爆)
閑話休題、オフレコ発言を持ち出すこと自体が反則と申しますか、昭和天皇のご意思に背くことのような感じがしましたね。私の趣味のクラシック音楽でも、生前アーティストが許可を与えなかった録音を死後に勝手に発表していいものかという議論がよくありますが、それと似ているような気もいたします。ましてや、政治的に利用されるという向きを昭和天皇は大変気にされていたと思いますので。
日経はその後も連日この件で特集組んでいますが、インサイダー隠しだな、きっと。(汗)
多くの人にそう見られているようですね。発言したとされる昭和天皇も、記録した富田氏もともに故人なんですから、そのようなものを公開するのはおかしいですよ。何らかの意図があると思われても仕方がない。
>生前アーティストが許可を与えなかった録音を死後に勝手に発表していいものかという議論がよくありますが
似ているといえば似てるかも。それで問題になったのはチェリビダッケが有名ですね。結局遺族の許可でEMIから正規盤の発売も許可されたんでしたっけね。
チェリの場合も本人が何故録音に執着しなかったのか、録音聴いてみたらよく解る気がしました。実演だとあの末梢神経くすぐるようなスローテンポも活きるのですが、繰り返し聞く録音だとちょっとなぁというところがあるんですよね。(汗)
色々考えさせられる事例だと思います。