高千穂に居る時はお日様が出て来てお天気になっていたが、途中外輪山を越えていると、ガスが出て阿蘇の山頂神社に行く事は諦め、阿蘇神社と国造神社へお参りすることにした。
阿蘇神社へ行くと、此処もすごい人出で駐車場に止める事が出来ず、近くの銀行に停めた。以前気づかなかったのか分からないが、周辺はレトロな感じのお店が沢山出来ていた。停めた銀行の所にも「金運の湧き水」と言うのがあった。ご利益は分からないが…
お参りをした後、姪は縁結びの高砂の松の所へ行き、にタカコちゃんは願掛け石に所へ行った。
その後、国造神社へ向かった。もう日も暮れかけていた事もあり、此処は静で他の参拝者は居なかった。
水神社
手野の杉
余りにも緑が綺麗だったので載せました。
清として心地よい。私達はそれぞれ自分のペースで神社の中を歩きご挨拶をした。
車に乗り込む頃には雨足が大きくなってきた。今日お参りする時にはほとんど傘が要らなかった事にその時気付いた。宿へ向かって走ると途中登山道を通った事もあり雨が激しくなり霧も出てきた。
今夜の宿は垂玉温泉山口旅館http://www.tarutama.jp/という秘湯の宿であった。
暗がりに宿の灯りが見えた時、みんな「わあ~!ステキ」と歓声があがった。
を降りるともう硫黄の匂いが鼻を刺す。江戸時代からの宿だと言うが、レトロな雰囲気を残しながらロビーはモダンな造りになっていた。私達は温泉の浸かった後、夕食を囲炉裏のある部屋で頂いた。本当は肥後牛と馬刺しでも良かったのだが、馬刺しがたぶん私が駄目だろうと思い妹は季節の会席料理を頼んでいた。また、ヤマメの塩焼きが出て姪は大満足、お刺身マツタケの土瓶蒸、鍋料理と色々出たが、多すぎてご飯は妹と分け、もつ煮込みは手が出なかった。
その後、8時半から1時間女性だけと言う金龍の滝がライトアップされるのを見ながら入れる滝の湯に入った。空は暗く滝は綺麗だが、暗すぎて湯の中は何も見えない。
そんな露天風呂を楽しんでその夜は終わったはずだった。
真夜中3時前、お腹は重くとても苦しく吐きけがして眠れない。この最近、生半可に半日断食などをしていたので夕飯を食べ過ぎたのだろうか、4つ足は食べなかったのにと色々と考えたが、思い当たる事は無い。体も重く、敷き布団はふかふかなのに石の上に寝ているように背中が痛い。
お手洗いへ行き吐いたり、出したりしたが、すっきりしない。余計な物を出せばいつもなら楽になるのに…、朝まで熟睡する事は無かった。
翌朝、この旅のことを気にされていたノワタリさんからがあった。口を開くなり「体が重いですね~。」と言われた。「はい、夕べは苦しくて上げ下げがありまして」と伝えた。その後、妹に替わった時、「あれ、濁ってますね。」と言われ、「もう一度、お風呂に入ってシャワーをしっかり浴びてください。」と言われた。
そして「幣立神宮では私の代理に来たと言って下さい。」と言われた。その時にそのメッセージが出たと言うことだった。
思い返すと、昨晩滝の湯を出たとき、誰も掛け湯をしていなかった。その湯に浸かっている時、プールと公衆浴場の違いをふと思った。不特定多数の人が入るのは同じだが頭を付けないからはいいのかなと。改めて、掛け湯の大切さを実感した。
しかし、今回掛け湯をしなかったばかりに色々なものを拾ってしまったらしい。自分のこの体質が恨めしい。そう言うことで朝風呂にのんびり浸かり、朝食を頂いたが、みんなは「美味しい、美味しい。」と言って喜んで食べたが、私だけまだすっきりする事が出来なかった。
しかし、又この宿へ泊まりたいとみんなが思った。とても趣きのあるよい宿であった。明るくなると、宿の周囲は紅葉がまだ鮮やかであった。
翌日は幣立神宮へ参拝する予定だったが、その前に気になる上色見熊野坐神社へ行く事にした。無人なのでお清めのお塩、御神酒、水を用意せねばならない。宿の湧き水を汲んで行く事にした。立て看板に由来が書いてあったが四国が長宗我部が平定したように、この地方も天正年間に薩摩の島津に滅ぼされたと書いてあった。また、「天正年間か」と引っかかった。
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