烏有亭日乗

烏の塒に帰るを眺めつつ気ままに綴る読書日記

法哲学講義

2007-11-11 20:43:42 | 本:哲学

 『法哲学講義』(笹倉秀夫著、東京大学出版会刊)を読む。
 法についてのお勉強として購入した本で、「はしがき」にあるように「学部学生と社会人に法の世界・法哲学への道案内をすることと、ものの見方・考え方を訓練すること」を目的としているということでうってつけである。また複数の著者を編集したものではないので、著者の一貫した視点があることもいい。
 第一章は「法と政治と道徳」から説き起こされ、法のみの閉じたシステムを表すのではなく政治や道徳と対比させながら述べている。法解釈は論理的な側面と同時にそうでない側面があり、「過去に制定された法を前提にしつつも、今日の生活にとって妥当な法の運用いかに確保するかにあること、の確認」にあり、「政治におけると同様、法それ自体が目的ではなく、他のものを目的として、それを如何に効果的に-しかし法の枠組を尊重しつつ-実現するかを重視する目的合理的思考であり、柔軟な思考であることが帰結する」と述べる。
 第2編までは総論的だが、第3編からは「国家論」、「民主主義と自由主義」、「戦争責任論」、「抵抗権」、「象徴天皇制の法哲学」など各論的な事項について踏み込んだ議論がされていて興味深く読んだ。
 戦争責任論においては、過去のあやまちを不断に想起するこの重要性を論じている。後の世代が関わる戦争責任は国民の一人としての個人的道徳的責任をどのように内面化するかが重要であることを著者は強調し、日本では天皇制という集団主義のために国民個人の責任が内面化されていないとしている。このあたりの議論は著者も丸山真男について論じた著書もあるだけに力がこもっているし、法律の教科書らしからぬところがあり面白い。この部分は第19章の「象徴天皇制の法哲学」とあわせて読み、「象徴」とは何かを考えながら読むといっそう考えさせられる。著者は日本の天皇の象徴性について戦前と戦後では全く性格が異なることを述べ、

 ・・・戦前の《神=天皇→内閣→臣民》という権限関係は、今やまったく逆転し《国民→議会→内閣→天皇》という順序になったのである。
 天皇はここまでその存在を国民に依存させた関係にあり、したがって憲法上ではその象徴性は全く超越性をもっていないし、「君主の固有権」をもった独立存在でもない。このような象徴性を、ここでは「国民に依存した象徴性」と呼ぶ。

 法的に見て天皇は、君主として国民の上位には立っていない、むしろ、「固有権」をもたず国民主権に服しているのだから、国民相互間の名誉毀損以上の保護を受ける必要はないし畏敬の対象とはなりえない。この点で、たとえば皇室典範が「陛下」などといった秦の始皇帝にまつわる敬称を規定しているのは、奇怪という他ないだろう。

 現行憲法の理念に基いて理路整然とした議論が展開されている。改憲の議論は政治の混乱でやや遠のいた印象があるが、こうした基本的なことは改憲に関わる国民が十分議論しておくべきことだろう。その点では、テキストという性格をふまえこの議論についての対論をいくつか紹介してくれるといいのだが。

 同じ著者の手による『法思想史講義』上下巻が東京大学出版会から刊行されており、こちらも読まねばならない。