ポンヤオロ~ペテガリは冬の訪れを知らせる天気により、中止となった。結局、ペケレベツと西ヌプカウシヌプリの山をそぞろ歩きで終わる。どちらも雪の中での歩きだった。
まぁ、それでいいではないかと思う。そのときそのときの「いのち」があり、意味が託されているのだから。
剣小屋で二泊となり、暖かいストーブに助けられた。今年の日高も、この小屋に始まり、この小屋で終わる。来年は果たしてここに来ることができるのだろうか?
せめて、ヌビナイからのピリカヌプリ、日高の主稜線の走破、ペテガリ東尾根、1823やカムエクのコイボクからの沢・・・果たしたいことは数多くある。
しかし、それらは、ぼく自身の「どこ」から発せられたものなのだろうか?
問いかけ、問いかけ、自らを識る、しかない。
「 人間の光 人間の力
生きるために涙し
生きるために苦しむ人が
なお生きようとするその姿に
私は人間の光を見よう
歩むために傷つき
歩むために悩む人が
なお歩もうとするその姿に
私は人間の力を見よう
試練が人をつくり
逆境が人を新しくする
人間を人間たらしめる
「時」がある 」
高橋 佳子著「千年の風」
まぁ、それでいいではないかと思う。そのときそのときの「いのち」があり、意味が託されているのだから。
剣小屋で二泊となり、暖かいストーブに助けられた。今年の日高も、この小屋に始まり、この小屋で終わる。来年は果たしてここに来ることができるのだろうか?
せめて、ヌビナイからのピリカヌプリ、日高の主稜線の走破、ペテガリ東尾根、1823やカムエクのコイボクからの沢・・・果たしたいことは数多くある。
しかし、それらは、ぼく自身の「どこ」から発せられたものなのだろうか?
問いかけ、問いかけ、自らを識る、しかない。
「 人間の光 人間の力
生きるために涙し
生きるために苦しむ人が
なお生きようとするその姿に
私は人間の光を見よう
歩むために傷つき
歩むために悩む人が
なお歩もうとするその姿に
私は人間の力を見よう
試練が人をつくり
逆境が人を新しくする
人間を人間たらしめる
「時」がある 」
高橋 佳子著「千年の風」