hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

上野桜木辺りの坂道(1)

2015-04-18 05:00:26 | 日記

『江戸の坂・東京の坂』その34。今回は上野から根津にかけて歩く。上野駅公園口から出ると前に通りがあり、東京文化会館、国立西洋美術館、寛永寺輪王殿などの横を通る。


その先の駐車場を抜けると右側に殉死の碑が前に立つ墓地と東京大空襲の慰霊碑がある。


殉死の碑の解説を読むと3代将軍家光が亡くなった際に殉死した幕府の重臣堀田正盛や阿部重次などの墓がある。しかし、その後殉死が増えたため、家光の死後12年で殉死の禁止を幕府が定め、その後は無くなった。


そのまま真っ直ぐ行くと忍岡中学の校庭が見え、学校に沿って右に曲がると『新坂』がある。この名前の坂もよくあるが、やはり明治になり新しくできた坂で昔の地図には鶯坂とある。これは鶯谷駅から来る道だからであろう。


寛永寺の前を通り、言問通りを右に曲がると緩い坂があるが、これが『寛永寺坂』。そしてしばらく行くJRの跨線橋があるが、これが寛永寺橋。この跨線橋ができた昭和初期にできた坂らしい。

この道沿いには古い家や店が多く、閉めてはいるが渋いお煎餅屋さんがある。

少し戻り上野桜木2丁目信号を右折すると谷中霊園。その曲がるあたりが、戦前、僅かな期間のみあった京成本線の地下駅『寛永寺坂駅』の地上部分らしい。今も国旗の掲揚台が残されていた。


桜が散ってまさに『強者どもが夢の跡』という感じで霊園内での花見を禁止する看板の取り外し作業に遭遇。


その先を右折して澁澤家の立派な墓地の前を行くと跨線橋の脇に降りる『御隠殿坂』がある。御隠殿は寛永寺住職輪王寺宮法親王の別邸で江戸時代に作られたもの。その後山手線が通り、踏切を渡るさいに使われたと記録にはある。

(この続きは次回)

最新の画像もっと見る