Wake Up !

一人のヒーラーさんとの出会いから、私の世界が変わっていきました。

足止め

2011-11-27 20:48:45 | 日々のつぶやき

21日はどうにか過ごせたものの、22日午後から又体がきつく重い、鉛を背負っているみたいになった。おまけに風邪気味で午後に微熱が出る。

仕事を終え、早く横になったが眠る事は出来なかった。

翌23日の朝 ノワタリさんに連絡を取ると、話している内に「重い、後ろも…前もですね。」と言われ、お風呂に神棚から下げた塩、水、酒と榊を入れて全身塩で清めてゆっくり浸かった。その後で「あの~、昔のお姫様がおこそ頭巾をかぶって出てきました。綺麗な着物なのでおひめさまですかね~。30代くらいかしら」と言われる。その年ならば、奥方かもと思った。

「あの~髪型は日本髪ですか?」とお尋ねすると「いいえ、長い髪です」と言われた。

宿で汲んだ湧き水の所に「天正年間」と言う文字が浮かんだ。落城した一族の女性だろうか。

以前香港で買ったヒスイのネコも熊本のお姫様の物だった事を思い出した。(今はノワタリさんのご神前に狛犬のように飾られている)何か関係があるのかしら?

そして「それでお姫様が後姿で消えていった後、今度は黒っぽい観音様が立ち姿で出てこられて、私が『受け取りました。』と言ってるんです。今回、払い方も違ってましてね。」と言われた。

そのお姫様も気になるが、観音様は???、よく時代劇に旅姿の女性の胸元に袋に仏像を下げているが、話では私に対してらしいのだが、分からない。

ノワタリさんのお陰ですっかり楽になり、午後には外出する事ができ、夕飯に好きなレンコン団子を作ることが出来た。

それで良くなったかと言えば、今回は否であった。風邪を引いて寝込むということ等、めったに無い私が、24,25日と仕事はしたものの夕食後すぐに横になった。しかし、眠れず横になって写真を取り込んだり、ブログを書いたりして眠れない。

親しかった仲間の同窓会はこの体力では無理と金曜の午後にが掛かり、「今回は行けれないけれど、又有れば誘って欲しい。」と言って断った。

くしゃみ鼻水が出続けていたのが土曜の午後には大分楽になった。そうなると、集まりが気になった。

午後9時前、もう終わったかなと思いつつ連絡をしてくれた友人にをかけた。

まだ真っ最中で盛り上がっている風だった。数人の懐かしい声がして又、続きをするからおいでよと温かいお言葉。あり難い

そして昔私の好きだった男性に替わったみたいだったが、驚いた事に私にはその声が別人のように聞こえでしまい。「誰?誰?」と問いかけてしまった。

「ブラットピット!」と言う、しかし私は余り好きではないのでストレートに「嫌い!」と言ってしまった。その後の言葉は「振られたのは僕だよね。」と言う。それは彼しか知りえない事…

「そんな事どっちでもいいでしょ。」と答えたが、周りはみんな私が振られたと思っている。

どうも私のいない処でその話が出たみたいだった。「頭大丈夫?(髪の毛)」と言ってしまった。

もうずっと昔の事で、私の中では済んだ事だと思っていた。もう出会うことも無かろうと思っていたが、さすがに声を聞くと一瞬にその時のことが甦る。

でも何故だろう?彼の声が私の記憶と違っていた。

別れを言ったのは私、でも振られたのも私だ。

9年前にモリノスさんに「前世の記憶で幸せになってはいけないと自分に言い聞かせ、不幸な選択ばかりしてきましたね。」と言われた言葉通りだ。

昨晩は、37年前に戻ってしまい整理がついたと思っていたのがまだ引きずっている私の姿があった。今回の風邪は行かせまいとした足止めだったみたいだ。

ノワタリさんに話すと、出会うことによって解消されるのだろうと、それには今回はまだ早かったのだろうと。

「これから人生どのくらいあるか分からないが、形でなく何でも話し合え互いに必要とされる間柄になれる人が出て来るといいね。」と話した。

さあ~、明日から気分を変えてがんばろう!(こんな話をするのはちょっと恥ずかしくて気が引けた)

 

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2011年11月高千穂 阿蘇の旅 幣立神宮

2011-11-27 11:58:52 | 神社 エネルギースッポトを巡る旅

根子岳

前日と違い体調と反比例して上天気で空気が澄んでいた。

 

