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いま、そのとき、かんがえつつあること。

人間は臨機応変

2005-09-09 | にんげん
人間は臨機応変に行動できる。それが わたしの人間観だ。

よく「知識だけ豊富で応用力がない」ってことが非難されているけども、そういうことって ほんとにあるのだろうか。「マニュアル人間」といった表現とかね。なにかをまなんで知識をえるだけでは生活力は身につかない。ごもっともで正論のようだけど、そんなのは現実には問題にならないんじゃなかろうか。もちろん、程度の問題なんだろうし、端からみて応用力がないように みえる人もいるのかもしれない。自分が伝聞でえた知識や、経験でつちかったものをうまく応用する能力というものは、人間にそなわっているもんだと、わたしは おもうわけです。それが生得的なものかどうかは おいとくとして、人間、成長の過程で あれやこれやを応用するようになるのではないかと。

そんなことをかんがえながら、よくある「哲学学」批判というものにも疑問をもった。「既存の哲学をまなんでいる人はたくさんいるが、哲学している人はすくない」っていうね。それこそ机上の空論じゃないのか。

哲学学の批判でよくみられるのは、ただ単に公有名詞のラレツと博学のチンレツにしかみえない お話に対する批判だ。けれども、自分の頭で思考するっていっても、ほとんどは完全にオリジナルな発想ではないことが ほとんどだ。いろんな伝聞と自分の経験にもとづいたものが、「自分の思考」と よばれるものなのだから。だから、固有名詞のラレツというものも、じつは情報源をあきらかにせずには いられない、一種の誠実さの あらわれであり、それ自体は非難される いわれはないのかもしれない。哲学学というのが そもそもレッテルにすぎないわけだけども、ともかく、そうした批判には「オリジナル信仰」とさえいえる既存の固定観念にとらわれた発想がよこたわっている。

「オリジナルがよい」という発想自体が、物事をよく かんがえていない態度であり、独創性にかけ、てあかにまみれた話であると。おっと、ここで話が無限ループするぞ(笑)。「独創性にかける」というのは………と。いや、相手の表現をつかって いえば、そういう話ができるということですよ。オリジナル信仰というのが そもそも矛盾した非現実的なかんがえであると。まぁ、そういうわけです。

↑チャットの「哲学部屋」で かんがえたこと(笑)。

グーグル:「応用力がない」
関連リンク:「独自性幻想」タカマサのきまぐれ時評

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
はじめまして (jahwave)
2005-09-12 20:13:51
ミクシーから来ました。

ブログ、読み応えありです。

これからもどうぞよろしく。
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こんにちわ (ひつじ)
2005-09-12 22:47:22
ひとつひとつ、きっちり かいてるわけではないので、なにぶん魅力にとぼしいのですが、これからも つづけてくつもりでいます。



なにか共感できるものがあれば、なにより うれしいです。



こちらこそ、どうぞよろしくです。
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