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「会社のために辞任」無念のJR西社長…福知山線事故

2009-07-09 07:07:09 | Weblog
「会社のために辞任」無念のJR西社長…福知山線事故 2009年7月9日 
読売 http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20090709-OYT1T00147.htm?from
毎日 http://mainichi.jp/select/jiken/news/20090709k0000m040120000c.html
 JR福知山線脱線事故で、神戸地検は8日、JR西日本の山崎正夫社長(66)を業務上過失致死傷罪で在宅起訴した。
 事故後、安全対策の顔として抜てきされた山崎社長は記者会見で辞意を表明。「一歩一歩、着実に成果を上げてきたのだが……」と社内改革の道半ばでの辞任に無念さをにじませ、自分だけが刑事責任を問われることへの割り切れなさものぞかせた。JR史上最悪の事故から4年2か月余り。遺族、被害者らが問い続ける真相解明の場は法廷に移る。
 山崎社長の会見は午後6時から本社4階の会議室で行われた。約100人の報道陣を前に、佐々木隆之副会長、西川直輝副社長と並んで深々と頭を下げ、「取り返しのつかない、極めて重大な事故を引き起こしてしまった。ご遺族、けがをされた方々に深くおわびを申し上げたい」と、まず謝罪の言葉を述べた。
 続いて、「私及び経営を担ってきたものが責任を重く受け止めねばならない」と辞任を表明。顔を紅潮させた。報道陣から辞任理由を改めて問われると、「社長を辞した方が、会社の経営が円滑に行くと考えた」と説明した。
 鉄道本部長を務めた後、副社長を経て社長に就任したのは、2006年2月。技術畑出身で安全対策に通じており、脱線事故で失墜したJR西の信頼回復の担い手としての役割を期待されていた。
 「起訴は1人だけだが……」と尋ねられると、「ウーン」とうなり、「それはここで言うべきではない。色んな思いがあったとしても……」と言葉を濁した。
 報道陣からは、起訴事実についての質問も相次いだが、「従来から述べてきた主張をして裁判所の判断を仰ぎたい」と繰り返した。
 
◆「驚いた」国交省に衝撃走る◆
 JR西日本の山崎正夫社長が在宅起訴されたことで、監督官庁の国土交通省やJR各社では驚きと困惑が広がった。
 「驚いた、の一言。鉄道会社の安全担当者にとって厳しい先例になるだろう」。国交省鉄道局の幹部はそう語った。
 同省は事故後の2005年5月、鉄道各社に対し、急カーブに自動列車停止装置(ATS)の緊急整備を指示した。従来、信号機の手前にATSを設置することは義務付けていたが、それ以外は各社の判断に任されていた。現在は大手、中小の鉄道会社とも、急カーブでのATS設置率は100%となっている。
 鉄道局の別の幹部は「運転士が大幅な速度超過でカーブに入ることを想定した対策を求めるのは、難しい判断だ」と漏らした。
 一方、JR東日本のある幹部は「現役トップが刑事責任を問われる事態は前代未聞。1985年の日航ジャンボ機墜落事故でも関係者は不起訴になったのに……」とショックを隠せない様子。ただ、山崎社長はカーブ付け替えの当時、安全対策の責任者である鉄道本部長だっただけに、JR東海の中堅幹部は「山崎社長が現場のリスクの芽を見逃したのなら、責任を問われてもやむを得ないのでは」と話した。


