実力も運のうち 能力主義は正義か?
マイケル・サンデル (著), 本田 由紀 (その他), 鬼澤 忍 (翻訳)
マイケル・サンデル (著), 本田 由紀 (その他), 鬼澤 忍 (翻訳)
サンデル先生が能力主義(メリトクラシー) の功罪について切り込んだもの。「能力(功績)は努力で成り立っていると考えがちであるが本当にそうだろうか?」というのがテーマ。特に学歴が重要視され、階層分断やポピュリズムが進んでいる米国、自身が勤めるハーバードが抱える課題について核心を突いた内容になっています。
ハーバードでは2/3が高所得世帯とのことですし、東大に対しても同じような状況にあるのが報告されてますが当人としては努力で勝ち取ったものと認識している人が多いとのこと。生まれ持った才能や、その対価としての学歴などは、家庭環境や所得と高い相関があるにも関わらず、当人たちは受験戦争などに大きな努力を払ったことから、自らがその対価に値すると思うのだと思います。(自分もそう思ってしまうところはあります)そうなると結局は自由意思か運命論かという普遍的な課題が結局として個人の責任に帰するものとされてしまってますます弱者の視点には立てないようになってしまうのかと感じます。これは学歴だけでなく企業体での成果主義もほぼ似たようなところはありそうです。「どれほど頑張ったにしても、自分だけの力で身を立て、生きているのではないこと、才能を認めてくれる社会に生まれたのは幸運のおかげで、自分の手柄ではないことを認めなくてはならない。」
と述べられていますがこういった意識や視点はあるべきなのだと感じます。ただかといって強制的に競争をやめさせるような社会はますます絶望を招くように思いますのである程度、「機会の平等」が得られるようには介入が必要なのかなというのと上記のような不都合な事実を特にエリート層と言われるような人も理解しておく必要があるように感じます。 日本にも「実るほど頭を垂れる稲穂かな 」という言葉がありますがまさにその精神が必要なのだと感じます。
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