鎮守の森の学校(京都北山細野の神主)

日々感じる事を想いのままに書き綴っています。神主として品位に欠ける表現が有るのはボケが始まったとお許しください

山小屋でリトル・トリ―をまたまた読んで感激する

2010年06月10日 | 愛読書

今回の木祖村の山小屋へ行った目的の一番は渓流釣りでしたが読書も目的でした。

日頃買いだめ(?)ていた本をジックリ読もうと数冊用意し、途中の本屋でも新書版の本を3冊買って小屋に入りました。

しかし、今回も読む目的では無しに持って行った私の一番好きな愛読書「リトル・トリ―」を他の本を見る間にパラパラと見てしまいました。とたんに。もう一度はじめから読んでみようと読み始めて、終わりまで読んでしまいました。

この本を初めて読んだのはもう10数年前です。インデアンの生き様に興味を持って関係する書籍を集めている時に偶然古本屋で見つけて読んでみたら、感激!

すぐに数冊買って娘を始め、アウトドアに興味ある人たちに進呈したのですが、現代の日本人(私もそうなのですが)はこの本に書いてある感性が理解できる人が少なくなっています。

自然とのかかわりだけでなく、人と人との関わりも今の日本人と言うより世界の現代人が失いつつある大切なことがすべてにちかいほど書かれています。

リトル・トリ―と呼ばれる両親を亡くした子供が祖父母に自然の中で育てられ、祖父母とその友達や愛犬の死に際の描写など、とくに最後の部分を読みながら3~4回目にもなるのに涙が止まらなくなってしまいました。

初めて読んだ時も感激してこの本こそ私の一番の愛読書だと思いましたが、これまで少なくとも3回は読んでいるはずなのに今回は一番感激しました。

著者の事、筋書きの事、感激した個所などいろいろ紹介したいと思いましたが、私のブログでの解説や紹介を見て感激する人はありませんし、この本を解説する能力もありませんので、ぜひ、一度買って読んでください。

アマゾンで、今も1890円で新本を買うこともできますし古本も買うことが出来ますから、そして、私のように数回読んでみてください。決して後悔はしません。

もし何度読んでも感動を得ることが出来ない人はこの作者の感性と違うところに有るとあきらめてください。

自然と触れることが少なくなってきた今こそもう一度自然に帰る生活を人生のどこかの部分で体験してほしい、そして人間も自然の一部だと認識することが大切だと悟ってほしいのです。

願わくば私の最後もリトル・トリ―の祖父母と同じである事を願いたいと思います。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 木祖村から日本海に出て帰る | トップ | 桃の葉を孫に送る »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

愛読書」カテゴリの最新記事