Wake Up !

一人のヒーラーさんとの出会いから、私の世界が変わっていきました。

ジェットコースターのような日々

2013-10-01 20:55:26 | 日々のつぶやき

母が入院したため、数日間妹が来ていた。

妹は父の顔色が前回会った時よりもずっと良く、しっかりしているので安心して帰って行った。

しかし、相変わらず食べられない。

朝のスムージーと玄米スープで持っているような感じで、食事が出来ないことが心配。

毎日、テッシュケースを空にするほど、唾を吐いていた。

妹が帰る月曜日の朝、目の前で黄色く粘って口から糸を引いているのを目にした。

「いつもこんなのが出るんだ。」と、父は悲しそうに言ったが、数日前もお豆腐さえ詰まって、吐き出すありさまだったので、その日、以前行った胃腸科へ連れて行った。

先週も父は診ていただいていたが、この数か月間の事は伝わってなく、そのことと、固形物が詰まることと、四六時中どろっとしただ液が出ることを伝えた。

すると、今年3月に撮った食道と胃の写真を見せられ、食道癌の心配がない事を言われ、黄色い鼻水のようなだ液についても、

「胃液は無色透明です。それは鼻水ではないでしょうか?鼻出ますか?」

「いいえ、出ません。」と父は答えたが、

「しょっちゅう点鼻薬をさしてるじゃない。」と横から言うと、

「お年寄はのどの奥に鼻水やだ液が一緒になって絡まりますから。」と言われ、逆流性胃腸炎の薬以外に漢方の安定剤を追加された。

その後、父は薬局へ行くと、その薬を飲むと睡眠導入剤もいらないであろうと言われた。

どうも父のだ液は鼻水と逆流する胃酸の混じった物ではと思ったが、父の鼻は見た目ではわからないが歪んでいてまっすぐではなく、そのうえアレルギー鼻炎をよく起こしている。

まだ、帰宅途中だった妹に連絡すると、

鼻うがいの装置と、エキストラバージンオイルを就寝前に飲むと、胃酸の分泌を調整する事を教えられたので、早速手配した。

父は今までも、リューマチで一時は起きる事も歩くこと出来なくなっていたのが、近くの柔道整体師の先生が毎日通っていただいて、起きる事が出来、今はその症状は無い。それと交互に出ていたぜんそくももう今はでなくなっていた。

ハナクリーンを使ってそのようなだ液が出なくなれば、ずっと楽になるのではと、密かに期待していた。

しかし、父はまた、元の私立病院の外科へ行くと言い出した。

「なぜ、行くの?」

「定期健診だ。」

「行っても何もできないでしょ。」と止めたが、元気よく?歩いて行ったが、帰りは電話がかかり迎えに行った。

「CTで見ると『進行してますね。安静にしてください。突き上げるような感じは癌から来ているものかもしれません。入院しますか?』と言われた。」と言い、朝と違いがっくり気落ちしていた。

そりゃそうだ、末期がんの患者と間違えられ、精神的に追い込まれたんだから、もっと大らかになれないものかと思った。

帰路の途中、よほど食べたかったのか?カップめんをスーパーで買ってきた。

どうせ、2口ぐらいで捨てるだろうと思い、止めなかった。

いったい、どうなることを望んでるの?と聞きたかったが、また、こうなると重病人モードである。

昨日、胃腸科に行ったのに、まだその薬も飲み始めたばかりなのに…。と思うと腹が立ってしょうがないので、入院中の母にこぼした。

点滴にも行かずにいたのは一時の間で、近くのやぶ医者へ先週の金曜点滴に行ったが、帰宅して

「今度は4時間の点滴だ。」と言うので、

「体力もきついし、トイレも大変だから止めれば。」と、みんなで反対したが、それを聞かずに月曜の午後行った。

案の定、5時すぎに疲れ果てて帰宅したが、おむつを穿かされ、風呂もいらず、早くから横になり、また行くとは言わなかったが、癌を克服したした人の体験を印刷して読ませた数日だけおとなしかった。

医者に頼るのでなく、自分でという気がない。後ろから蹴りを入れたい気分だ。もう振り回されるのにうんざり、何か芯が無い。

また、夏に股関節の手術をしたチエさんのご主人も貧血がある事が分かり、癌の検査となった。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする