hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

関東鉄道竜ヶ崎線(1)

2017-12-11 05:00:50 | 日記

『鉄道シリーズ』その189。今回は都内から簡単にいける数少ない非電化私鉄の関東鉄道竜ヶ崎線に乗ってみる。関東鉄道竜ヶ崎線は常磐線佐貫駅から2つ先の竜ヶ崎駅まで4.5kmを結ぶ路線である。

常磐線も上野新宿ラインの完成で品川や東京駅から直接行くことができる。上野駅から快速土浦行に乗車、柏くらいまでは混んでいたが、その先は降りる一方。


佐貫には50分くらいで到着、改札口を抜けると左に向かい、地上に出てまっすぐ行くと2分ほどで地味な竜ヶ崎線の佐貫駅に到着。駅名表示板も異常に小さい。


5分の接続であったため、写真を撮るのがやっと。関東鉄道キハ2000系気動車が待っている。乗車するとすぐに発車、日中は30分に一本だから乗り遅れられない。


佐貫駅を出て少し右にカーブするが、あとはとにかくまっすぐ、また、勾配も殆どなく、すぐに田園地帯になる。竜ヶ崎駅とのちょうど中間に唯一の途中駅、入地(いれじ)に到着。しかし、だれも乗りも降りもしない。何しろ常総線を含めて関東鉄道では1日あたりの乗降客71人は1番少ない駅なのである。

気動車はすぐに出発、またまっすぐで平坦な線路を走る。小さい鉄橋を越えて、少し行くと2両の気動車が見えてくるがその先に竜ヶ崎駅。全線乗車しても7分と短い。駅には駅員が結構いて改札口にも駅員を配するが、乗車券を持つ人は皆無、みんなPASMOで下車している。


竜ヶ崎駅は私鉄の終着駅の典型のよう。はっきり言って寂れている。駅前にはバスターミナルやタクシー乗り場もあるが、人は僅か。やはり、この辺りは自動車がメインのようである。


竜ヶ崎線が開通したのは1900年と来年で130周年を迎えるなど長い歴史がある。最初は竜崎鉄道として発足、竜ヶ崎から柴崎村までの延伸を考えたが日露戦争後の不況からこれを諦めた。さらに1944年の陸運統合令により鹿島参宮鉄道に合併された。その後、1965年に常総筑波鉄道とも合併、関東鉄道となり、現在に至っている。

駅を降りて駅前で地図を見るが、あまり名所は見つからない。とりあえず駅前通りを歩いて、竜ヶ崎城跡を目指す。(以下、次回)

師走の浅草に行く

2017-12-10 05:00:04 | 日記

毎年、年末恒例となった浅草への買い物に行った。朝から日差しはあるが10℃を越えない寒い土曜日、浅草に到着したのは16時半。もう外は真っ暗になり、まず雷門に行くが、記念撮影の人でごった返している。

それでも正面からライトアップした雷門を1枚。では雷門の大きな提灯、裏には何と書いてあるか?正答は次の写真。

『風雷神門』。この門には右に風神、左に雷神が祀られており、風雷神門が正しい読み方であったが、気が短く、何でも略する江戸っ子が縮めて雷門としたのである。その結果、風神はどこかに行ってしまった?

雷門を潜り、仲見世に入るとすでに羽子板や追羽根、鏡餅などのお正月用のディスプレイに変わっていて、来年の干支のいぬはりこも加わっていた。浅草寺が店の地代を大幅に値上げするらしいが、まだ、いつもの風景が広がり、外人が土産物を探している。ただ、こころなしか、以前からの人形焼屋には人がおらず、揚げまんじゅう屋は休んでいた。

左手に浅草寺幼稚園が見えてくるともう仲見世も終わり。次の門が見えてくるが、この門には『小舟町』の太文字。

現在の会社事務所がある日本橋の小さな町だが、町内が頑張ってこの提灯を奉納している。因みにこちらの裏には小舟町の資金提供をした賛同者の名前が書かれている。この提灯を始めて奉納したのは340年前で当時の小舟町は魚河岸がある日本橋から近く、繁栄していたが、その心意気で提灯を奉納。現在の提灯は平成15年に奉納したものである。

午後5時になると本堂の入口が閉まるため急いでお参りをする。それにしても外国人が多いのにはビックリ。

お参りを終えて、本堂に向かい左側に出る。しばらく行くと『旧五重塔跡』の石碑。江戸時代は上野など江戸四塔の一つに数えられていた徳川家光が寄進した五重塔がここにあったが、1945年空襲で焼失。現在の塔は1973年にコンクリート造りで再建された。

