『ぶらり橋巡り』その63。今回は今はもうない橋、数寄屋橋についてである。
現在の東京高速道路となっているところはかつては外堀であり、これにかかっていた橋の一つが数寄屋橋である。しかし、1958年には埋め立てられてしまっていて橋の碑が残されている。
有楽町方面から歩くと宝くじ発売時には必ず列ができるチャンスセンターがあるのが数寄屋橋公園。公園といっても小さな植え込みがあるくらいであとはコンクリート舗装されていて名曲『銀座の恋の物語』の碑が建てられている。
さらにその奥には長崎の原爆記念碑でも有名な北村西望作の『燈臺』と題された力強い彫刻がある。これは関東大震災10年の記念塔として作られたものである。
晴海通りを挟んで数寄屋橋公園は続くが、そこには劇作家菊田一夫の筆による『数寄屋橋の碑』、裏にはその来歴が書かれている。そしてこの石碑は数寄屋橋旧橋の素材が使われているのである。
さらに奥には独特な丸いフォルムの泰明小学校の校舎、その手前には岡本太郎による『若い時計台』という作品もある。これは大阪万博のシンボル太陽の東京にも似ていて、実は顔の部分がライトアップされることにより顔が変わる仕組みになっている。ちなみに作られたのは万博2年前の1968年である。
今は橋は無くなってしまい、その代わりの道路が地上を走っているが、かつて目の前にあった日劇も朝日新聞本社も今はなく、数寄屋橋上で撮られたあの春樹と真知子が出会った『君の名は』の名シーンも今は過去のことになってしまっている。まあ、『君の名は』といえばアニメと思う人が大多数だろうが。