鎮守の森の学校(京都北山細野の神主)

日々感じる事を想いのままに書き綴っています。神主として品位に欠ける表現が有るのはボケが始まったとお許しください

昨年の今日のブログを振り返り、77回目の誕生日に思う

2015年09月04日 | 死について
昨年のこの日母親の五年祭を執り行ったときのブログです
 
母の五年祭を執り行う
昨夜6時から実家の神社で母の五年祭を弟の祭主、甥の副祭主で身内が20人ほど集まって執り行いました。母は5年前のちょうど私の誕生日の翌日に94歳の一生を終えました。勿論我が家では...
 

早くも亡くなって6年になります。人の命は解りません。生まれてすぐに亡くなる命も有り、健康で長生きする人も有り、生涯病気と闘って結構長生きする人も有ります。

私は人には神様から授かった命がそれぞれに決まっているのだと言う運命論者のような考えを持っています。

「ヒトは病や事故で死ぬのではなく、寿命が終わる時が死ぬ時」と私は思うのです。

高校時代から楠木正成の旗印「非理法権天」を座右の銘として来ました。

「天命」のままにと言う事です。昨年夏に亡くなった三重県松阪市飯高町の水屋神社の久保憲一宮司は常日頃「私は神様のマリオネットです」と言っておられました。今もネット上に残っていると思いますが久保宮司のブログの自己紹介欄に書いてあります。

幸い私は神様のおかげをもちまして一昨日77回目の誕生日を迎える事が出来ました。

生来の病院嫌い、クスリ嫌い、その上注射は死ぬほど嫌いと来てます。母が入院している時もロクに見舞に行かないので母から「弟たちは何時も見舞に来てくれるのにお前は滅多に来てくれない」とよくボヤかれました。

私は「病院に来たら病気がうつるから来ないんだ」と言い訳をしていました。(本当はズボラなだけですが)

病院を警戒したお陰か?今だに持病も無く、病院通いをする事も無く、クスリも飲まず、注射もされず健康に過ごしています、病院に行ってないので何が病気かも分っていないのかも知れませんが現状は加齢で仕方が無いと思っているのかも知れません。

遊びすぎたこれまでの報いで神様がまだやり残している物があるだろうと生かして下さっているのだと思います。

残る人生、ヒトサマのためになる事をやるのが私に課せられた天命だと思っています。喜寿を迎えて少しはマジメに成ったなーと思いました。

 

 

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