『万博とストリップ』(荒俣宏著、集英社新書)を読む。
明治時代と博覧会のことに興味があって読んだ本。万国博覧会では産業の発展の成果を展示することが主目的であったが、観客を動員するためにさまざまなアトラクションが演じられた。いわゆる”セクシーダンス”もその一つで、1855年ロンドン万博に次いで開催されたパリ万博では、バレエやオペレッタなどの芸能が夜間演じられた。このとき演じられた”セクシーダンス”がカンカンで、オッフェンバックがプロデュースした。さらに1889年のパリ万博では、あのエッフェル塔が登場するのだが、娯楽興行地区が設けられ、「リュ・ド・カイル(カイロ通り)」と呼ばれる。ここで演じられたのがエジプト風ベリーダンスで、おへそ丸出しで妖艶な腰つき踊るダンスが披露された。これが大いに評判を呼び、産業学術の成果ではなくこのベリーダンスを見るために訪れる旅行客もいたという。
万博にもアトラクション的要素が不可欠であったということと、女性のセクシーさが大きく貢献したという歴史が紹介してある。後者が大きく話題を呼んだということは当時(当然のことだろうが)万博は男性の祭典であったということだろう。
1933年のシカゴ万博では、サリー・ランドというストリッパーが「パリ通り」でファン・ダンスなる羽扇で裸体を隠しながら踊る妖艶な踊りで話題を集めることになる。その後アメリカではセクシーなショーが行われる場所には決まって「パリ通り」という名称がつけられたという。セクシーなことは花の都を連想させるという、フランス人にとってはちょっと迷惑な意味作用であろう。
万博とセクシーなダンスとの関連という視点は大変面白い。大勢の人前でショーを盛り上げるためには、それなりの照明設備や音響設備の発展が必要だろうが、そうした技術の発展も万博で披露されたのだろうと思いつつ読んでいると、セクシーダンスとキュリー夫妻というこれまた一見無関係なように思われる両者のつながりが紹介されていた。1900年パリ万博でサーペンタイン・ダンスという踊りを披露したロイ・フラーという女性は、舞台のイルミネーションの活用を常々工夫していたが、新聞でキュリー夫妻が研究していたラジウムが蛍光を発する性質があることを知り、その応用を夫妻に打診したというのだ。当然というべきか、「舞台で使うには危険すぎる」ということで却下されたわけだが、丁寧に応じてくれたお礼として夫妻の家で自分の踊りを披露したという。放射性物質の研究史として特筆すべきことであろう。
”妖艶な”踊りというのはその時代で許容される程度が違うが、博覧会という公の行事の中で、それなりの正当性をもって演じられており、その舞台芸術はその当時の技術発展とも関連していたといえよう。年末の紅白歌合戦は見ていないが、舞台上で女性が裸体と見紛うばかりの姿で踊ったということが、公共放送としてあるまじきことだという議論が起こり話題になっていた。こうした歴史的経緯を知るとそれほど問題なことではないような気がする。家庭のテレビで”裸体”に見えたとするならば、その受像機の解像度に問題があったわけで、独自技術で開発したハイビジョンをより廉価な価格で国民に普及していくとともに、さらに受像機の解像度を上げるべく技術的開発を進めてまいりますというふうに弁明してもよかったのではないだろうか。