Wake Up !

一人のヒーラーさんとの出会いから、私の世界が変わっていきました。

古城址山麓の家 Ⅱ

2011-11-06 21:28:38 | 霊現象

10月23日午前中に我が家で遠隔で短冊に御魂入れをして頂き叔母の水子供養をした。これから叔母は21日間供養を続ける事になる。終えるとを貰い、お供えが全部見えた事と、生き別れの子供の方は涙が出て止らなかった事を伝えられた。残された時間はそう多くないが、連絡を取り合えるように為ればと思う。

その後、従姉妹の家まで行き、城山と城主、敷地と埋めてしまった池のお清め、そして家人へエネルギーを流す事と、出てきた古い祈祷札の御魂抜きとお焚き上げをする事になったが、とても広いので1日で出来るとは思っていなかった。

私達は途中で粗塩と御神酒をたくさん買って用意した。

ノワタリさんとで連絡を取りながら行うのである。祈祷札をどのように処理するか思案されていたが、前日の夜ビジョンで白装束の男性の祈祷師が出てきて見せたそうであった。

まず、城山から始めた。こちらでは祝詞とお経を山に向かって唱えた。20分くらい経ったところでがあり、「雑木林の中を甲冑を付けた沢山の武士が行き来してるのが見え、その中に城主であろうか一人黒い高そうな鎧の人がいるのが見えました。」と連絡があり、その後、その城主の弔いとなった。

それと同時に埋めた池の上に山積みになっていた大きな石を取り除けると言って従姉妹の旦那さんが機械を持って来て始めだした。

また、で「わき腹を槍で突かれ口を歪めて井戸のそばで亡くなられています。」と言われた。タカコちゃんに伝えると、叔母と同じように「おばあちゃんもわき腹が良くなかったのよ。」と言った。

前回、おばあさんは帯状疱疹と書いたが誤りで叔母が嫁いで間無しに肝臓が熱を持ち、病院へ行っても一向に良くならず、祈祷師の所へ行ったと言うことだった。一時お線香をあげ弔っていたが現在の家を建てる前に埋め立ててしまったと言うことだった。またタカコちゃんが子供の頃に帯状疱疹になり無くなるまで直る事は無かったらしい。

井戸のそばにお塩とお水、御神酒を供えて城主の霊を弔った。時々、これからもするように言われた。

それから、敷地をお清めしないといけないと思い山裾の端まで行かない行けないかなと思い、叔父さんにタカコちゃんが境を聞くと「見えるとこまでよ。」とのあいまいな返事。

しかし、その間にノワタリさんは山の上空から敷地全部を遠隔で清められ、家人全部にエネルギーを流されていた。おかげで私達は隅々を清めたり、盛塩をしなくてよかった。

「500年近くもこの武将と敗残達は此処に居たの?」と言うと、「呻いていた。」とノワタリさんが上からの言葉を伝えてくれた。「よく無事に過ごせていたと思うし、何が起きたとしても不思議ではない所よね。」と言われたが、どうもこの場所は城内の一部であったような気がした。私が住んでいたら大変だっただろうと思う。

池の石を取り除き、パイプを刺し、お塩、御神酒、水を流しながら、御真言を唱えた。やがてそれらは地中の池に流れ滲みこんで浄化されるそうである。後数日榊を立てて祀って置くように言われた。

井戸のそばにお塩と御神酒、水を供えた後、祈祷札を遠隔で抜いて頂いた後、お焚き上げとなった。缶に札を入れるとそれは仏壇に永らく置いてあったためかチョコレートのような色になって「大般若」までは読めたが後は煤で分からなくなっていた。長さ30cm、幅10cm、高さ3cmほどの大きさだった。私達は大祓の祝詞をあげた後、光明真言をあげながら燃やしていった。

燃やし始めてそれが木箱になっているのに3人とも気づいたが、火が回って開ける事は出来なかった。やがて下のほうが燃え突然中から、木札と紙札在るのが分かったが、紙札はもう完全に燃えてしまい、下半分が空中をその形を維持したまま飛んで足元に落ちてきた。

2列に経文のような物が書いてあるのがはっきり白く浮き出ていた。しばらくして上のほうもパカッと蓋が開き、中はとても綺麗で昨日書いたと思われるようなはっきりした墨の色で2つの札の下の箱にボンジと文字とその日の年号が見えた。500年近く経っているとは思えなかった。

ノワタリさんにそう伝えると「わざと中を見せてくれたのよ。感謝の印ね。」と言われた。燃え尽きた後、お塩、水、御神酒をかけてビニール袋に灰を入れた。

そこで別の缶に資料と地図を入れてこれもお焚き上げをし、家の中で目に付いた古い札もお焚きあげをして終えた。後はそれらを近くの海か川へ流しに行くのみであった。

一息ついてお茶を飲みノワタリさんに連絡をしてお礼や感想を言い、みんなで安堵感からゆっくりしていると、「日のあるうちに行かなくては駄目よ。」と注意された。

気づくともう4時を過ぎていた。タカコちゃんので去年清めた川へ行き、御真言を唱えながら流した。その後、その川の龍神様にお断りしてまた清めをし終わるとちょうど5時のチャイムが流れてきたので慌ててその場から去った。

