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~ Me Hana O Ka La I Ka Pu'uwai ~

映画:The HAUMANA (たぶんネタバレ)

2014-08-30 | 映画
もう2週間前になるけれど、フラの映画を観てきたのでここに記しておきます。
これからご覧になる方は、若干のネタバレを避けられませんので自己責任でお読みください。

ずっと観たいと思っていたこの映画。
ネット上に「観た~」という人はちらほらいたものの、どう検索しても上映館に当たらず、手段がみつからぬまま1年…
この夏にやっと観ることができました。
映画の公式ホームページがフェイスブックだそうで、FBをしていない私は見つけられなかったようです。
これからは、こういうことも気をつけないといけないのねー。

早くから配信されていたポスターのイメージからいうと、荘厳なフラのイメージ…
古代からの大地のリズム…
カネ(男性)ダンサーの葛藤と成長…

監督さんが私のハラウのツリー(同系譜)出身のダンサーであり、総合監修が尊敬するロバート・カジメロさんときたら、期待値はいやおうなく高まっておりました。
ロバートの(作る)フラを堪能できるだけでも幸せであり、そこにハラウを継ぐということの葛藤や学びをのぞき見できるのだからすごい映画だよね!と。

予備情報はそこまでしかなく、私はてっきりハラウを継いでクムになっていくための『クム(師匠)vsアラカイ(弟子)』の修行(ウニキ)の映画だと思っていたの。
そしたら…ちょっと当てが外れちゃったんだよねぇ(笑)


『HAUAMA(⁻)NA』とは「生徒」のことで、MAのAの上に(⁻)カハコーがつくことで複数形に変わるから「生徒たち」という意味になります。
師匠と弟子の1対1のドラマと勝手に思っていた私だったので、この複数形が当てが外れたってこと。
つまり映画は、たくさんの生徒たちの日常を描いていたんです。

わずか1時間半の尺の中でフラを踊るダンサー(生徒たち)の葛藤を描くには、どれも内容がすべて薄くなってしまうのね。
さらに、ハラウを継ぐことになった主人公の葛藤も描くわけだもん。

映画が始まってすぐに肝心のクム(私の大クムをイメージしたような女性)が亡くなってしまった時に心の中で「えぇ~死んじゃうのぉ?」と叫びました。
まさかクムのサポートなき後の主人公の葛藤を観ることになるとは…

勝手にではあるけれど、クムとともにフラを学んでいく主人公の姿を観たかったので、クム亡き後にひとり文献を調べたり(しかもその資料の中身は画面には出てこない)、イプをたたく練習を(独学で)する様子を観ることになるとはちょっと期待外れでした。
まぁ確かに、すべての弟子がクムの生存中にハラウの後継を任されるのではないことは理解できるし、実際にクム亡き後に独学でハラウを興した人もいるのでそこを否定するものではないのだけれど、それにしてももっと『学び』のシーンを観たかったんだなぁ。

ハワイでは当たり前だと思っていたフラ文化も実際にはまだ偏見があるらしく、カネダンサーであることで「ゲイ」認定されたり(実際に多いけど(笑))、クリスチャンの親からしたら息子が「フラ教」に見えることは脅威だったりと、家族間の対立も描かれます。
私のオットもカネダンサーだけど、最初にスポーツクラブで『女の中に男が一人』でフラレッスンを受講していた時には、お風呂場で回りのおじさんから変な目で見られたと言っておりました(笑)。

ハワイがこの不景気JAPANにおいてなお不動の人気なのは、フラ人気がその根底を支えているのは否めない事実だし、たくさんのハワイの人がその『観光大国ハワイ』の恩恵を受けているはずなのに、ハワイの中にフラに対する偏見はまだあるんだねー。
監督さんがこの映画を描きたかった理由の一つに、彼が仕事をするNY(ブロードウェイ)の仲間たちに小さな島国(ハワイ)の文化を伝えたかった というのがあったそうです。
まぁ、アメリカからしたらハワイなんて石垣島くらいのものだもんねぇ。

そんなわけで、主人公以外の生徒たちの問題も描きつつ、主人公のハラウ継承を描いていくとなると、いくら『成長物語』とはいえ、フォーカスが散漫になってしまった感がありました

  



上映後に監督のケオさんが壇上で質疑応答に応じてくれました。
この規模の映画だとメディアプレスもなかなかないし、監督さんとしてはお話ししたいことがたくさんあるじゃない?
だから、私たちの質問に「Good Question!」と嬉しそうにたくさん回答してくれましたよ。

まず、この映画を見せたかったのは、日本に向けてですか?アメリカに向けてですか?の問いには、さっきのように答えました。
フラの真実を描きたかったと。偏見をなくしたかったと。

