5,6年前茶の間のテレビのリモコンを適当に触っていて偶然放送されていたのが、ウォン・カーウァイ監督のこの映画だった。
テレビでありながら、珍しく引き込まれ最後までチャンネルを替えずに見た。
近未来の街が出てきたので、ブレードランナーのようなSFかと思ったが、とても暗く、出口のないトンネルのような映画だった。でも映像と音楽がマッチしていて、オペラ、ポップスと使われ、登場人物のテーマソング的に使われたり、心情を表し、ナット・キング・コールの歌う「クリスマスソング」は月日が経つのを表し、悲しいテーマ音楽はアレンジを変えて、よく流れた。
それにもまして、心を閉ざし、退廃的な生活を送る主人公の心情にひきつけられた。
その当時、仕事を通じて知り合いになり、」家に出入りしていた30歳前の女の子に
「良かったよ。」と勧めると、彼女から、心外な言葉が帰ってきた。
「ネコちゃんって、すけべ~!、これより『花様年華』の方がずっと清潔でいいよってビデオ屋の兄さん達も言ったので借りてみたらそれの方が良かったわ。」と、言われ悲しいかな私は助平扱いになってしまった。
確かにそのような描写はあるが、それを売りにしていないので、いやらしくもなく、気にもならない。
実らなかった恋の痛手からか心を閉ざしたトニー・レオンとその男に恋するチャン・ツイィーが哀れだった。下宿の娘、その恋人の日本人の木村拓哉、二役で小説の主人とその中の女、過去の恋人マギー・チャン、そして流れていったシンガポールでいかさま博打で主人公に旅費を渡す賭博師しのコン・リー、その名前が、恋に落ちた彼女の名前と同じだった。
1960年代の数年を描いていたが、主人公のどうしようもない厭世的な気分のままで最後まで変わることはなく、2046とは、「花様年華」がから引き続いルームナンバー、思い出の部屋のナンバーでもあり、小説の名前?でもあった。
しかし、彼女にいくら説明しても理解してもらえなかったであろうと思うので、そのままにした。同じものを見ても、感じ方も受け止め方はも千差万別でしょうがない。
その後、前後が逆だが、私も「花様年華」のビデオを借りて見た。こちらの方よりもやはり「2046」の方が好きである。
私自身も長い間、内面は厭世的な気分で、惰性で生きているようなありさまで、42歳の9月に台風の事故で亡くなると言われても、別段焦りを感じず、半分どうでも良かった。私の暗さを感じ取っていたのはノワタリさんと、以前腰の治療に行った福田高規さんだけだった。福田さんは待合室でその当時発行されたばかりのA4サイズの江本さんの水の結晶の本を見るよう勧めた。
思っただけで、その波動は伝わると言うことか…。
そんな気持ちで過ごしていたので、負の者が寄っても来ても不思議は無い。しかし、これはそれなりに通らなければならなかった道らしかった。
今年の春、亡くなった友人がなぜ私の処によく来たかは、お姉さんの言葉で気づいた。
ノワタリさんに彼女は、
「同じ独り者だから、親しみがある。」と伝えたが、彼女の周りは同じ稽古事の仲間に独身者は多く、珍しくはなくい。彼女のお母さんが亡くなられた後は、稽古事も忙しく、あまり帰省することもなく、以前のように二人で旅に行くほど密接ではなかった。
彼女が20代の頃、好きな人がいたが、それが成就することはなかった。その後、彼は郷里で結婚し、数年後子供ができた。
その時、彼女が私の目の前で
「あ~あ、だめだわ。子供が出来たって。」
「え!まだ思ってたの?」
それを最後にその人の名を彼女の口から聞くことはなかった。しかし、幾度かお付き合いしたり、結婚の機会はあったが、どうしても彼の事が引っかかっていたと、最近姉さんから聞いた時、そういう面で心を閉ざし、私達は似た者同士だったのだろう。
しかし、今この2本の映画は重くて見るのはおっくうで、そういう気分にはならなくなった。
これは1か月ほど前に書いていたのだが、そのままにしていた。今日彼女の月命日という事もあり、UPする事にした。日が過ぎていくにつれ、彼女の声が聞こえなくなったのが、寂しい。