小沢氏は東京12区に国替えせず 民主、独自候補擁立へ 2009年7月18日 日経
http://www.nikkei.co.jp/news/main/20090718AT3S1701R17072009.html
民主党は21日に決まった衆院解散を「政権交代解散」(鳩山由紀夫代表)と銘打ち、8月30日の投開票日に向けて一気にアクセルを踏む。小沢一郎代表代行は17日夜、都内のホテルで岩手4区からの「国替え」が取りざたされる東京12区の関係者らと対応を協議。近く独自候補を擁立し、自らは同選挙区に転出しない考えを明らかにした。
東京12区は太田昭宏公明党代表の選挙区で、自公政権との対決の象徴として取りざたされてきた。小沢氏は17日の協議で「全国の選挙区に影響を与える重要な選挙区だ。勝てる候補で、親しい人を立てる。一任してほしい」などと力説。来週中に記者会見し、候補者を発表する方針だ。
冬柴氏陣営「暴風雨の戦い」 田中康夫氏と対決 2009年7月18日 朝日夕刊
http://www.asahi.com/politics/update/0718/OSK200907180003.html
民主党の立候補予定者がなかなか決まらなかった兵庫8区に新党日本代表の田中康夫氏が立候補の意向を固めた。迎え撃つのは元国土交通相で公明党前幹事長の冬柴鉄三氏。自公連立政権を引っ張った党幹部だけに関係者は「絶対に議席を渡すことはできない」と気を引き締める。
午前中、民主党の鳩山代表の虚偽献金問題を調査する衆院政治倫理審査会に出席した冬柴氏は、飛行機ですぐに地元入り。雨の中、自転車で約3時間かけ、80軒の支援者宅を回った。「去年の秋から続けていること」と淡々と語り、田中氏立候補にも「驚きも何もない。別に(民主党前代表の)小沢さんが来たっていいし」と笑顔で話した。
兵庫8区の民主候補は、様々な有名人の名前が挙がっては消えていた。自民党兵庫県連の五島壮幹事長は「若いフレッシュな候補よりは戦いやすい。大物相手でより一層選挙に力が入るだろう。我々も全力で支える」と話す。
冬柴氏は86年に初当選。中選挙区時代は社会党(当時)の土井たか子氏らと戦い、96年からは小選挙区で当選を重ねてきた。強固な地盤で8選をめざすが、田中氏の高い知名度は脅威だ。
公明党県本部の野口裕幹事長は「こちらは暴風雨の中の戦い。これまでで一番厳しい選挙になるだろう。連立与党としての実績を訴え、地べたをはうような選挙をする」と険しい表情をみせる。
一方、田中氏を推薦する見通しとなった民主党。地元の吉本誠県議は「著名人が来ることで全国の注目も集まる。小選挙区での勝利を目指したい」と意気軒高だ。
ただ、民主党兵庫県連の受け止めは歓迎一色ではない。杉尾良文副代表は「党本部が決定したのであれば真摯(しんし)に受け止めるが、民主党ではない田中氏の応援に県連内をまとめるのは厳しい」と漏らす。
田中氏は95年1月の阪神大震災で神戸を中心にボランティア活動をした経験があるが、杉尾副代表は「当時の田中氏の行動には賛否もあり、兵庫県に縁はあるが、尼崎の市民に通用するのか」。連合兵庫尼崎地域協議会の幹部も「神戸空港の建設問題で田中氏は反対派。連合兵庫は空港推進で地元労組にわだかまりがある人がいる」と話す。
兵庫8区ではこのほか、社民、共産の立候補予定者らが準備を進めている。
ん…。この両ケースの判断の分かれ目はどこにあったんでしょう???