長いことハラウを離れていた男性に、クムが後継者を指名することは実際にあるのですか?の問いには、少し考えてからこう答えました。
私たちの世界ではクムの言うことは絶対であり、そこに何かの疑問をはさんだり質問することはない。
だから…この映画でクムが彼を指名したことは、それがクムの思うハラウの進むべき未来なんだろうと。

少し困ったような回答でしたが、そうとしか言えないってことみたい。

でも、私も質問者の質問の意図がわかったよ。
入室のオリも唱えられないほど小さい頃にフラをしていただけの人に実際に後継者をさせることがあるのですか?とね。
まぁ、そうとしか言えないってことなんだね。
正直そう質問したくなるほど、主人公が薄く、映画を観終わってもそこまでの成長が見えないというか…成長はこれからの彼を見てね。ってところで映画が終わっているので、モヤモヤが残るんだよね。
彼がNextクムになるのを認めていないわけじゃないのよ。
でも、もう少し突き詰めて描いてほしかったのはそこなんだよねー。

私も手を上げて質問してみたの。
映画のロケーションはどちらですか?オアフ以外の島にも行かれたのですか?特にレイにするシダ(パラパライ)の採集にはどちらの森を使われたのか教えてください。と。
お答えはこうでした。
撮影は全編オアフのみで行いました。オアフにはなかなパラパライのブッシュがなく、しかも撮影許可がおりる森となると限定されていて、パラパライは友人の庭から調達し、限りある植物を大切に使いました、と。
パラパライの撮影シーンにはヌウアヌの森を使ったそうで、霧のかかったその森は私が普段観光で行く森よりは深く感じたけれど、それでも肝心のパラパライブッシュが一瞬も映らず、次のシーンではもう手にパラパライを持っているのが気になりました。(しかもだいぶ若いパラパライでね

私はハワイ島の森で実際にパライ採集をしたことがあって、せっかくならパラパライブッシュがどういった形状で群生しているかとか、どうやってレイに編むのか等の手元を会場にいた観客は見たかったんじゃないかなーと考えたの。
うーん…つまりは
How to make a lei.
How to pick a flower.
How to beat the drum.
How to do tha Hula.
を描いているのとは違うんですかねー、今回は

カヒコ(古典フラ)の選曲はどのようになさりましたか?なぜあそこであの曲を選ばれたのですか?と突っ込んだ質問をされた方もいました。
監督さんの答えは、選曲と振り付け、それはすべて自分のクムであるロバートがしたので、それがクムの思いだったんだと思います。
また女性ハラウのシーンはメリアのハラウが担当してくれました。とも。

最後に監督さんは「これからもフラの映画を作っていきたい」と言われました。
ぜひ!ぜひ!そうしてください。
正直今回の映画だけでは私の感想はあまり満足と行かず、もっとフラの奥にある神髄のようなものを見せてください、教えてください、といった感じです。

結局のところ、フラの神髄は自分のクムから教われ…と言われればハイそれまでーズコーッなのはわかりますが、あれだけ会場にいらしていたフラ関係者(ほとんどの観客が全員ロングヘアーってなかなかないよ(笑))が期するかゆいところに手が届いていなかったのが今回の作品じゃないかと思います。

フラのコンペティション内部を描くのであればもっとスポ根に描いていいと思うし(マライヤの旦那さんニック・キャノンが主演した『ドラムライン』なんて、大学マーチングバンドを素晴らしい映画に描いているわぁ)、クムの手から作り出される魔法の植物たちを見せてもほしいし(私のクムも魔法のようにレイを作っちゃう)、フラという題材自体がどうせニッチなんだから、そういう突きつめた次作を期待したいと思いました。
逆にもっと深くフラを取り下げれば、何かのきっかけでマイナーからメジャーへと認められることもあるかもしれないもんね。

なーどと、生意気を書きました。
私の敬愛してやまないロバートに楯突いたのは(笑)初めてかもしれません。
でも、がっかりしちゃったんだもーん

今でもオットの携帯には≪次回は仙台で上映≫といったお知らせが来るそうです。

オアフの景色は見ていて楽しかったけど、この表面的な内容ではもう一度観たいとは思えないなぁ。
けど、1回も観なかったらきっとそれはそれで絶対後悔したと思うの。
だから観たことは全然後悔していません。
料金が高かったのは後悔だーけーどー


最後に…
自分の腰を波だと思え」とはいい教えでしたね。
ロバートさんの言葉なのかな?
波のように…止まることなく寄せては返す…それが私の目指すべきフラです。
やっぱり波に例えていいんだーと、悩んでいたモヤが晴れたような気がしました。
ともするとkaweluの時に、helaの時に腰が止まっちゃうみんなに伝えよう!

HULA is Life.
これは私の大クムが遺した言葉
フラは人生そのもの。
ロバートの中にも、監督ケオさんの中にも同じように刻まれている言葉なんだと実感できました

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