烏有亭日乗

烏の塒に帰るを眺めつつ気ままに綴る読書日記

図書館の誕生

2007-04-21 10:44:46 | 本:歴史

『図書館の誕生-古代オリエントからローマへ-』(L.カッソン著、新海邦治訳、刀水書房刊)を読む。副題にあるように古代オリエントからローマ時代にかけての図書館の歴史を扱った本であるが、人間が文明の誕生と同時に情報を蓄積、収蔵していたことを教えてくれる。というより過去の経験などの情報を蓄積したからこそ文明の誕生が可能になったというべきだろう。
 前三千年紀のメソポタミアの粘土板といえば世界史の授業でも出てくる最初の情報文書であるが、資料を収蔵した「図書館」といえるのは、前十二世紀末ということらしい。その設立者は、ティグラト・ピレセル一世というアッシリアの王であったという。情報の収集というのは強大な権力がないと不可能な時代である。しかし「最初の組織的な収集」が行われた図書館という意味では、その後代の王アッシュルバニパルの時代であるという。王個人の収蔵品でありながらも王室関連の人々も閲覧したようで、しかも当時から「本」の無断帯出には悩まされていたらしいことは、当時の粘土板に次のような記載(恫喝)があることからも分かる。

世界の王、アッシリアの王、アッシュルとニンリルを信仰するアッシュルバニパルの粘土板。神がみの王アッシュルよ、あなたの威信は並ぶものなし。誰であれ(粘土板を)持ち去り、我が名の位置に自分の名を記す者は、アッシュルとニンリル、怒りに燃えた過酷なこの神が、彼を打ち倒し、彼の名、彼の子孫を地上から抹殺してくれますように。

そう、情報の無断帯出は古代から重罪だったのだ。(アッシュルというのはアッシリアの至高神、ニンリルというのは創造神エンリルの配偶神)。

 時代はずっと下って古代ローマ時代に飛ぶ。皇帝たちが建立した図書館の平面図が掲載されているが、巻物の収蔵は、壁龕に木製の書架を設けてなされていた。壁一面使って本を納めていたことになる。壁以外のフロアには書架はなかったようなので、建物の大きさで収蔵量が規定されていたことになる。蔵書量が増えてしまうと、新たに建てなければならなかったという。当時の図書館は、市民に対して当時の通常の労働時間にあたる夜明けから正午ごろまで閲覧などのサービスを提供したという。ローマ時代でも蔵書の窃盗はあったようで、キケロは自分の奴隷が蔵書の多くを盗み出しており、発見次第自分のところに送還してほしいという旨の書簡をしたためている。
 二世紀までは図書館の蔵書はすべて巻物の形であったが、その後パピルスの綴じ本が一世紀ごろに登場する。本書によれば、一世紀頃はまだその普及率は1.5%程度であったが、三世紀には約17%へと上昇し、400年までには80%、500年までには90%に上昇しているという。情報の記録媒体の変革の波がこの時代にあったのだ。100年ごとにこのような普及率の上昇をしているが、最近の統計でインターネット利用率の推移を参照してみると、1996念は3.3%なのが、99年は19.1%、02年には81.4%、03年には88.1%となている。インターネットとパピルスの綴じ本とでは、単純比較はできないが、綴じ本となって情報の集積度が巻物より格段に上がり携帯にも便利となったというから、案外似たような感覚だったのかもしれない。情報媒体の革命が古代では100年ごとに進行していったことが、現代では1年ごとに進行していることになるだろうか。携帯情報端末がもっと進化すれば、折りたたんだり、丸めたりしてポケットに入れて持ち運び、ちょうどいつでもどこでも好きな音楽が聴けるように、読みたいときにどんな本でも(例えば画集のような大版のものでも)広げて読むことができるようになるのだろうか。