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一人のヒーラーさんとの出会いから、私の世界が変わっていきました。

2008年5月津軽十和田湖Ⅱ

2011-05-26 00:13:54 | 神社 エネルギースッポトを巡る旅

小泊かはら弘前へ向かう途中、翌日のお清め用の水やお酒や塩を買う為に国道沿いのスーパーに立ち寄った。その建物は同じ物が二つ並んで立っていたが一つは閉鎖されていた。スーパーのある建物も、テナントは時計店があるだけで空きになっていた。そのがらんどうになって暗い建物の裏手にお手洗いがあり、怖いので3人揃って行った。本当に地方は特に1次産業しかない所は寂れていると思った。

しばらく走ると、太宰の名前の看板や案内板が目に付く、どうやら金木の町に入ったみたいだった。

其処を通り過ぎ、走り続けると夕暮れの岩木山が見えてきた。やっと弘前市内に入り全国チェーンの紳士服店やファミレスがあり道が込んできた。信号もあり思うよう進まなくなり、日は暮れ暗くなった。

宿に着いた時は8時近くなっていた。建物に入った途端、灯りは付いているのに紗がかかったような、フィルター越しのような明るさを感じた。これってちょっと変!遅いのですぐに食事をする為大広間にはいると、入れ違いに最後の客達が出て行った。

仲居さんは段取りをするとすぐ、引っ込んでしまった。前の席で食事をしているノワタリさんが固まった。「どうしたんですか?」とお尋ねすると、「いるのよ。」と横の座卓の方に目を向け、「昔の着物にたすき掛けの仲居さんがせっせと食器を片付けてるの。あの世に行っても仕事しなくていいのに。」と苦笑いされた。ご馳走を目の前にしながら、疲れていることもあり食は進まなかった。

その後私達は大浴場へハヤシさんだけ家庭風呂へ行ったが、すぐに戻ってきて「一緒に家庭風呂に行ってよ。一人では怖い。」と言うが、大きなお風呂の方がよいので断った。

落城した所ばかり周ったせいか、その晩は部屋のドアの内側に塩一袋を盛塩にして休んだ。心配する事も無く、疲れもありグッスリとみんな休んだ。

翌朝も良い天気で宿に着いた時は暗くて見えなかった岩木山が綺麗だった。

十和田湖へ向けて出発したが、ナビに不慣れな私は「前方300メートル左折です。」と言われると、すぐに次の角を曲がってしまい、同じ所をくるくると回り、先が不安になった。

それでも県道を走っていると、名水の看板が目に付きを停めた。其処は渾水の清水(清壺)と言って、坂上田村麻呂が眼病を患っていて夢の中のお告げどおりに湧き水を探し、それで目を洗うと治ったという湧き水だと書いてあった。

「清めて欲しいそうよ。」とノワタリさんが言われるのでそれぞれ、杓を持って水周りや祠を清めた。奉納してあった大黒様の飾りのある大きな杯もピカピカに洗った。又、御神酒やお塩で清めた後、そのお水を頂いて出た。

滝ノ沢峠をおり、休屋まで湖畔を半周し、そこで預け遊覧船に乗り子ノ口まで出た。前回は大湯の方から周った為、発荷峠から休屋へ行き、中湖を回って又休屋へ帰った。しかし、今回乗客はほとんど中国人観光客の団体だったので、たった2年で大きく様変わりしたなと思った。

船尾で湖のお清めをした。

ノワタリさんが歌われると、湖上のあちらこちらに沢山の龍集まってくるみたいな波紋が見られた。

前回周れなかった所を走ったり船に乗ったみたいだったが、子ノ口で下船した時、「鏡、鏡を納めないといけない。」と言われたが、今回御神鏡を用意していない。仕方が無いので化粧用の鏡を先程の名水で清めて湖に納めた。

鏡が小さく光っている。

子ノ口の売店で一休みして出発した。今回はこれで終了のはずだったが、又、間違えて湖畔を10分ばかり走ってしまった後、引き返して奥入瀬に出て優しい新緑や幾つかの滝を楽しみながらゆっくりと走り、道の駅まで出た。そこで食事や買い物をした。今回は時間も中途半端で連休や夏休みではないので客はそう多くなかった。

そこから、八甲田山を越え、青森に出た。山中の残雪のある所ではまだ山スキーを楽しんでいる人達が多くいた。

空港に着いたのも早いのだが、ナビの指示通りに走ったはずがまたまたレンタカー会社を通過して走ってしまった。

時間が有ったからよかった物の冷や汗ものだった。そこでを飲んだ後、お別れしてそれぞれ最終便の羽田と大阪でへ向かった。お疲れ様


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