そのまま真っ直ぐ行くと手ぬぐいの藤屋。歴史ある手ぬぐい屋であり、この時期には来年の干支の手ぬぐいを2種類販売している。来年は戊戌(つちのえいぬ)であり、犬の2種類の手ぬぐいを販売中。縦型が『チンのような犬』、横型が『手ぬぐいで遊ぶ2匹の犬』のデザイン。

悩んだ挙句、2匹の犬に方した。この手ぬぐいは来年を迎えるにあたり、家に飾るつもり。手ぬぐいを買いに来たらもう来年もすぐにやって来る。あっという間の一年である。

小ハゲ天〜銀座ランチグルメ

2017-12-09 05:00:20 | グルメ

銀座で天ぷらというとまず思い出すのが『天一』、有名どころで敷居が高いのが『近藤』、他にも有名な店が多いが、私が好きなのは『ハゲ天』である。銀座3丁目、向かい側には白いバラという昔風のキャバレー、そしてカツカレー発祥の店と言われる洋食の『煉瓦亭』、老舗が多いところに本店がある。銀座の店は昭和3年開店だからもう90年にもなる。

名前が面白いから子供の頃から覚えているが、初代渡辺徳之治が完全な禿頭だったので客から『ハゲ頭の天ぷら屋 ハゲ天』と呼ばれて親しまれていたのを逆手にとって銀座に店を構えた際に『ハゲ天』を屋号にしたとのことである。

しかし、昼から高い店にはと思っていたら、銀座5丁目、すずらん通り沿いに『小ハゲ天』という天丼中心のリーズナブルな店があった。入ってみるとチェーン店てんやとそれほど変わらない価格で提供している。メニューは色々あって悩むが、今回は『小ハゲ天丼』(税込760円)を御願いする。

店は明るく、職人さんのようなベテランがお茶を持って来てくれる。11時40分だが、ほぼ席は満席、ただボックスに1人というところもあった。
5分ほどで小ハゲ天丼到着。天ぷらは海老2本、キス1本、カボチャとインゲンと計5品が乗っている。これに赤だしと漬物、漬物は3種(沢庵、キュウリ、柴漬け)の相盛りで色鮮やかである。


まずは赤だしを一口、美味い。インゲンからいくが、これが揚げたてでパリパリしている。次に海老、丼ツユも染みてちょうどいい。たしかにさいまきではないかも知れないが、技術は一流である。カボチャもホクホク、また、ご飯と天ぷら之バランスがいい。気がつくとやはりかき込んでいる。


他にももっと景気良く天ぷらがたくさん乗った天丼もあるが、わたしにはちょうどいい。後味もよく、満腹。御馳走さまでした。

小ハゲ天銀座店
中央区銀座5ー6ー7
0332898920

来春の年賀状

2017-12-08 05:00:03 | 日記

『切手シリーズ』その68。早いものでもう師走、来年の年賀切手やお年玉年賀ハガキなども発行されている。現在の年賀状の常識は年末25日までに年賀ハガキを投函すれば元旦に配達してくれるというものだが、明治以降もハガキが用いられることは少なく、また、元旦に書状を書いて送るものだった。

しかし、1871年に郵便ハガキが発売されると安価で簡易に行えるようになったと習慣となって行き、今度は年末年始に一斉に郵便ハガキが増加、配達が遅れてしまう。ここで考えられたのが、1899年(1900年の元旦分)郵便局に12月20日から30日までに持ってきたハガキは元旦の消印で配達する制度が始まったのである。

そうした年賀状の増加も2003年がピークで2015年はその3分の2まで減少している。携帯電話やメール、SNSなどの普及に加え、習慣として年賀状を全く行わない若者が増加しているためである。
日本郵政も打開策として人気グループをCMに使うなど色々な手を打ったが、ついに今年は値下げという手段に出た。通常のハガキの料金は62円だが、年賀状に限っては官製、私製を問わず料金を52円にすることとした。言い分は纏めて配達するため、経費が安く抑えられるとのこと。

しかし、制度はやはり親方日の丸まるだしで、この特例が受けられるのは12月15日〜1月7日に投函された分のみとしているのだ。そのため、12月14日以前または1月8日以降にお年玉年賀ハガキ(52円)を投函した場合は超過料金を差出人に要求、さらに私製ハガキの場合は年賀と朱書きしない場合も同じく超過料金を取るとしているのである。全く現場を考えない発想には頭が下がる。