「社長だけの責任か」遺族ら残る不満 JR西社長起訴 2009年7月9日 
朝日 http://www.asahi.com/national/update/0708/OSK200907080180.html
毎日 http://mainichi.jp/select/jiken/news/20090709k0000m040105000c.html
産経 http://sankei.jp.msn.com/affairs/disaster/090708/dst0907082256012-n1.htm
 多くの人の命と未来を一瞬にして奪い去ったJR宝塚線の脱線事故。山崎正夫社長の起訴に、遺族や負傷者の思いは複雑だ。「JR西本体の責任が指摘された」と受け止める一方で、「旧経営陣の責任はなぜ問われないのか」と批判の声も根強い。山崎氏の辞意表明で安全への取り組みが後退するのではと、新たな不安も聞かれた。
 午後3時。神戸地検の会見と同時にテレビニュースが山崎社長起訴を報じた。妻(当時62)と妹(同55)を亡くし、次女(37)が重傷を負った浅野弥三一(やさかず)さん(67)=兵庫県宝塚市=は食い入るように画面を見つめた。「事故の原因が会社の組織的な問題にあったとされたのは前進だ。でも、山崎社長だけという点に強い不満がある」
 遺族らでつくる「4・25ネットワーク」の世話人の一人としてJR西の責任を追及してきた。事故後、独り暮らしを強いられ、心的外傷後ストレス障害(PTSD)で電車に乗れない次女を支えながら毎日を過ごしてきた。
 事故現場が急カーブに付け替えられた96年当時の社長は井手正敬氏だった。「『安全対策は部下に任せていた』で通るのか」。今回の判断に釈然としない思いが募る。
 2両目で、右足を骨折するなどのけがを負った兵庫県西宮市の小椋聡さん(39)。事故のショックで精神的な後遺症があり、睡眠薬が手放せない。妻もうつ病と診断され、看病のために昨年7月、勤めていた会社を辞めた。「事故は組織的な要因で起きた。山崎社長1人の責任で起きたとはどうしても思えない」
 事故原因や背景要因を自ら検証するよう、JR西に求め続けてきた。今回の起訴が、なかなか求めに応じないJR西のかたくなな姿勢を強めるのではと懸念する。「JRは地検の判断を根拠に、事故の責任を山崎社長個人に押しつけるのではないか。そうやって被害者に背を向ける気がしてならない」
 「安全対策を怠ったJR西の方針の誤りを指摘するものだ」。次男の昌毅さん(当時18)を亡くした上田弘志さん(55)=神戸市北区=は、起訴をこう意義づける。事故から4年余り。旧経営陣の不起訴に不満は残るが、「事故の記憶が風化しつつある中、改めて衝撃がJRの現場に伝わるのでは」と期待も寄せる。
 その一方で、山崎社長が辞任すれば、山崎社長と同じ程度の情熱を持って安全対策に取り組める人がいるのか、という不安がよぎる。
 裁判を通じ、JR西の安全軽視の体質が明らかになるのではと期待する遺族もいる。
 妻の淑子さん(当時51)を亡くした兵庫県西宮市の山本武さん(60)。事故の半年ほど前、大阪市で繊維卸業の会社を起こし、淑子さんにも経理を手伝ってもらっていた。事故は、会社が軌道に乗りかけた矢先に起きた。「仕事にやる気が出ず、老後も1人でずっと過ごすのかと思うとやりきれない」と話す。
 カーブ付け替えの危険性を誰がどこまで認識していたのか。なぜそれは上に伝わらなかったのか。上層部が聞く耳を持たなかったのか――。「これまでのJR西の説明では分からなかった、事故前の企業体質が裁判で明らかになるかもしれない」。毎回、傍聴に行くつもりだ。



 う~ん。在宅起訴が決まった直後の辞任なので『やっぱり起訴されたから、実質上辞めさせられたんだろうな…』とは思いましたが、社長たるもの 『健康上の理由』を上げるなり、せめて記者会見の場など、表面上だけでも取り繕って欲しかったですね…(溜息
 まあ、今年の株主総会が6月23日に開かれたばかりなので、通常は『事故対策や補償問題も一区切りがついたので、これを機に後進に道を譲ることにした』といった理由でもつけて株主総会で辞任を発表する方が普通でしょうし、本人も辞めるつもりはなかったのだとは思いますが、辞める本人は恨みつらみをマスコミに語れば多少のうっぷん晴らしになるのかもしれませんが、世間の興味と冷たい目に晒されるのはまさに現場の末端の社員。
 こういう発言をするとJR西日本の関係者からお叱りを受けるかもしれませんが、『トップがこれでは現場はたまったものではないだろうし、見苦しいにも程がある』という感想を持ちました。
 今回の辞任報道は19時からのNHKのニュースでもトップ報道され注目度も抜群でしたが、(社長1人が責任を取らされたことに議論の余地はあるとはいえ)経営者が取る姿勢(経営者の辞め方)としても十分過ぎるほど考えさせられる言動だったように思います。