その晩、タカコちゃんは家に着いたのは9時を過ぎていたのではないかと思う。

余りにも多くの事が1度に終わったので驚きと疲れとで興奮して寝付けなかった。

ノワタリさんの力が益々パワーアップしたのにもびっくりしたが、後で高々、領地の取り合いで多くの人が血を流し悲惨なめに会い、どの時代も人間の欲望とはおろかで恐ろしいものである事を二人で話し合った。ノワタリさん、本当に有難うございました。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

古城址山麓の家 Ⅰ

2011-11-06 13:02:23 | 霊現象

先月の初旬、叔母の目の充血は静脈から漏れている事と頭に動脈瘤が有ることがわかった。

動脈瘤は高齢なのでそのままにして置いても好いだろうとと言われたが、静脈の方は手術を勧められた。しかし、叔母は投げやりになっていて簡単な手術らしいがする気がなかった。

検査結果が出る前にノワタリさんにお尋ねすると、「膿出しだね~。」と言われた。それをきっかけに何かが起こりそうな予感がしていた。

叔母が 検査入院を終え帰宅してから、今年の年頭から夫婦中がぎくしゃくしている事を母が知り心配して地方祭に託けて、来るようにと迎えに行った。

叔母は再婚で従姉妹達も今年まで全く知らなかったが、叔父が毎晩酒を飲むと「お前は子供を捨てて来た冷たい女だ」と言い始めた事から家族が知る事ととなった。

叔母は数日で帰宅するつもりで来ていたが、ノワタリさんを紹介した叔母の同級生が遊びに来てヒョンナ事から水子供養をする事となり、21日間家でするようになり帰れなくなった。今まで、ノワタリさんの話をしても一向に聞こうとしなかった叔母がすんなり受け入れたとは時期が来ていたのか?

生き別れの子供の話を聞くと、親の決めた縁談で遠縁の家に20歳前に嫁いだが、2代続きの養子娘(姑とその母親)に組まれていじめがひどく、当初の話と違い実家に相談し、帰ったと言う。

しかし、実家で子供が出来たがそれも産後3日で長男と言うことで子供と引き離されたと言う。

此処まで聞いても、理不尽でよくそれに耐えたと思うが、その男の子は長男として大切に育てられたのであれば、まだ許せるが、再婚前に里子に出され、里子先の人が地元を離れた後、消息不明となってしまっていた。小学校入学前に里親と一緒に来たらしいが、編んだセーターを渡そうとしたら受け取ってもらえず、同じ年の甥に渡したと言った。

名前は分かるがどういう字かも分からないと言う。

もう60歳くらいなっていると言う。その人は大変寂しい思いをされただろうと思う。ノワタリさんに伝えると「叔父さんはその人の代弁で言わされているのよ。」と言われた。後で従姉妹から聞くと、叔父は子供の話をした覚えは無いと言う。いくら酒で酔っているといえどもずっと年明けから言っていたらしいのに…。

そう言うことで水子供養のほかその子供に対しても21日間することとなり、10月23日から行う事になった。

それだけでなくその家の清めをする事となり、又以前ノワタリさんにお世話になった嫁いでいる姉の方のタカコちゃんが主になって動き出した。

その家の裏に城山があり、敷地内に一部なっている。しかし、誰に聞いてもどの時代も物であるか一体誰の城であるかも知らない。

前日、ノワタリさんに頼まれた「城主は誰?、調べて下さい。絶対分かるから」と、そんな物分かるかしらと思いながらネットで古城を検索していてやっとそれらしきものが見つかった。

それは写真入りで叔母の家の畑が城山の前に写っていた。昔麓の家が井戸を掘った時にそこから築城の祈願をした祈祷札が出てきて天正の年号が在った事と、古文書で城主の名前が記され居る事以外は不明と書いてあった。

それを印刷して見せると、「叔母はこの祈祷札は家にある。」と大きな声をあげた。そして写真を見て「これ家だわ。」と半信半疑であったのが、驚きに変わり、前向きになった。

その祈祷札は仏壇に仕舞っていたと聞いた母は、前日仏壇を整理したタカコちゃんに慌てて連絡を取った。捨てられると大変な事である。

タカコちゃんはよく心得ていて、仏壇から出したもののどうしてよいか分からず、白いビニール袋に入れ粗塩を入れて外に置いていた。

そして叔母に話では嫁いだ頃、姑の脇腹に帯状疱疹が出てなかなか直らず、祈祷師の所へ行くと、「偉い武将が亡くなっているので供養するように」と言われ、その通りにすると良くなったが、それっきり供養はしなかったと言う。

姑は完全に直った訳ではなく、タカコちゃんの話では亡くなるまで脇腹がジクジクしたりしていたと言う。

資料によると城の周りは深田で防御になっていたが、その深田を城山の土で埋め、田畑にし、湧き水の湧いていた元の家の裏の池は埋めてしまいご丁寧に大きな石がいくつも積まれていた。湧き水は豊富で冷たく、子供の頃よく泳いでいたと聞いた。

おまけに現在の家のある近くは近所の建設屋が廃棄物を埋めていた。

私は問題が多く1日ではすまないだろうと思ったが、従姉妹達が動いていて、城山にある無縁仏さん達の墓石も近くのお寺さんに引き取ってもらうように進み、ノワタリさんが遠隔で家の敷地を透視していた。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする