烏有亭日乗

烏の塒に帰るを眺めつつ気ままに綴る読書日記

うぬぼれる脳2

2006-05-13 09:42:32 | 本:自然科学

 『うぬぼれる脳』の後半を読む。セルフ・アウェアネス、自分の身体の部分が自分に帰属するという身体に関する認知、自分のことについての記憶(自伝的記憶autonoetic memory)などは、大脳の右半球の機能が重要であることを様々な脳機能検査の結果や特定の脳が障害された症例で示されている。
 あることを単に知識として知っている(know)ことと、その知識を獲得したときの状況を含めて覚えている(remember)ことには違いがあるが、右前頭領域の障害では、自己認識的・自己参照的な記憶が特に障害されるという。ある情報を自分と関係付けることは、実践的な知識を考える時に重要だ。自分の過去の状況あるいは未来の状況に関連づけて情報を処理し、行動することは自分のみならず社会生活を送る上で欠かせないからだ。「知っているのに実行できない」という状態は、故意にそうしている場合もあるだろうが、両者を関連付けるある一定の訓練なり努力(というといささか精神論的になるが)が必要なのだろう。社会性の獲得のためには人は社会の中に生まれ、成長する必要がやはりあるのだ。
 その他に挙げてある実験的事実で非常に興味深かったのは、次の協力課題に取り組むという実験である。




被験者には、協力の相手は人間だと告げる場合と、コンピュータだた告げる場合がある。協力の目的は現金で、被験者は相手とうまく協力できれば、結果として現金を手に入れることができる。したがって被験者は、相手が何を「考えている」かを推察しなくてはならない。コンピュータは一貫して標準的な戦略を使うことになっており、被験者はその戦略をあらかじめ知らされていたが、人間の相手は、なにしろ人間であるから、どう出てくるかわからない。
 (中略)実験の結果、被験者の一部は人間の相手と協力し、一部は協力しなかったが、興味深いことに、協力した人たちは、相手が人間のときとコンピュータのときとで、右前頭前野の活動性に大きな違いが見られた。言いかえれば、人間の心を読んでいるときと、コンピュータの心を読んでいるときで、活動性に違いが見られたのは右の前頭領域だった。


 これは単に右の前頭葉にそうした機能的重要性があるというだけではなく、相手の心を推測する(思い遣るといってもいい)という「心の理論」を適用するかどうかは相手が人間か機械かによって変わるということが強調されるべきことだと思う。インターネット社会になりネットの世界で様々な事件が起こったりしているが、メールやチャットをしている場合に画面の向こうが人間であると思って対峙するのか無機質なバーチャル空間だと思って対峙するかによって、その人の態度が大きく違う可能性があることをこのことは示唆している。相手の顔が見えるか見えないか、顔を意識するかしないかというのは単に道徳的な話にとどまらず、脳科学的に見ても重要なことなのだろう。インターネットの空間では常に人を意識させるようにさせるような環境を整えるようにすることがいろいろな暴走を防ぐことに役立つかもしれない。