法律では「牛殺し」を「人殺し」に劣らず厳しく罰せられた。特に仔牛を殺したり食べたりすることは、ほとんどなかったという。
この記述を読むとインドの食のタブーに関する記述かと思うが、これは古代ギリシアに関する記述である。『食の歴史I』(J-L・フランドラン/M.モンタナーリ編、宮原信・北原美和子監訳、菊池祥子・末吉雄二・鶴田知佳子訳、藤原書店刊)の第6章にある記述で、アテナイの古い法律では上に書いたように牛殺しは人殺しと同罪扱いだったようだ。これはすなわち古代ギリシア人たちの食生活が穀物中心で、獣肉を食べることが少なかった(宗教的供犠と関連した食に制限されていた)ことを示しているという。
そういえばギリシア神話には牛がよく登場する。ヨーロッパの語源もエウロペが乗った牛が放浪した地域ということを読んだことがあるし、ミノタウロスなどの神話もそうである。農耕中心の社会であり、農耕牛として牛はたいへん人と親しい関係を結んでいたのだろう。本書に古代ギリシアでは食用として濫りに牛を殺して食べるようなことはなかったと書かれている。
古代ローマでも穀物すなわちパンとオリーブ、葡萄が食生活、文明人としての食生活とみなされていたようで、蛮族は肉を喰らうがゆえの蛮族であった。古代地中海世界では、肉が奢侈や社会的特権のシンボル、富の象徴とは考えられていなかったという。農耕民族だったということだ。
日本ではヨーロッパを肉食の民族として十把一絡げにして論ずる風潮があるけれど、歴史をみるとそうした農耕民族としての古層があることをきちんと知っておくことは重要だろう。
古代地中海世界では、肉を食べるということがほとんど宗教的儀式と重なっており、それを「一緒に食べる」こと、「等しく配分すること」が「食事」において大切なことだったという。読書途中の本であるが、こういう切り口で見る歴史もたいへん興味深い。