しかし、私は今年喪中、そのため喪中のハガキを11月に出したが、当然のことながら62円が必要であり、この恩恵にはあづかれなかった。何となく不公平な気分でいっぱいである。

季彩や ひで〜神楽坂グルメ

2017-12-07 05:00:58 | グルメ

12月になると忘年会というのはやや安直だが、昔の部下であるAくんとは1年に最低1回は飲もうと決めている。去年も11月末に呑んだが、今回はついに12月になってしまった。七夕みたいな飲み会に単なる居酒屋ではと思い、以前から行きたかった神楽坂の店を予約する。

店の名前は『季彩や ひで』、東京メトロ東西線からすぐのところにあるが、一本入ると静かなところ。カウンターに陣取りメニューを見る。とりあえず瓶ビールで乾杯、やはり日本酒を楽しむには生ビールは多すぎる。

この店は店主の出身である愛媛県宇和島市の食材が多く、宇和海の魚が良さそうという事前情報をもとに、まず決めたオーダーは『刺身の5種盛(2500円)』、『つまみの盛り合わせ(1800円)』そしてすぐ出て来るポテサラ、店の人のご推奨である『白甘鯛の塩焼き』をお願いする。
まずお通しは酢でしめた魚を味付けしたおからに寿司のように載せたもの、空きっ腹には優しい味。

次はポテサラ到着。ひしこ入りで上にはフライドオニオン、ビールには抜群に良く合う。


刺身の盛り合わせが出た時点で日本酒に。銘柄は悩んだが、愛媛県に敬意を表して『石鎚 純米吟醸』。刺身を見てびっくり、『タコ、イサキ、アジ、(下の段が)ヒラメ縁側、ヒラメ、ヨコワ(若いマグロ、愛媛県ではホンヨコと呼ぶ)』。それぞれ4切れずつあり、コスパの良さにまず驚く。まずはタコ、瀬戸内のタコは味がいい。そして、イサキとアジの鮮度と脂の乗りは素晴らしい。これには愛媛県の日本酒はぴったりである。


そして白甘鯛の塩焼き。日本酒は『王禄(島根県)』を合わせる。この甘鯛も身がきめ細かく、また、甘い。パリっとした皮目がまた美味い。


つまみの盛り合わせも登場。なまこ酢、雉の肝煮、イカ塩辛、鯛味噌カブ添え、鳥わさ、銀杏と6種類。いずれも珍味、酒は『日本心(やまとごころ・愛媛県)』『冩樂(福島県)』とどんどん進む。



追加で出汁巻、わかさぎ唐揚げを注文、最後に『媛人(愛媛県内子町)』を飲んでもう満腹、やむなく終了。いや、これだけ美味いものを食い、美味い酒を飲んでそれはそれは楽しい宴となった。ジャズが流れる粋な雰囲気、サービスも良く、満員になるのもうなづける店である。


季彩や ひで
新宿区神楽坂6ー23
05055711081


日比谷神社

2017-12-06 05:00:46 | 日記

新橋駅から第一京浜に沿って歩き、新虎通りを渡ったところに新しい神社がある。その名前は『日比谷神社』、この辺りは現在は東新橋だが、なぜそこに日比谷?と気になって調べてみた。

新橋の神社というと駅近くの烏森神社が有名で参道が小さな居酒屋が並び夜の方が盛り上がる珍しい神社である。ほかにも塩竈神社もあり、なぜこんなに狭いところに3つもの神社があるのか、それは日比谷神社の名前にある。

実は日比谷神社はその名前の通りかつては日比谷(現在の日比谷公園あたり)にあったが、江戸城日比谷御門建設にあたり、周辺住民とともに芝口(現在の港区東新橋付近)に移されたのは慶長年間(17世紀初)とかなり古い。

しかし、その後も神社は落ち着かず、明治初期には鉄道敷設で新橋4丁目に移り、関東大震災では全て焼かれ、さらに区画整理事業でまた移り、最近では新虎通り建設でまた遷座し、ようやく2009年に現在の場所に落ち着いたのである。


余談だが、別名『鯖稲荷』とも呼ばれたが、これには今の日比谷にあった当時困った旅人たちに社務所を開放して、無病息災を祈願させたため『旅泊(さば)神社』と呼ばれた。しかし、その後は鯖の字を当て鯖神社となり、さらになぜか『虫歯に苦しむ人が鯖を絶って当社に祈願すると霊験あらたか』とされ、成就すると鯖を奉納するようになったとHPには書かれている。