ごくごく個人的な意見を述べるならば、組織力のある公明党相手に、万が一にも未だに党内での存在力の大きい小沢前代表をぶつけて勝てなかった時のリスク
(冬柴氏にぶつける田中氏の場合は、別に民主現職でもありませんし、議席を獲れればラッキーというところでしょう)を考えれば、やはり確実に地元で議席を1つ確保した方が得策だと考えたのかもしれませんし、それ以上に総選挙後の公明党との連携の可能性を考えると、必要以上に公明党との関係を悪化させることもないと考えたのかな…とも思ったのですが、そうなると小柴氏に田中氏をぶつける意図がイマイチ不明。
まあ、対戦相手が、あの太田昭宏公明党代表ならば、例え敗れることになっても、出馬する民主の若手候補も名前を売ることができるでしょうし、そこそ善戦すれば勝負する価値も十分あると思うのですが、前長野県知事で新党日本の田中氏を担ぎ出したのは正直以外というかなんというか…
田中氏自体、民主党というより、国民新党の綿貫さんなど、保守本流に近い人だけに、正直『勝てれば誰でもいいのか?』という感想さえ持ちました。
はたして尼崎など兵庫8区の住民達は小柴氏と田中氏のどちらを選ぶんでしょうね…。
http://www.nikkei.co.jp/news/main/20090718AT3S1701R17072009.html
民主党は21日に決まった衆院解散を「政権交代解散」(鳩山由紀夫代表)と銘打ち、8月30日の投開票日に向けて一気にアクセルを踏む。小沢一郎代表代行は17日夜、都内のホテルで岩手4区からの「国替え」が取りざたされる東京12区の関係者らと対応を協議。近く独自候補を擁立し、自らは同選挙区に転出しない考えを明らかにした。
東京12区は太田昭宏公明党代表の選挙区で、自公政権との対決の象徴として取りざたされてきた。小沢氏は17日の協議で「全国の選挙区に影響を与える重要な選挙区だ。勝てる候補で、親しい人を立てる。一任してほしい」などと力説。来週中に記者会見し、候補者を発表する方針だ。
冬柴氏陣営「暴風雨の戦い」 田中康夫氏と対決 2009年7月18日 朝日夕刊
http://www.asahi.com/politics/update/0718/OSK200907180003.html
民主党の立候補予定者がなかなか決まらなかった兵庫8区に新党日本代表の田中康夫氏が立候補の意向を固めた。迎え撃つのは元国土交通相で公明党前幹事長の冬柴鉄三氏。自公連立政権を引っ張った党幹部だけに関係者は「絶対に議席を渡すことはできない」と気を引き締める。
午前中、民主党の鳩山代表の虚偽献金問題を調査する衆院政治倫理審査会に出席した冬柴氏は、飛行機ですぐに地元入り。雨の中、自転車で約3時間かけ、80軒の支援者宅を回った。「去年の秋から続けていること」と淡々と語り、田中氏立候補にも「驚きも何もない。別に(民主党前代表の)小沢さんが来たっていいし」と笑顔で話した。
兵庫8区の民主候補は、様々な有名人の名前が挙がっては消えていた。自民党兵庫県連の五島壮幹事長は「若いフレッシュな候補よりは戦いやすい。大物相手でより一層選挙に力が入るだろう。我々も全力で支える」と話す。
冬柴氏は86年に初当選。中選挙区時代は社会党(当時)の土井たか子氏らと戦い、96年からは小選挙区で当選を重ねてきた。強固な地盤で8選をめざすが、田中氏の高い知名度は脅威だ。
公明党県本部の野口裕幹事長は「こちらは暴風雨の中の戦い。これまでで一番厳しい選挙になるだろう。連立与党としての実績を訴え、地べたをはうような選挙をする」と険しい表情をみせる。
一方、田中氏を推薦する見通しとなった民主党。地元の吉本誠県議は「著名人が来ることで全国の注目も集まる。小選挙区での勝利を目指したい」と意気軒高だ。
ただ、民主党兵庫県連の受け止めは歓迎一色ではない。杉尾良文副代表は「党本部が決定したのであれば真摯(しんし)に受け止めるが、民主党ではない田中氏の応援に県連内をまとめるのは厳しい」と漏らす。
田中氏は95年1月の阪神大震災で神戸を中心にボランティア活動をした経験があるが、杉尾副代表は「当時の田中氏の行動には賛否もあり、兵庫県に縁はあるが、尼崎の市民に通用するのか」。連合兵庫尼崎地域協議会の幹部も「神戸空港の建設問題で田中氏は反対派。連合兵庫は空港推進で地元労組にわだかまりがある人がいる」と話す。
兵庫8区ではこのほか、社民、共産の立候補予定者らが準備を進めている。
ん…。この両ケースの判断の分かれ目はどこにあったんでしょう???
ごくごく個人的な意見を述べるならば、組織力のある公明党相手に、万が一にも未だに党内での存在力の大きい小沢前代表をぶつけて勝てなかった時のリスク
(冬柴氏にぶつける田中氏の場合は、別に民主現職でもありませんし、議席を獲れればラッキーというところでしょう)を考えれば、やはり確実に地元で議席を1つ確保した方が得策だと考えたのかもしれませんし、それ以上に総選挙後の公明党との連携の可能性を考えると、必要以上に公明党との関係を悪化させることもないと考えたのかな…とも思ったのですが、そうなると小柴氏に田中氏をぶつける意図がイマイチ不明。
まあ、対戦相手が、あの太田昭宏公明党代表ならば、例え敗れることになっても、出馬する民主の若手候補も名前を売ることができるでしょうし、そこそ善戦すれば勝負する価値も十分あると思うのですが、前長野県知事で新党日本の田中氏を担ぎ出したのは正直以外というかなんというか…
田中氏自体、民主党というより、国民新党の綿貫さんなど、保守本流に近い人だけに、正直『勝てれば誰でもいいのか?』という感想さえ持ちました。
はたして尼崎など兵庫8区の住民達は小柴氏と田中氏のどちらを選ぶんでしょうね…。