父方の従妹が亡くなり通夜・葬儀に親族として参列しました。私より7歳年下でした。
私自身が歳を取ると人を見送ることが多くなり悲しいことです。子供の頃に一緒に遊んでやった身内の場合は特に。
一昨年も彼女と同い年の従弟を見送ったとこです。これで父方のイトコは居なくなってしまいました。
身内に限らず葬儀に参列して思うことは年々葬儀の形式が派手になってくることです。
日本の経済が豊かになってきた証拠といえばその通りで結構なことなのですが葬送産業が肥大化しているとしか思えません。
それに従い従来の伝統が微妙に曲げられて来ているのも見逃せないことです。
今の葬儀で(葬儀場での)私の一番キライなのは最後のお別れと称して参列者全員に死顔を晒すことです。
昔も参列者全員の焼香が済み出棺までの時間に特に近親者のみの最後のお別れはありました。
葬儀に参列される人は故人との何かの繋がりのある人ですが親族以外は赤の他人です。
生前の故人の面影を最後のお別れと称して死顔を見せることはそれ以後の思い出は死顔だけを思い出させて消してしまいます。
特に女性の参列者は死顔を見て「きれいな顔をしてはった」と言う、厚化粧を見て。
わたしは生前の故人の顔を忘れないために死顔は見ないようにしています。
幼いころの想い出やきれいな頃の想い出を大切にするためにも。
こんなことを前もって近親者に断って置かなければ「水臭い奴や」と言われてしまいますから、嫌な習慣を作り出したものです。
まだまだ今の葬儀に関して言いたいことはありますがボヤクのはこれぐらいにして次の機会に。
葬儀の後火葬場に送り、お骨拾いをしてもう一度葬儀場に戻ると初七日の用意がしてありました。
近親者のみでここで初七日の法要をして妻と雪がチラつく北山の我が家に帰りました。
祖母の代からですが我が家の女性は姉妹で二つの系統があるように思います。「ぽっちゃり型(優しい)」と「つよい型(キツイ)」とに。
亡くなった従妹はぽっちゃり型の優しい女性でした。
死顔を見なかったおかげでこれ以後の彼女の想い出は幼い頃の可愛い姿で偲ぶことができます。
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