この神社は第一京浜と新虎通りの交差点角にあり、少し階段を登ったところに社殿があるため、振り返ると新虎通り、そして虎ノ門ヒルズが正面に見ることができる。また、周囲は汐留再開発の高層ビルであり、また静かなところにあった神社が交通量の多いところに移され、神さまもさぞや驚いていることであろう。

いちょう雑感

2017-12-05 05:00:41 | 日記

今、まさに紅葉、特にイチョウの黄葉が真っ盛りである。事務所の隣にある公園のイチョウが次々と黄色くなり、さらに葉がハラハラと散り始めたところすらある。

イチョウは氷河時代以前からある数少ない樹木であるが、絶滅危惧種となっているものもある。では、イチョウは広葉樹であろうか、それとも針葉樹に属するのか?普通は葉が広いから広葉樹と思いがちだが、どちらかといえば針葉樹に近い種類である。確かに葉脈の形が通常の広葉樹とは異なることに気づく。

イチョウの歴史を紐解くと面白い。2億年前に誕生したのだが、1億5千万年前にピークとなり、地殻変動のためユーラシア大陸のほぼ全域と北米大陸からは姿を消した。しかし、ここからイチョウは巻き返す。細々と生き残った中国では保護され、これが800年ほど前に日本や韓国に広がった。

大気汚染や害虫に強いため、日本から西洋にもたらされるや全世界の街路樹として大いに繁栄していったのである。日本の街路樹のうち57万本はイチョウである。それだけ見るのだから東京都のシンボルマークになっているのだろう。また、木材としての利用も盛んで、身近なところではまな板などに使われている。

我が社の裏の公園にもイチョウの大木が数本あるが、一斉に黄色くなるのは壮観であり、写真を撮る人、写生をする人、皆それぞれに愛でている。

イチョウ並木といえばやはり神宮外苑と折角なので行ってみた。外苑前駅で降りて青山通りを曲がると絵画館まで330mの間に146本ものイチョウが並んでいる。



もう散りかけているのもあるが、そのため、歩道はイチョウの落ち葉で黄色く色づき、また、夕日にキラキラと輝き、ハラハラと散っている。

与謝野晶子の歌の『金色の小さき鳥の形して銀杏散るなり夕日の丘に』を思い出した。これが正月2日のラグビー大学選手権の頃になると全て散ってしまうのであろう。

豊洲駅

2017-12-04 05:00:00 | 日記

『メトロに乗って』その72。今回は東京メトロ有楽町線豊洲駅を巡ってみる。豊洲駅が開業したのは1988年6月で当時の1日平均乗降客は12488人、これが現在はたぶん10万人を超えており、地下鉄では有数の乗降客数を誇る。


豊洲駅で降りると晴海通りに出るが、そこから5分ほど歩くとセブンイレブンがある。このセブンイレブンはなんと日本第一号店である。


開業は1975年5月と地下鉄開業より13年も古い。もちろん現在では豊洲の中心にあるが、残念ながら、特に他の店と変わった所はない。せっかくならばファウンダーグッズなどを売れば楽しいであろうに。


周囲にはタワーマンションやオフィスビル、巨大なショッピングモールなどが林立する。その中にもう一つの交通機関『ゆりかもめ』の豊洲駅がある。

そのゆりかもめの線路に沿って歩くと消防署や豊洲公園などが並んでおり、その先にはガスの科学館『がすてなーに』がある。


広々とした館内にはマスコットキャラクター『プカ』『ポカ』『ピカ』がいてそれぞれ『ガスと炎』『ガスが生み出す熱』『ガスが生み出す電気』を表している。中に入るとガスに関するクイズや原料の天然ガスの採掘の様子、その運搬、電気を生み出す仕組みなど分かる仕組みで結構大人にも為になる。


また、この博物館の素晴らしいのは3階の屋上、360度が見渡せ、目の前には晴海大橋や春海橋などが臨め、特にゆりかもめの走行するのがよく見えるのは楽しい。


ここまで来るともうゆりかもめ新豊洲駅も近い。

正音〜下北沢グルメ

2017-12-03 05:00:50 | グルメ

気がつくと確かに下北沢であまり蕎麦屋で一杯はしたことがない。せいぜい、駅から少し池ノ上に歩いた途中にある『打心蕎庵』にランチで行ったことがある程度である。しかし、今回、グルメサイトで良さそうな店を発見、早速訪問してみた。

