烏有亭日乗

烏の塒に帰るを眺めつつ気ままに綴る読書日記

信用の連鎖の崩壊

2005-12-02 10:17:42 | 独り言
 経済活動というものが根本的に相互の信頼によってなり立っているシステムであることは経済が素人の私にもよく分かる。お互いがよく理解しあい、信頼関係がなり立っている場合とどちらか一方が相手を信頼していない、またはお互いに不信をいだいている場合とでは明らかに前者の方が円滑に活動は進んで行くであろう。自分が相手にいだく不信を払拭するためには、基本的には相手が提供する情報では決して解決されることはなく、みずからが集めた情報を自分の尺度で評価することが必要である。しかしこの作業は時間がかかるので、一つ一つこの作業をやっていては一つの結論を出すのに恐ろしくて手間と労力がかかってしまうことになる。この解決法として採用されるのが第三者による中立公正な評価システム(いわゆるお墨付きを与える)である。経済活動の中で次々と生まれる専門家は、システムの潤滑油であるといえる。

 これら3者間で形成される信用構造がきっちりと組み合わさっていると安定な三角形を形成し、組み合わせ、積み上げることによりさらに大きな信用のピラミッドを形成することができる。資格を取り、維持することが非常に困難な専門職というのはこの信用のピラミッドの基底を構成する専門集団である。
 
 今回の一連の建築構造の偽造の事件により建築士というのは、この基底部にある専門家の一つであることがはっきりしたと同時に、検査機関と建築会社で形成される3角形がきわめて脆弱であたかもトランプでつくったピラミッドのようなものであるということもはっきりした。さらに社会生活を送っていく上での「安心感」というものが漠然としたものであり、一歩間違えば容易に恐慌というものを生み出しうる恐れがあることも(歴史が繰り返し教えているのに)あらためて認識された。
 
 少し前には狂牛病に端を発した牛肉の安全性問題があった。狂牛病の場合は発生率が非常に低いものの発症すれば致命的という点が、今回の不安の構造に非常によく似ている。地震も発生率は低いが発生すれば壊滅的である。前者の場合は、いつか食べていたかもしれないという過去に対する不安が起きる(私はちょうどあの頃イギリスに一時滞在していたが、食べたものなど正確に思い出せるわけがない)し、後者の場合にはいつか起こるかもしれないという未来に対する不安がわく。
 
 不安の連鎖を断ち切るためには安全保証が必要だが、今回はその機能を果たすべき専門家がまったく機能していなかったわけで非常に深刻である。100%の保証は土台望めない話だからかぎりなく100%に近づける努力をしていく場合に失われる経済の円滑性と融通性をどこまで社会が許容できるかということの合意が形成されなければならないだろう。