ホリ戸の穴

2003年http://blog.goo.ne.jp/husigi1019/e/1c295a12cc4c00b16ba87d80486daa67

と2006年と此処も3度目である。以前に比べ、間伐してあり明るく石段も直してあった。ずらっと拝殿まで石段の両脇に灯篭が並び荘厳な雰囲気は変わらない。由来などは前に書いたので省略する。

なぜこんな立派な神社が無人であるのか不思議であるが、以前よりも手入れはされていた。

私達は鳥居から、手分けして清めながら進んだ。御神殿の奥にご進退のホリ戸と呼ばれる大きな穴があるが、道が新たに作られていた。しかし、段差は大きく杭が打たれて真ん中にロープが張られていたが、ロープ伝いに登るのがやっとで、前日の雨でぬかるんでいて何度も滑りそうになった。またこの道を降りなければならないのだろうかと思うと、足が重かった。

ただ、姪だけは上機嫌でこの神社は「私にとても合うの、一体化しそう。」と言っていた。私もこの神社が好きである。御神体まで清め、ご挨拶して降りた。初めて行った時、銀杏が参道に沢山落ちていたが、今回は人の手もはいった事もあり、全く目にする事は無かった。

大方降りた所で、男女の二人連れとすれ違った。妹と「初めてだね、此処で人と合うのは。」と言ったが、デートコースに為るなんて思いもしなかった。

根子岳

水神宮

幣立神宮http://www.ajkj.jp/ajkj/kumamoto/soyo/kanko/heitatejingu/heitatejingu.html

幣立神宮に着いた時はお昼前だった。駐車場もいっぱいで観光バスも並んでいた。妹は5月の連休時には駐車場に停めれなかった言っていた。

拝殿前に立った時、御祓いをしていただこうと言う気になった。

申し込みは拝殿に上がり御祓いを受け、玉串をご神前に奉納する時、そこで声を出してノワタリさんの代理で来た事を伝えることが出来、拝殿前で言ううより良かったと思った。

宮司さんは相変わらず、分け隔てなく外でお参りされる方にも鈴を振り、神垂を降られていた。私達の前にも後にも御祓いを申し込む人が続いていた。御祓いを受け、お話を聞かせていただき、境内へ出ると、12時を過ぎていたので参拝客はずっと少なくなっていた。

境内の中に坂村真民さんの詩とかわいらしい石像があった。そういえばこちらの出身だ。偶然その場に来られた宮司さんが「妻の兄です。」と言われた。丁度その後ろに九州では珍しい奉の木があることを教えていただいた。

その後、東御手洗社へ行った。5月の連休時に来た時ほとんど水が出ていなかった事を妹はキにしていた。此処が中央構造線上にあることと、春に新燃岳が激しく噴火していた事もあり、何か関係があるのではと危惧していたが、二つの湧き水は流れていた。でも以前より勢いが無いような気がすると妹と二人思った。竜神様にノワタリさんの代理であることをお伝えしてご挨拶をしてから、お水を頂いた。微妙に味が違う事を感じた。みんなペットボトルに水を頂き、私も両親に飲まそうと思い頂き後にした。

大急ぎで高千穂まで出ると、2時近くでレストランに入るとランチタイムは終了しており断られ、また、ファミレスに入った。体調が悪くなると、風邪を引いたみたいで、朝葛根湯と胃薬を飲んだがだるい。液体風邪薬をコンビニで買ったが、無性に新鮮な果実が欲しかった。

しかし、其処にはミックスジュースも無く、サラダとご飯と言う取り合わせで後、アセロラジュースとか黒豆茶でごまかした。

登りの特急列車は1時間に1本しか無い。四国に着くのは早くても9時だろうと思っていたが、帰路はとても速く、部分的に出来ている高速の乗り、トンネルに入りうつらうつらしている間に延岡の郊外に来ていた。ナビは駅に3時半前に到着予定時間をさしていて寝る前よりも30分以上早くなっていた。

目が覚めて「あれ!」と私は驚いた。いきなり延岡だった。予定通りその時刻に到着し、3時40分のjrに乗る事ができ、駅で妹達と別れた。この便は珍しくとの連絡もよく、すぐに臼杵を出発した。休日1000円の高速料金が終わったのでは結構車も人も多かった。良い事であると思う。

その後、8時過ぎにタカコちゃんと家で夕飯を済ませ、送り出した。しかし、私は夕飯もほとんど食べれなかった。その晩はお風呂にたっぷりと神棚から下げた4,5日分の御神酒、塩と榊を入れ、清めた。

お陰で翌日は仕事に障りなく過ごせた。無事旅を終えた事を感謝。しかし、ノワタリさんがおられたら、こんなトラブルは起こらなかっただろう。

 

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