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いま、そのとき、かんがえつつあること。

もっと妄想しよーぜ

2008-05-09 | にんげん
わたしは、空想家です。

ゆめを みるひとです。おもいえがく ひとです。想像力が ゆたかです。

わーい。


妄想するのは、たのしいことです。たのしいことを妄想するのが たのしいというより、妄想すること自体が たのしいことです。ええ、わたしにとっては。


なにをいうときにも、「わたしにとっては」という注釈をつける。それが わたしのモットーです。


「性差別と性別主義」にトラックバックをいただきました。うれしいことです。反応をかくまえに、これまで かいた記事をご紹介しましょう。

「自閉症が わからない。人間像をぶちこわせ。」

「人間は、「なるもの」とか「であるもの」なんかじゃないんだ。するものなんだ。」

「ジェンダーは行為だ、するものなんだ。」


くりかえします。

「オトコとかオンナとかってのが実体として つよくイメージされていて、それが うたがわれることがない、という状態」を、わたしは批判します。

「人間というのは ただ、「にたものどうし」ってだけのことです。「人間の概念、さきに ありき」じゃ いけないのです。」

「「人間」なんて どこに いるんですか。人間こそ、想像上の幻想にすぎませんよ。家族的類似による「人間」の ぼやけたイメージをもっていて、そのイメージに そっている ひとを人間だと認識するのでしょう。だから、さきに「人間という総体」を想定してはいけないのだと おもいます。」

「はだかになろう。人間像をぶちこわしましょう。」

さて、いただいたトラックバックに おへんじします。

「ダブルスタンダードが生み出す妄想でしかない」Kazu'Sの戯言Blog(新館)

「いやがらせじゃないよ」ってのは、「わたしにとっては」っていう それだけのことです。

同じ理屈で「いやがらせ」だと感じるのも「わたしにとっては」っていうだけのことだろう(笑) って言われたらなんて答えるんでしょうか。
当然ながら、そのとおりだと こたえます。あたりまえですよね。で、なにか問題になるでしょうか。

いやなことをされているひとが「いやだ」という。そういうもんでしょ?

「え、あ、いやだったの? 気づかなかったよ。ごめん。」とか。

「ん、いやだって? しらねーよ、そんなもん。うるせー。」とか。

「そこで自分は、どう反応するのか」という主体的な問題です。
しかし、おかしいのは性差や年齢という括りは認めていないのに、人間という括りだけは認めているという点です。完全なダブルスタンダードですね。
ですねー。わたしも、かきながら気になりました。ええ。だから、「人間というのは ただ、「にたものどうし」ってだけのことです。「人間の概念、さきに ありき」じゃ いけないのです。」とも かいたんです。

結局のところは、「人間って なんなのよ?」って問題に いきつくわけですから。
その点を修正して、性差も年齢差も人間もそれ以外も認めないとするなら、個だけが残ることになり、個だけが残ればみんな違うって考え方が成立します。違うのであれば異なった扱いを受けるのはなんら不思議じゃ無い訳で、便宜上、効率上、括りも認めざるを得ないということになります。
で、「個だけが残る」という点については、個って なにを基準にするのよ?って問題をひきおこすようにも感じます。だから、「ひとりの人間とは なにか?という問題」について、かるく ふれました。

で、「違うのであれば異なった扱いを受けるのはなんら不思議じゃ無い訳で、便宜上、効率上、括りも認めざるを得ないということになります。」という ご指摘については、よく わかりません。「便宜上、効率上、括りも認めざるを得ない」のは、だれにとってでしょうか。

多数にとってとか、管理をするひとにとってなら、そのとおりでしょう。あるいは、わたしも そういう都合で くくりをみとめることが あるかもしれません。

ええ。

で、「わたしの都合」として、そういった「だれかが つくった くくり」を批判しても、べつに いいじゃないですか。


だれかが都合で くくりをつくって、また だれかが 都合で破壊して、あらたにまた くくりが つくられ、破壊され…。永遠に つづくかもしれません。

で、それで いいじゃないですか。



いっておきますけど、わたしはファイナル アンサー、最終的な結論をこのブログに かいているわけではありません。

わたしの文章には、ただ、時代的、文脈的、瞬間的な意味しかありません。それで いいじゃないですか。

ファイナル アンサーなんてものが どこかにあるなら、もー おわったようなもんじゃないですか。

最後に、むかし かいた文章をご紹介しておきます。

「断言しても仕方がない。だけども、それでも とりあえず。」

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (通りすがり)
2008-05-11 00:14:34
「わたしにとっては」って言ってしまっては、話が最初からあってないようなもんだと思います。