店の名前は『正音(まさね)』、下北沢駅北口から徒歩5分程度、洋服を扱う店が立ち並ぶ一角にある。(ぐるナビには2分とあるが、早朝か深夜でなければ5分はかかる)大きな看板があるので見おとすことはない。

一応、6時に予約したが、入店すると中高年のカップルとグループが太宗を占めているので一安心して席に着く。まずはエビスビールで乾杯、突き出しに出されたのはカニとワカメの酢の物。カニの身が多くて嬉しい。

つまみを5品頼む。まずは白いか刺身が登場、ねっとりとした白いか独特の旨味とよく効くワサビがいい。お酒はまずは冩楽(福島県)から、一合ずつ片口で出してくれるが酒器も趣きがあり、嬉しい。


次に出汁巻、出汁がよく効いて甘みの少ないしっとりタイプ、蕎麦屋の出汁巻は外れないが、やはりごま油などのアクセントがあるとさらにいいかも。

そして、鴨の九条ネギ焼き、鴨の上にはたっぷりの九条ネギ、醤油ベースのタレも美味い。とにかく、焼くと硬くなる鴨の身が柔らかい。


酒はすぐなくなり、次は雨後の月(広島県)、これはしっかりした旨口、温度管理がよく、冷えすぎていないので味がよく分かる。

ここで蕎麦味噌、この店の蕎麦味噌は甘みが少ないタイプで蕎麦の実がプチプチ、それを大葉で巻いて供せられる。食べやすいが、量は少ない。


次の酒はばくれん(山形県)、スッキリとした辛口。つまみは最後に豆腐の土佐揚げ、豆腐に小麦粉と鰹をまぶし、揚げだしにしたもの。鰹節の香りを楽しめる。

そして、締めの蕎麦は相方がもり蕎麦、私は揚げ玉蕎麦。まずはもりが登場、蕎麦は腰があり、半透明な細いタイプで喉越しがいい。ただ、残念ながら鰹節・鯖節と言った出汁の香りが足りず、少し平板な感じ。私はもう少し主張のある蕎麦出汁が好きである。

一方、揚げ玉蕎麦は厚切りのカマボコと椎茸が入っているが、椎茸は甘く煮てあり、美味い。天ぷらの新しい揚げ玉も良く、出汁もしっかり、良くまとまっている。

全体として店の応対も雰囲気も良く、まだまだメニューも豊富でぜひまた来てみたい。これで新たに下北沢で飲める店が一軒増えたのは大変喜ばしい。満足致しました。

正音
世田谷区北沢2ー28ー1
05058906388

福徳神社

2017-12-02 05:00:02 | 日記

七代目市川染五郎のTVCMに出てきたのが、日本橋COREDO2の裏にある福徳神社である。今やっている三井不動産のCMでは江戸時代にタイムスリップして七代目染五郎と初代染五郎が語り合う設定となっているが、実はこの周辺は三井不動産がCOREDOの開発に合わせて『福徳の森』PJとして地域の歴史や伝統を再現したものである。


ただし、福徳神社は歴史は古く、9世紀貞観年間にはすでにこの地に鎮座していたとの記録もある。1657年の明暦の大火で社などは焼失、碑石は崩壊したが、その内容を書き写した書物は残った。源義家、太田道灌、徳川将軍も参詣したという。二代秀忠が参詣した際に椚の木でできた鳥居から芽吹いたため、芽吹神社と命名され、今もその名前で親しまれている。

入口はCOREDO2の横を入ったあたりにあり、新しい社殿には狐が両側に鎮座する。もちろん、上を見上げると高層のオフィスビルが背後に立つが。


その隣の蔵のような造りの社務所では3時までは朱印も受けることができる。また、この社務所はハイテクで地下にある自転車駐輪場の入口も兼ねていて、その隣に立派な神輿が置かれているのは再開発事業らしい光景である。

周辺には色々な木、椚や楠、萱、枝垂桜、枝垂れ梅、紅葉などが植えられていて、四季の移ろいも楽しめる。


また、隣には薬の街日本橋を象徴する薬祖神社も移転、小さい社ながらその周囲の石柵を寄贈した企業は超一流の薬品会社ばかりである。

さらにその隣には芽吹茶屋が並び、信州名物おやきを酒とともに楽しめる。都会の真ん中のビル開発もこうした緑や神社を作ることにより安らげるのも素晴らしいことである。