hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

宿場町を歩く〜中田宿

2022-11-12 05:00:00 | 宿場町
『宿場町を歩く』その17、中田宿。古河藩が管理していた古河三宿(中田、古河、野木)の一つで江戸から行くと利根川を渡った次の宿場。房川渡中田関所は江戸時代栗橋宿と中田宿の間、利根川筋古利根川筋に設置された。しかし、その後対岸の栗橋に移されたので栗橋の関所として知られるようになった。



利根川橋を渡り、すぐに左に行く坂を下ると左側に関所跡の碑が残されている。



さらに右折すると静橋があるが、渡ったところに中田宿の碑が残されている。宿場の業務は栗橋宿と交代で行っていたが、天保年間には栗橋宿404軒に対して中田宿は69軒であった。



その先は旧街道がまっすぐ続くが昔ながらの民家は1軒確認できた程度である。



鶴峯八幡神社に到着。ここの社務所で宿場印をゲットするはずなのだが、人がいない。缶に300円を入れて置いてある宿場印を手に入れる。



そこに届け物の人が登場、社務所の人が出てきて『お参りですか』と聞かれ、『宿場印を集めてまして』と答えると『どちらからですか』と聞かれる。『東京から来て、栗橋駅で自転車できました。』と答えると『少しお待ちください』と言って社務所に戻る。



お守りでもくれるのかと思っていたら、『わざわざ来てもらったのですから』と言われて御神酒を頂く。

鶴峯八幡神社の由緒は1180年、頼朝の命により下河辺挙兵により当地に集結させ合戦に向かう際に川沿いの小高い山にある八幡神社に祈願して勝利を得た。頼朝は武運が拓かれたと神徳を感じ、翌年鶴岡八幡宮から御神霊を勧請したものとされている。

隣にあるのが光了寺、静御前のゆかりの地であり、後鳥羽上皇の前で舞をした際に着ていた蛙蟆龍の舞衣(あまりょうのぶえ)が保管されている。

古河第四小学校あたりまで走ったが、特に街道を表すものもなく、Uターンして栗橋駅に向かった。







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