学芸員のちょっと?した日記

美術館学芸員の本当に他愛もない日記・・・だったのですが、今は自分の趣味をなんでも書いています

芥川龍之介「歯車」を読む

2007-07-24 21:21:47 | Weblog
今朝は、少し肌寒くて目が覚めました。天気は上々ですが、川に沿って流れてくるやや冷たい風が、私の部屋の中を占めていました。なんだか、どうも七月の朝とは思われない快適な朝から今日はスタート。午前中は書類整理、午後は展示作業に追われました。広い会場を使っての特別展示ですので、大変な作業でした。パネルを出して、壁面に糸を張って(作品の高さを均等に展示するためです)、作品を配置して、常に走り回って・・・。何とか頑張ったかいがあり、ほぼ展示が完了して、明日ライティング(照明調整)を残すのみとなりました。よかった!

さて、7月24日は芥川龍之介の命日です。一応、私の弟の誕生日でもあるのですが、それはこの際どうでもよろしい。彼(芥川)がこの世を去って、ちょうど今年は80年。まだ80年か、それとも、もう80年か。私は「まだ80年」であるような気がします。

今日は、芥川最晩年の作品「歯車」を読みました。正しく申せば再読です。精神的に追い詰められてゆく芥川。ときどき右目の奥に現れる「半透明な歯車」に悩まされます。文中の至るところに張り巡らされた「死」の影。死神を想像させる「レエン・コオト」、死体を印象させる「小さい蛆(うじ)」、警告の意か「赤光(しゃっこう)」など・・・。まるで遺書を読んでいるかのような文章が続いていきます。

私は、これまで様々な本を読んできましたが、この「歯車」ほど、背筋が凍るような、それでいて、不気味な魅力すら感じさせる本に出合ったことはありません。私が「歯車」に出会ったのは、就職して2年目。毎日の仕事が忙しくて、心身ともに疲労度が高く、私は神経症になりかけていました。毎日がつらい、けれど、それは言葉にはならない苦しみだったのです。そんなとき、ふとしたきっかけで「歯車」を読みました。私の言葉にならない苦しみは、芥川が全て代弁してくれている・・・。(同じく太宰治「人間失格」を読みましたが、同じ気分にはなりませんでした)以来、私のカバンやポケットには常に「歯車」が入っており、暇さえあれば(もちろん仕事中は読みませんけれど)読み直しました。私にとって、そんなつらい時期の思い出の一冊なのです。

私は、芥川が亡くなって「まだ80年」と述べました。私個人として、上記のような経緯があるので、遠い昔の作家というイメージがありません。まだ80年しか経っていないのか、の意識です。現在、日本では年間約3万人の自殺者がいるそうです。なかには「ぼんやりとした不安」などで自殺する若者も少なくないとか。そういう面からみても、没後80年を経た今日も芥川が生きているような気がしてきませんか。(もちろん、芥川の自殺と近年の若者の自殺の関係に就いてはもっと熟考せねばならないとは思いますが)

ちなみに、最近芥川龍之介の次男多加志(たかし)についての本が出版されたようです。最も父の文才を受け継いだとされ、そして若くして戦死した多加志。これまであまり文章に書かれてこなかった人物ですが、私も時間があれば、この本を読んでみたいと思っています。
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