『江戸の坂・東京の坂』その77。白山・西片周辺の坂の続き。中坂を下まで降りて先に行くとまた同じように本郷台地に上るきつい坂道があるが、これが『胸突坂』。
実は坂の多い文京区には他に本郷と目白台にも胸突坂がある。坂を上ったところには誠之小学校があるが、これは江戸時代の福山藩中屋敷跡で『誠之館』と名付けられた江戸の藩校があった場所なのである。
また、坂の下の崖沿いの道を歩く。細い道は右に曲がる道があまりないが、これが全て坂になっており、次の見通しの悪い角にあるのが『曙坂』という石段の坂道。
実は明治初期に街ができ、鶏が暁のころ鳴き声をあげるので曙町としたが、この名前を取って『曙坂』とした。石段になったのは周辺の住民の協力を得て昭和22年に上りやすい石段となったものである。
坂の下のうねった道を歩くと少し広い道に出る。その先には何とも懐かしい風呂屋さんがある。汗だくのため、ひと風呂浴びたくなる富士見湯である。
これを左に行くと西片に入るが、左に曲がりながら上る坂がでてくる。この坂が『新坂』でS字になっているが、江戸時代福山藩主阿部家の屋敷に上る坂として新たに作られたのでこの名前となった。別名、福山坂ともいう。この坂の上には夏目漱石など文化人や学者が多く住んだため、学者町とも呼ばれた。
新坂の頂上を右に曲がり、まっすぐ行くと今度も曲がりながら下る坂があるが、これが『石坂』。名前の由来はよくわからないが、長い坂で下りだから良かったが、上りだとたまらん坂である。
夏も終わりかと久々に坂巡りをしたが、天気に恵まれすぎて、汗だくに。石坂を降りて右に少し行くと中山道に出るが、目の前に都営三田線の春日駅。これだけ歩いてわずか1駅であった。実は中山道を挟んで反対側にも坂はまだあるが、これを回るのは次回としたい。