諸葛菜草叢記

 "窓前の草を除かず“ 草深き(草叢)中で過ごす日々の記

「 おくのほそ道 」 ー Vol. 1

2008-07-25 16:02:54 | 日記・エッセイ・コラム

006 芭蕉  旅立ちの句                          

 千じゆと言う所にて船をあがれば、前途三千里のおもひ胸ふさがりて、幻のちまたに離別の泪をそそぐ。

  行く春や  鳥啼き  魚の目は泪 

これを矢立の初めとして、行く道なをすすまず。

久富 哲雄の解説(「おくのほそ道」 講談社文庫)の句解は以下の通りである。「鳥は哀愁に満ちたで声啼き  魚の目も涙でうるんでいることよ。」と、惜春の情を述べながら、江戸の地を親しい人々分かれて旅立って行く名残惜しさを句のなかにこめている。・・陶淵明の『覇鳥旧林を恋う。 池魚故淵を思う 』などが、この句の発想に影響しているかもしれない、と結んでいる。   

 ★ 久富解説に異論を申し述べるつもりはない。芭蕉の教養の中に、陶淵明がいるのは、少しも不思議ではない。当時の知識人が、儒学、漢詩の素養を持っているのは、当然である。しかし、 私は、別の文庫(多分、岩波)の影響を受けていて、『 鳥啼き 魚の目は泪 』からは、杜甫の 「 春 望 」が思い浮かんでしまう。芭蕉の 旅立ちの句は、風景や、人間模様に直接触れ、発想されたものではない。この句は、その時の心理描写だから、解説的には、広がりが有った方が、おもしろい、と拡大解釈している。 芭蕉の教養の中に、陶淵明が居るごとく、杜甫を取り込んであるのは、自然なことだと思うからである。

 春  望           杜甫

 国破れて山河あり  城春にして草木深し  時に感じては花にも涙を濺ぎ  別れを恨んでは鳥にも心を驚かす  熢火 三月に連なり  家書 万金に抵る  白頭を掻けば更に短く   渾べて簪に勝えざらんと欲す

 ★  三千里とは、壮大な旅ではあるが、悲壮感は拭えない。当然、相当の覚悟は要る。最近では、「おくのほそ道」を歩くツアーもあるようだが、これは、安全が、確保されていて、ある面では楽である。芭蕉の当時からすれば、奥州街道という主力道路であっても、安全・安心は、何処にも保障されてない。病気・怪我、或いは不測の事故に合うかもしれない。しかし、供の曾良は、この旅には、多分得って付けの者である。今様な言い方では、最高のマネージャーである。旅先での総てを手配してくれる。曾良なしでは、この旅は、考えられない。 ☆ 余談 I 藩史などの資料など調べていると、芭蕉はこの辺りの町に来て、句会の選者になっている。今日流に言えば、さしずめ有名人の地方講演会である。地主、大店の商人が、依頼者である。句会の講師として招かれる。参加者の句を指導する。そこで講演料を貰って、生活の糧を得る。俳人として、名を上げていれば、ファンも多いだろう。別に、悪いことではないし、才能とそれなり努力あっての事だから当然のことである。従って、漂泊の思いを語る芭蕉を、『 世捨て人 』風に、ことさら解釈するのは、あまり宜しくないと思われる。芭蕉自身が、そういう表現を用いたとしても、それは、彼独特の修辞法なのだ。

 ★  江戸から最終は大垣まで、何ヶ月もかかる大旅である。常人では、到底、なし得ないことだ。奥州と言う、過って、栄耀栄華のあった処である。其処を訪ねるのは、大浪漫である。杜甫的な歴史観のある風景が、旅立つ前の心の内側を駆け巡る。私は、この様に、想像する。

    08 07 25(金) 記ス。    


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