鎮守の森の学校(京都北山細野の神主)

日々感じる事を想いのままに書き綴っています。神主として品位に欠ける表現が有るのはボケが始まったとお許しください

冬の車中泊・ナメタラアカン・明け方フルエアガル

2016年02月27日 | 少子化対策は故郷つくりから

昨日(2月25日)は三ケ根山スカイラーンから長野県最南端の根羽村に向かいましたが新東名の新しい開通部分が古い私のカーナビには入っていずに何処で間違えたかスタート近くの岡崎東に出てしまいました。

高速道路抜きでカーナビを設定し直しましたら、山また山の交通量も30分に一台ぐらいしか出会わない道を走り走りました。

今夜は何処かで車中泊をしなければならないので適当な場所は無いかと,走りながら物色しました。

「道の駅・つぐ高原グリーンパーク」と言う看板が有り入りました。

道の駅としたら最小の部類に入ると思いますがトイレも有り自動販売機もあるのでここに決めました。

夕食も途中で腹一杯になるほど食って来ましたのでトイレに行って寝るだけです。

夜中じゅう恐らく一台もこの道の駅には車は寄らなかったでしょう。

元々道の駅の少し下の道路もあまり車の通ることも無いのでスリーシーズン用の30年ほど前の羽毛シュラフ(当時では最高級の羽毛を使った試作品です)を拡げて潜り込みました。

車の中は今まで長時間走り続けていたので十分暖まっています。

時計を見ればまだ七時半、家でこの時間に寝れば12時になる前に目が覚めてしまいます。

この日は沢山走ったので疲れを取る為にそのまま眠ってしまいました。

寒さで眼を覚ましたのは午前4時20分、車は完全に冷えきっています。鉄のボデーは冷えると極端に寒くなります。

起きてエンジンをかけてヒーターを入れれば暖かくなりますが何とかこのまま夜が開ける6時ごろまで足をこすりながら頑張りましたがその後は寝付けませんでした。勘定してみたら夜の七時半から朝の4時20分ですから8時間近く眠り通した事になります。

自宅でもこんなに長くは眠りません。(私は昔から寝床が変わると良く眠る習性が有るのです。同じ部屋では時々頭の方向を変えたり、寝床の位置を変えたりしています。同じでは寝が浅くなるのです。おかしな癖です)

明け方まだ暗い時に周囲に立ててあるノボリが強風でハタメイていました。外はまったく冬の風でした。寒いはずです。

駐車場の横にこんなモノがありました。

氷柱と書いてある看板の横に本当の氷柱が出来ています。手前から水が凍って氷柱になっているのです。

恐らくこのあたりは寒いので有名なのでしょう。明け方震え上がっていた私にとっては嫌がらせか?

道の駅で車中泊をすすめてくれたのは同じ登攀倶楽部の佐伯君(車中泊の大ベテランです。車中泊をしながら各地に撮影旅行をしています)です。

朝一番早速トイレに、暖かい便座にウオシュレット(これが野外でのことを考えると、極楽!、極楽!)神主が言うのも可笑しいですが。

スッキリした後は車中で朝食を

これは昼飯に食べた天ぷらうどん

朝はこのトランギアのアルコールバーナー(ゴトクは別もの)でお湯を沸かして豚骨醤油ラーメンとおむすび2個とブラックコーヒー(ステック)を頂きました。

車内でアルコールバーナーを焚くので窓を開けようとしたら助手席側の窓が昨夜走っている時に三分の一ほど開けたままになっていました。

明け方フルエアガッタ原因は窓だけではないでしょうが?

若い頃はツエルト一つで雪中でビヴァークしていたんだぞ! なんて言っても今の若い人には信用してもらえませんね。

冬の高原はナメタラアカン!

さて出発しようとしていたら一台の車が止まって派手なウエアー(スキー)を着た年寄り(聞けば81歳だそうです)がトイレを利用して出来て私を見かけると車から甘夏を2個もって近づきプレゼントしてくれました。

「車で日本一周しているのか?」と聞かれたので「いいえ、昨日京都を出て三ケ根山にお参りしてこれから根羽村に行くのです」と行ったら「根羽村はもうすぐだ、ワシはこれから近くのスキー場に行くのだ」と言って小走りに車に乗って出て行かれました。
私も今年は78歳になります、もう活動は限界だと思っていましたがあの姿をみてもう少し頑張れるなと思いました。

誰だか?判らない人から旅先で親切にされて心が温まりました。

 

 

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