諸葛菜草叢記

 "窓前の草を除かず“ 草深き(草叢)中で過ごす日々の記

師(僧)が走る月に入る

2012-12-06 21:31:21 | 日記・エッセイ・コラム

 “ともかくもあなた任せのとしの暮”(一茶 「おらが春」) *“ ともかく ”→「善くも悪くも」 “あなた任せの” →「その身を如来の御前に投げ出して、地獄なりとも極楽なりとも、あなた様の御はからい次第云々・・」 (一茶 《句の前文》より) →その生活は、決して楽でなかった一茶。投げやりとも、居直りの諧謔ともとれる「句」であります。▼ ひるがえって、今日、世の中は師走の街を“宣伝カー”が、かしましく走り回る事態となっております。けれども、神や仏に頼むわけではありません。“あなた任せ”とは行かないでしょうョー

吟行や 指折り数え 息がきれ ー夢蔡ー

雲に陽かげり 洟(はな)をびしびし ー御倉ー

20121206_019 ▲ 958Hpa 「爆弾低気圧」が、東日本を通過中。山脈を越えてきた巨塊な雲が、日を閉ざします。

ーー「木がらしや菰(こも)に包 ンである小家」 (一茶) *「 菰=雪囲い用の菰 」▼ 一茶は、信州の中農の家に生まれましたが、江戸へ来ます。俳諧を名門「葛飾派」で学びます。一茶の才能は認められ、「執 筆」の役を得ますが、「宗 匠」には、最後まで成れませんでした。(*「執筆」=「宗匠」の主催する句会での進行書記役)

ひよどりや 生まれし山は 雪の襞(ひだ) -夢蔡ー

20121206_037 ▲ ひよどり【鵯・白頭鳥】 山地の樹林で繁殖し、秋、群れを成して人里に移る。波状に飛び、鳴き声は「ひいよひいよ」とやかましい。(「広辞苑」) ▼ “日本列島改造”ブーム以降は、都市近郊の山林、森の公園などに進出。四季を通じて見られる。厳冬期、路地のホウレン草、白菜などをつつき食うので、農家の嫌われ者。ー

ー“雁よ厂(かり) いくつのとしから旅をした”(七番日記) ▼ 「宗 匠」になれば一門を主宰し、弟子もとれる。居ながら生活できる。「執 筆」どまりの一茶は、結局は“部屋住み”。(←江戸の世は、徹底的な階級・格差制度。「宗 匠」になれるのは、武士、僧侶・豪農・豪商でした。) ▼ 一年の三分の二は、“旅の空”で過ごす。江戸で得た情報・知識・俳諧の傾向と対策を、千葉周辺の有産者の“粋人”に披露して、糧を得ていた。ー

朝焼けの 霜おく狭庭 凍てつきて なずな地に伏し 耐えて春待つ ー夢蔡ー

20121206_022 ▲ しも-ばしら 【霜柱】 山野に自生し、秋、白い小花を付けるシソ科の多年草。冬に枯れると、四角い茎の割れ目から根からの水分が漏れる。寒い朝、その水分が、綿帽子のように茎に氷結する。(「広辞苑」)

“時鳥(ほととぎす)我身ばかりに降る雨か”(寛政3年紀行) ▼ 苦学力行、「執 筆」になった一茶は喜び十数年ぶりに故郷“しなの”帰ります。途中、境町の織間本陣に立ち寄りました。あいにく、主人が留守で逗留できずそのまま出立する。その時の「句」です。(←句の添え書きに、「いせ崎の渡りを越す。日は薄々暮れて、雨はしとゝゝ降る。」) ▼ この時、一茶は29才。その後、彼は各所で出前講座に専念することになる。(←「宗 匠」になれなかったので!) * “羽(はね)生(は)えて銭(ぜに) がとぶ也としの暮”

落日の 連山越えて 風立てば 椋鳥(むく)群れ乱れ 赤く散り行く ー夢蔡ー

20121117_24w_014 ▲ 近郊の熟柿をねっらって、騒いでいた椋鳥の一群は、対岸の篠藪にもぐりこみ見ました。寝座(ねぐら) を争うのか、騒がしい声が聞こえます。

ー“椋鳥と人に呼ばるゝ寒さ哉”(八番日記) ▼ 一茶は、 五十数歳で故郷信州に引退するまで、“俳諧業”で糊口をしのぎ、“泥にまみれるように世俗”を生きぬきます。 (←*注 椋鳥とは、農閑期に江戸に出稼ぎに来た信濃・上州の人々を揶揄した言葉) “これがまあついの住か雪五尺” 

ー“先祖代々と貧乏はだか哉”(句帖写) ▼ 故郷柏原での生活は子供をあいついで亡くしたり、暑い年には米価が暴落=“豊作貧乏”を嘆いたりで、百姓は楽ではありません。それでも近郷に百人を越す地方の庄屋・商人などの弟子が出来た。、「句」作りの方で、生活の余裕が出来、救いがあったようです。

“花の陰 寝まじ未来が恐ろしき”(句帖写)(←訳 「花の下で、寝るのは止めよう~・だって来世が恐ろしいから) ▼未来=来世・死後の世界。この句は、西行の「願わくば花の下にて春死なむその如月のもちづきのころ」反転。引用「句」の添え書きに 『耕やさず喰らい、織らずして着る体たらく、いままで罰のあたらぬもふしぎ也。」とあります。最晩年の一茶は、畑仕事より「俳句」を教えて、添削料・付け届け、紬の羽織りの「羽織貴族」で過ごせました。▼上記の「俳句」は、自戒・自嘲の内容です。▼ 西行は、自分の「死」を巧みに美化しております。いわば、「余裕派」です。▼一茶は、人生の大半を貧苦・格差下積で這えずるように生きた故に、いま置かれた環境を素直に享受することなく、さめた目で見るしかなかったのでしょうか・・。65才歿。

ーひるがえって、今日では・・ーー

精査して 対処しますと 美辞麗句 ー夢蔡ー

 ー精査して対処いたしましょう。ーーーー<了>ーー

 


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