『江戸城・皇居を巡る』その8。前回の続き、平川門から入り、梅林坂を上り、その先にある北桔橋門の前は広場となっている。その手前には石垣のみが残されているが、これが天守台である。
もちろん、今は天守閣はないが、江戸時代初期の家康から家光までの将軍時代には確かに天守閣は存在した。特に1638年に家光が将軍だった際に作られた元和の天守閣は江戸図屏風にあるように5層の天守閣であった。
しかし、1657年明暦の大火で焼け落ち、建設には取り掛かったが、4代将軍家綱の後見人であった保科正之が幕府財政が厳しいことも睨みつつ、天守閣はもはや無用であるとしてその後は建設されなかった。
天守台は東西41m、南北45m、高さ11mある。反対側に回るとスロープが付いており、回りながら登る。それほど高くはないが、上からの眺めは良い。ただ、登っても説明板とベンチがあるだけである。
目の前の広い園地は本丸跡、そして左側にあるのが桃華楽堂、これは1966年に昭和天皇のお后様にあたる香淳皇后の還暦を祝い完成した音楽堂である。
その前を通り、左手に歩いて行くと展望台と書かれている。ゆるい坂になっており、これを上がると前面が広がる。ここにはかつて御台所前三重櫓があったのだが、1863年の火事で焼失し、再建されていない。
すぐ下には白鳥濠がある。現在では高いビルがいくつも立てられているため、大手門が見えるくらいではあるが、江戸時代には海まで見ることができたのであろう。
元の道に戻り、右手に道が分かれる。これをしばらく行くと江戸城南端にあたる富士見櫓がある。その名前の通り、江戸時代には富士山が見えたであろう。今の富士見櫓は1659年に再建されたもので長く天守閣のなかった江戸城に取っては天守閣の代わりとも言える三重櫓である。
まあ、それにしても本丸は広いことを実感、最後は百人番屋の前を通り、大手門から退出した。