遙かなる高き峰々より吹く風に応えて

その風は、ぼくに呼びかけてくる・・・。

ぶつぶつ・・・ぶつ

2009年11月17日 | つれづれなるままに・・・
 方法論よりもまずは哲学ありき・・・。
これは、最初に目的・願いというものをしっかりとうちたててから、具体論に入るべしということである。目的・願いは「こころざし」でもいいのだ。

 近来の経済対策やらなにやら、日常のこまごまとしたことに至るまで、成果・・・結果をださんとして、プラグマテイックに入る風潮が圧倒的だ。ハウツーもまさにそれである。しかし、このやり方の結末はどうだろう。

 「こころざし」はこころのなかに確固たる柱がたつ。何が大切か・・・それが座る。これがあってこそ、不動心ともいえる。座禅を組めば不動心が備わるというのは、浅はかな見解だろう。

 実はこのあたりに、カントからヘーゲル、マルクスの哲学と微妙な近似値線があるのでは、とひそかに考えている。まぁ、これはどうでもいいこと。

 組織の活性化とは、いわく、人自体が活性化しなければどうにもならない。では、人間が活性化するためにはどうしたらよいのか?それは、原点に立ちかえろうとする意識から始まるのだ。

 山岳会ならば、「山に登りたい」というのが原点であるし、もっとさかのぼって人間の原点は何か、と問うとき、「人間は魂存在である」という解と「人間は物質的存在である」という解では、おのずと目指す地点は180度異なってくるのだろう。
コメント
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