個人的な意見を言うなら、わざわざ一般化して批判をされる文章を書かなくてもいいのではないでしょうか。

ttp://toturev.sakura.ne.jp/totutohoku/index.php?%A1%CA%B5%C4%CF%C0%A5%C6%A5%AF%A1%CB%C2%E7%BD%B0%CF%C0%CB%A1%A1%A7%BB%D7%C1%DB%C5%AA%A5%D2%A5%AD%A5%B3%A5%E2%A5%EA
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ふかいですね。べんきょになりました。 (あべ)
2008-05-12 11:09:52
あたしが いいたいのは、結局だれしも、個人的な意見とか主義主張、あるいは趣味をかたっているじゃないか、どんなときも。たぶん、ってゆーことです。

だから、だれにでも適用できる真理であるかのように錯覚することなく、「わたしにとっては」って ことわりをつけるとゆーのは、だいじなことだと おもうのです。

ただ、そう いってしまうと、べつのニュアンスも おびてしまうとゆーことなのでしょーね。

べつに、あなたが どう感じよーと 関係ねーけど、みたいな、つきはなしたかんじ。


でも、あたしが かいてる文章に、そーゆー ふんいきって でちゃってますか? んー。自覚症状は ございませんの。えへ。


リンク先のサイト(名言と愚行に関するウィキ)は すごく おもしろいサイトだと おもいます。まえ このブログでも紹介しました。

http://toturev.sakura.ne.jp/totutohoku/index.php?%A1%CA%B5%C4%CF%C0%A5%C6%A5%AF%A1%CB%C2%E7%BD%B0%CF%C0%CB%A1%A1%A7%BB%D7%C1%DB%C5%AA%A5%D2%A5%AD%A5%B3%A5%E2%A5%EA

ご紹介くださったページは、「(議論テク)大衆論法:思想的ヒキコモリ」ですね。うーん。そこまでだと いわれると反省しよかなって、ちょっと おもってみるかもしれないです。


でだな、個人的な意見をいって、なにが わるい? しかも、批判されて、なにが いけないの? 批判ぐらい、したり されたりすれば いいじゃない? なにが だめなのよ。

わけ わかんねー。

なに いっても、かいても いーじゃねーかよ。批判するのも されるのも、あたしのかってだろーが。

ちがいますかね。はて。
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Unknown (通りすがり)
2008-05-18 00:49:06
>個人的な意見をいって、なにが わるい? しかも、批判されて、なにが いけないの? 批判ぐらい、したり されたりすれば いいじゃない? なにが だめなのよ。

ぜんぜんわるくないです。
としかいいようがないですね。

そりゃKAZUさんもそう言われたらレスできないわなw
納得。

気分を害されたことお詫びいたします。
申し訳ございませんでした。
引き続き妄想の世界をお楽しみください。
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すごい (あべ)
2008-05-19 14:57:58
もいちどコメントくださって、ありがとうございます。

ちまたの通りすがりさんとは、ひと味ちがいますね。うれしいです。

もちろんのことですが、気分を害してなんか いません。よろこんでいます。

「てさぐりで もがきながら」という文章に かいたことに関連しますが、
http://blog.goo.ne.jp/hituzinosanpo/e/4f30d2bf48f71ee818a4c55d01259c9a

議論をするうえで、自分をさらけだすというか、自分の かんがえや立場をはっきりと だすというのが肝心だと おもうのです。

わたしは、こんなふうに かんがえるのだと。

これは個人的意見ですがってゆー、なんか にげみちをつくったうえでの いちゃもんが したいのではなく、さらけだしたうえで、議論できれば おもしろいと おもうのです。

もっとも、そうではなくても、おもしろい議論は いくらでも できると おもっています。だから どんなコメントでも うれしいし、刺激になります。

なにごとであれ、「「そこで自分は、どう反応するのか」という主体的な問題」だと おもっているのです。
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