鎮守の森の学校(京都北山細野の神主)

日々感じる事を想いのままに書き綴っています。神主として品位に欠ける表現が有るのはボケが始まったとお許しください

突然! 神主としての役割に目覚める。(もう遅いか?)

2015年06月22日 | 喜寿からのチャレンジ

17年前に神主の資格を取り、弟たちの神社を時々手伝っていましたが10年余り前に、地元の宮司が亡くなり、今では元大字の三社のお宮さんと昨年から少し離れた所の計四社のお宮さんの宮司を兼務しています。ただ今までは私が神主の資格を持っているだけという理由だけで引き受けていました。

ここのような山間部の神主は街の大きな神社の神職のように神主としての仕事で生計を立てることはできません。

ほとんどの神主は定年退職後に資格を取って奉仕しています。その神主の後継者も少なくなる一方です。

このような過疎地では氏子も減る一方で私の本務社では14軒の家族が一社のお宮さんとお寺を維持しています。

(京北町の中には氏子は80歳代の年寄りが一人と言うお宮さんもあります)

以前には集落ごとにもっと多くのお宮さんが有ったのですが廃村になったり、周辺部のお宮さんを中心部の神社境内に移したりされています。

それでも全国には8万社余の神社が存在しなんとか祭りを維持しているのです。

わたしも職業欄には「神職」と書いていますが実際には地元氏子さんたちからいただくお礼より神職としての出費の方が多いのでとてもじゃないが職業とは言えていません。

お祭りも年2度だけとか、最小限に出費を抑える方向に進んでより氏子さんたちの神社離れ(信仰離れ)に拍車がかかっています。

本来はこんな事ではいけないのですが最近までは致し方ないと諦めていました。

ところが喜寿を迎え後何年奉仕出来るか?と考えて後継者を集落または旧大字から用意出来るか?と考えると答えは「ムリです」では済まされません。

山間部の神社を魅力有るものにすることこそ一番の教化活動であると最近になって悟りました。

集落の氏子だけで維持しようとする考え方を改めない限りもうこれ以上神社を維持して行く事は出来ません。

そうかと言って街の観光寺院のように観光客を呼び込むネタも有りませんし、名所旧跡も少ない僻地の神社に多くの崇敬者を集めることは至難の業ですが宮司後継者のためにも宮司が魅力ある職業だと思われるように「喜寿からのチャレンジ」として努力したいと最近切に思うようになりました。

「喜寿からのチャレンジ」になるか? 「喜寿からの悪あがき」になるか?

思いついたら後先考えずにのめり込むのが私の持ち味ですからやってみます。

どうしたら魅力あるお宮さん、魅力ある教化活動ができるか? (やってやろうじゃないですか? もう、ムリか? まだやれそう!)

神様、仏さま、ご先祖さまのご加護と周囲の人達の協力で頑張れそうです。

 

 

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