鎮守の森の学校(京都北山細野の神主)

日々感じる事を想いのままに書き綴っています。神主として品位に欠ける表現が有るのはボケが始まったとお許しください

喜寿をすぎて一日を楽しむ心境に?(成ろうと心がけています)

2016年04月05日 | 喜寿からのチャレンジ

過ぎた人生を振り返って悔やむのは嫌だが(まあ、何時も精一杯生きて来たので悔やむ事は少ないが)もうソロソロ新しい事に無理してチャレンジする事はやめておこうと言う心境に成って来ました。

新しい事にチャレンジしても結果を見届けられる歳では無くなって来たと言う事に気が付いたのです(遅いですが)

特に最近(年明けから)。明日も、明後日も、その次の日も、結果が出ないものを追いかけるのでは無くて、「今日と言う一日を楽しむ」事が歳を取ってからは大切なのでは無かろうか?

と、気が付いたのです。そして、実践し始めたら,これが思ったより心地よいのです。

昨夜から妻が旅行に出たので朝から自分で食事を作って一日を気楽にすごしました。(妻が居る時も気楽には過ごしていますが、無理して?)

朝6時少し前に目が覚めて朝風呂のスイッチを入れて、ショウガ紅茶を最近作った一畳ほどの縁側に座って山や北山杉を眺めながらいただきます。

朝風呂に入って、神様(神棚)とご先祖様(祖霊社)、邸内社(稲荷社、靖国社)、お地蔵様に日供をお供えして、犬と散歩に出かけます。

妻と一緒に犬の散歩の時は一定のコースがあるのですが私と犬だけの時は、犬が小便と大便を終えると「帰るか?」と声をかけるとクルッと方向回転して家に向かうのです。

犬にドッグフードを与えてから私の朝食です。今日は厚切りの食パンを2枚焼いて、1枚にはココナツクリームを付け、1枚には紀の川の根来君家から送ってもらった手作りのママレードをタップリのせて、コーヒーを入れて、ベーコンエッグにするつもりが冷蔵庫にはベーコンが見つからず、ハムエッグになってしまいました。

一人で使える時間がタップリあると言う事を実感出来るのは楽しい事ですね。

少し前までは何もしない時間を持つと言う事は何か悪い事のように思えていました。

午前10時までよく聞くFM京都を縁側と庭でウロチョロしながら聞いてから今夜と明日のカレー作りを始めました。

先週小学4年生の孫娘がダッチーオーブンで作ってくれた様子を見ていたので小さめのキッチンダッチオーブンで2回分ほど作りました。外に作ったカマドで

昼に出来てしまったので昼飯もカレー、夕食もカレーで終わってしまいました。明日の献立を考えなくてはなりません。

今日作ったカレーもグリコのカレールーを入れたので先週孫娘が作ってくれたカレーと味は変わらないと思ったのですが、どうも先週のカレーの方が数段美味かったように思います。

ダッチオーブンの大きさの違いか? 材料は同じ鹿肉ですが。

午後は庭の枯れて来た楠の枝を道路側だけ切り落としました。 本体は近所の林業家の方が切っておいてあげると言われたのでお願いしました。

このあたりは寒いせいか?以前に植えた楠も10年ほどして大きくなれば枯れてしまい。今回も大きくなって来たと思ったら又枯れてしまいました。

楠は字の通り、南の木でマイナス12度にもなる我が家では大木には育ってくれないようです。

夕方は次の日曜日に京都山科の百々小学校で野あそびイベントをする為の準備を始めました。

好きなことを好きな時間に好きなだけ出来る幸せ? これって歳を取ったから出来る特権ですね。

若い頃は「若いくせに何もしないで山ばっかり行って」と非難され、歳を取ると「歳を考えてやれ」とやる事を非難され。

どちらにしても、目立つ事はだめな社会なんですね?

とかく、この世は住み難い! と言われますが「神道」では前世も来世もありません。神道ではこの世だけが総てなのです。

悔いの無いように生きなければ!

私なんか、どんな死に方をするのでしょうね? 

死に方なんぞはそれまでの生き方によるのでしょうね。

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 孫たちの春休みが終わって帰... | トップ | 今日もカマドでご飯を焚く »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

喜寿からのチャレンジ」カテゴリの最新記事