学芸員のちょっと?した日記

美術館学芸員の本当に他愛もない日記・・・だったのですが、今は自分の趣味をなんでも書いています

カント「啓蒙とは何か」を読む

2007-07-17 19:59:57 | Weblog
連休でしたので、何かしっかりした本を読みたいと思い、光文社古典文庫から出されたカントの著作を買ってきました。

正直に申し上げますと、私は哲学については全くの素人です。何度も勉強しようとは思いましたが、そのたびに挫折しました。一時期、人は何のために生きるのかを真剣に考えたときがありまして、ハイデガーやレヴィナスの著作を読みましたが、結局はわけがわからず、「人が生きるのはわけがわからないもの」なんだとの結論に達しました(笑)

それは冗談として、やはりカントも例に洩れず、難しい。
光文社古典文庫の翻訳はわかりやすくて定評があるらしいのですが、それでもわからない。やはり自分は哲学には向いていないのかと思いましたが、薄い本に挫折するのもなんだか情けないので、大学以来?のノートを引っ張り出してきて、メモを取りながら読み進めると、ある程度はわかりました。でも、まだ本当にある程度しかわからないので、「啓蒙とは何か」を他人に説明することができません。これから何度も読み返して、考えて、自分の知識になるように勉強をします。

一応、「啓蒙とは何か」、理解できた部分だけ概要を述べさせていただきます。
「啓蒙」とは、人間が自ら招いた未成年状態のことを指し、「未成年状態」とは、酒が飲めないとか、煙草が吸えないとかの20歳以下のことを指すのではなくて、他人の指示を仰がないと理性を発揮できないことを言う。
(さあすこしわけがわからなくなってきました:笑)
どうして人間が、この未成年状態を脱却できないかといえば、ようするに他人の指示を仰いで生きていたほうが楽だから。たとえば、御飯が食べたい→料理を作らなくてはならない→面倒くさい、買ってくればいい!→お店から弁当を買ってくる→買ってきたお弁当は他人が考えて作ったものである。このような流れになっているらしい(例はわかりやすくするため、私が考えました)

では、啓蒙から脱却するにはどうしたらいいか。
公的な自由を発揮すればいい!(わかりにくい表現ですよね・・・)つまり、個人(カントは学者といっていますが)が公衆に向けて、この出来事は適切なのかそうでないのかを語りかけることが大切だと。
(この辺は私も理解が怪しいです・・・)
例えば、上司から仕事を任せられたとして、この仕事についてやるべきなのか、やらなくてもいいのかは討論の余地は無い。上司の命令である以上、従わなくてはならない、組織のなかで動いているのですから。あくまで、会社など組織から抜けて出ている状態で議論をすべし、ということらしい。

そして最後、カントは啓蒙専守専制フリードリヒ大王をお褒めになります。
フリードリヒは、自分に服従する約束をする条件で、民衆に議論の自由を与えたといいます。結局、「啓蒙とは何か」は、フリードリヒの政治を肯定する論文ということなのでしょうか?

あまり学のない私ですから、解釈に間違いがありましたら、ごめんなさい。


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