烏有亭日乗

烏の塒に帰るを眺めつつ気ままに綴る読書日記

思想の中の数学的構造

2006-11-13 20:56:31 | 本:哲学

『思想の中の数学的構造』(山下正男著、ちくま学芸文庫)を読む。哲学の思考回路にどのような数学的思考が応用されているかを考察していくエッセイである。「現代数学」や「Basic数学」に連載されていたものを集めたものなので、どこから読んでもいいし、使われている数学も高校レベルまでくらいのものなので数式がぱらぱらめくると目にはいるが読んでいく上には支障はない。
 レヴィ・ストロースの親族構造と群論については有名な話であるが、レヴィ・ストロースは数学が苦手であったらしく、自分の著作の中に数学者アンドレ・ヴェイユ(シモーヌ・ヴェイユのお兄さん)の論文を引用していながら、それを存分に利用できなかったというエピソードも紹介されている。個人的にはその章よりもその前にある内包量と外延量の話の方が面白かった。攻略しがたい内包はさておいて、外延を延長的実体として研究していくというデカルトは近代哲学の祖とされているが、この二つの思考法から哲学史を眺めると、外延を中心においた思考に対して、いかに内包の重要性を主張していくかというのが近代西洋哲学の歴史ではないかと思えてくる。直観を重視したベルクソンや自分から疎外された(外延となった)ものを敵視したマルクス、強度を重要なキーワードとしてドゥルーズなど重要な哲学者はたいていそうである。おそらくこれは「私」という存在が静的な存在ではなく、成長し変容する存在だからであると思う。数学的論理では、時と共に成長する「私」を記述し尽くすことができないのだ。さきほどの群論もそうだが、規則によって元を変換した時に変換された元もその群に属していなければならない(閉じた構造でなければならない)。閉じた構造を内破するものは理解不能なものなのだ。そういう意味で弁証法は哲学で好まれるのだろう。
 第II部5節では解析学とヘーゲルと題されている。直交座標の横軸に外延量である時間tを縦軸に内包量である速度vをとって、加速度運動を解析する場合を例にとって、ヘーゲルにおける弁証法的運動を素描している。その微分的および積分的特長というのは、単なる比喩を超えた洞察の面白さがある。
 全体を通して、文学的で晦渋な表現がなく数式で明快に表現されているので読みやすい。さらなる議論としては、無限やカオスと哲学の関係についての考察がほしいとこである。