hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

玉川上水散策②・羽村〜拝島

2024-01-05 05:00:00 | 日記
玉川上水散策②、新堀橋を過ぎると遊歩道が少し登りになる。もちろん、玉川上水は下っているのであるが。川の西側は加美上水公園となっている。



昭和2年に多摩御陵の建設が始まったが、造営にあたり大量の砂利を運搬するため、加美上水橋のあるこの場所を通っていた。この1.8kmの支線は福生駅からさらに多摩川の福生河岸駅まで伸びていた。多摩御陵完成後も砂利採集には活用され、廃止されたのは1961年とのことである。もう60年も前のことで今ではその跡を確認することはできない。




現在の橋は側面に野鳥や紅葉などのパネルが付いているが、これは1991年に改装されたものである。



右側に大きな邸宅が現れ、遊歩道は車も通れる道となり、宮本橋の横に出る。この橋は江戸時代は宝蔵院橋と言われていたが、明治2年住職の憲道が還俗し、宮本豊恭と改め神職となったため、橋の名前も『宮本橋』と改められた。(廃仏毀釈)



この先は遊歩道が無くなるが、右に曲がると長徳禅寺、さらに『嘉泉』という日本酒を醸す田村酒造場がある。創業1822年の歴史ある造り酒屋で中を見ようとふらっと入る。




しかし、残念ながら日曜日はお休みだったが、中にいらっしゃったご主人と一言二言。日曜日以外は売店もあり、試飲できるので改めて来てもらいたいとのこと。




懐かしい煉瓦造りの煙突は修理中だったが、大きな蔵や四斗樽、さかばやしなどを見ることができた。福生にはもう一軒、石川酒造(銘柄は多摩自慢)がある。



宮本橋まで戻り、玉川上水から少し離れて並行する奥多摩街道を車に気をつけながら歩く。次の橋は『宿橋(しゅくはし)』。江戸時代はこのあたりは『宿』と呼ばれ、名主家の屋敷を中心に味噌屋、鍛冶屋、紺屋などが集まった村一番の集落であった。

名前はそこに由来するのだが、福生の渡しを経て上・下江戸道、八王子道、青梅への道につながる要所であった。ただ、橋自体は昭和11年12月に今のコンクリート橋となるまでは木橋でこれを昭和62年補修したものである。(以下、次回)



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